23話 腐女子よ 腐女子よ なぜためらう
こんな光景、生まれて初めて見た。空が砕け散る瞬間。こう感じるのは間違っているのかもしれないけれど、私はそれを美しいと思った。こちらの世界に来て色々なものを見てきた。近未来的な街並み、車や道具。それとは対照的な荒野。あちらこちらに生息している、様々な姿の怪獣たち。どれも私の生まれた世界とは異なっている。街はそこまで変わらないけれど、それでもどこかに違う部分がある。だからこちらで見るものは、どれもこれも新鮮に映った。
だがこれはそんなものではない。自然が生み出す一種の芸術みたいだ。
砕けた空の中から現れた生き物は、初めて見るタイプの怪獣だった。胴体は蛇のようだ。細くて長い。でも鱗ではなくって羽毛が全身に敷き詰められている。全体の中心辺りからは羽が生えていた。形は鳥に似ているけれど、それは羽毛ではなく鱗が寄せ集められてできていた。そして尾より少し前の位置に小さな足が付いている。人間の足に似ていた。神秘的であり同時に不気味だ。
怖ぁ……。
「
さらっと酷いことを言ってくるルーィさん。
まぁ自分でもびっくりしてるんだけどね! こんな風に饒舌になったのは初めてだよ! でも問題ないと思うよ。オタクは大体誰でもこういうスキルを持ってるはずだよ。ほら、神話の本とか読み漁るでしょ? そこで身に付けるんだよ。陰キャってやたらとクトゥルフ神話に詳しいし、その知識使ってイキってくるじゃん。そういうことだよ。
今のである程度の数の人間を敵に回した気がする。まいっか、私は元々敵だと思ってるし。ウルト〇怪獣のスレでガタノゾ〇アの名前を出した途端、アホみたいに知識ひけらかしてきた奴、まだ許してないからな。
大分話が反れた。私の個人的な恨みはどうでもいいんだよ!
今注目すべきなのは、目の前にいるゾンムバルだよ!!
それにしてもびっくりだね。こんな綺麗な怪獣だとは思いもしなかったよ。これまで私がこの世界で目撃した怪獣は、どれもまだ生物的だと思えた。うーん。何て言えばいいのかな。怪獣と言っても、まだ野生動物な感じ。ほら、日本でもクマとかイノシシとかが街中に現れて騒ぎになるじゃない。それと同じようなもの。
でもこれは違う。確かにこれも生き物だよ。他の怪獣と同じ、もっと言えば私たち人間とも同じ、生き物。でもそういうんじゃないんだ。
ダメだ、上手く言えない。とにかく、ゾンムバルは他の怪獣とは違う。上手な例えが思いつかないから大げさに言っちゃうけど、神様みたいに思えた。人間は絶対に及ばない、そんな存在。
え……。私これから、この怪獣の縄張りに飛び込むの?
いやいやいや。恐れ多いって。畏れ多いの誤字じゃないよ。
↑この間、僅か10秒。めちゃくちゃ長く感じた。それくらいこの怪獣の美しさと恐ろしさに圧倒されていた。
ゾンムバルがゆっくりと口を開ける。えっ。もしかして私たち、食べられる?
ずず――。地鳴りじゃない。呼吸音だ。この世界の空気を確かめるように、細い息をしている。そして。
「キャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」
まるでソプラノ歌手のビブラートみたいな高音が、空気を震わせた。至近距離で絶叫されてはひとたまりもない。私たちは頭を抱える。車もダメージを受けて、地上へ向けて落ちていく。これだと何だか、私たちの方が車より強そうだな。
「全員しっかり掴まっていなさいよ!」
カーヌちゃんが注意を呼び掛けるが、みんな車に掴まる余裕すらなかった。落下に合わせて、身体が宙に浮く。もちろん、ふわふわとした心地良いものじゃない。風と重力を全身に受けて、地面にぶつかる前に押しつぶされそうになる。
「こん――にゃろっ!」
アクセルや、その他運転席にある操縦ボタンを操作するカーヌちゃん。彼の頑張りで、車は再び空中で安定を取り戻した。私とベクティナくんは、シートベルトに引っ張られてそのまま後部座席に着地する。
一方、臨戦態勢に入っていたジバリさんとルーィさんは、宙を舞ったままだった。
「ジバリさん! ルーィさん!」
「心配するな、環は早くあの時空の穴の中へ!」
そう言われて見上げると、ゾンムバルは割れた空の中へ戻ろうとしていた。それに合わせて、穴も塞がろうとしている。
まずい。このままじゃ私、元の世界に戻ることができなくなる。
帰還のための、千載一遇のチャンス。ゾンムバルは姿を確認するだけでも一苦労の怪獣なんだ。あんな曖昧な情報を頼りにして、1発で遭遇できたことが奇跡。次に見つかるのはいつになるか分からない。もしかしたら、これが私が帰れる最初で最後の機会かも。
そうだ。私は帰らなくちゃいけない。心配してくれているであろう、お母さんとお父さんのために。そして、直子ちゃんと仲直りするために。
震える指で、なんとかシートベルトを外す。
カーヌちゃんはゆっくりと車を上昇させてくれていた。ありがとう。
隣に座るベクティナくんが、不安げな顔で私のことを見ている。ありがとう。
そして地表では、無事に着地したらしいジバリさんとルーィさんが手を振ってくれている。
そうだ。私は帰らなくちゃいけない。こうやって協力してくれたみんなのために。
帰らなきゃ、帰らなきゃ――――――。
シートの上に立ち、思い切って穴の中に飛び込もうと……。
「ッッッ!!」
「環さん!? 何をしているんですか!?」
「駄目だよ。まだ、帰りたくない……」
「環!? あなた、何を言っているの!?」
突然身体が動かなくなった。そして、帰れないという感情に襲われた。このままじゃ、私はこの世界を去ることができない。
でもダメなんだ。私はゆっくりとシートに腰を下ろしてしまう。
みんなが私のためにここまでしてくれているのに。バカみたい。でも、どんなにバカな理由でも、私の身体を止める理由になるんだ。
こうしている間に、穴はどんどん塞がっていく。ゾンムバルの姿はとっくに見えなくなっていた。やがて空は、元通りのきれいに整った広がりに戻ってしまった。
カーヌちゃんは無言のまま、車を地面に下ろした。即座にジバリさんとルーィも駆け寄ってくる。
すると。
「どうして飛び込まなかったんだ!!!!!?????」
思いっっっっきり怒鳴られた。ジバリさんのその怒号に、私だけでなく他の3人もビクッと肩を震わせた。
さて。何て言い訳すればいいんだろう。うん。あの怪獣が生み出した空間に飛び込むのが怖かった。それも本音に違いない。間違いじゃないんだよ。でも本命はそうじゃないんだ。何て言うべきか……。
チラッとカーヌちゃんとベクティナくんの方を見たら、どうやら2人は察している様子だ。まぁ、以前あれだけ熱弁したしね。軽く理解を示されちゃったしね。
でも当人にそれを伝えるのはおかしいよね!? それだけはタブーだよ!?
Twitterで女性声優同士がやりとりしているところに「あら^~いいですねぇ」とか割り込んでくるクソリプオタクみたいなもんだよ。いくら自分がいいと思ったものでも、絶対に直接伝えちゃいけない相手がいるんだよ、その劣情の対象本人のことさ!
さぁこの状況。ある意味、元の世界に帰れなくなったこと以上に、私は追い詰められているかもしれない。
いっそのこと全部ぶっちゃけるか? 私がジバリさんとルーィさんをやらしい目で見ていたことを。2人でスケベな妄想をしていたことを。彼らを見て、私がとうとうナマモノを解禁したことを。
そして2人が実際にそういう関係になるのを見届けるまで帰れないと、思ってしまったことを。
この時私はすっかり忘れていた。自分が心の声を胸の内に留めておくことができないということを。ついつい全部口から漏らしてしまうということを。
数秒後、顔を上げた私は、どんな視線を向けられているか知ることになる。
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