マリーの部屋⑴



 作戦を立てる際、研究所の見取り図を入手できなかったので、私たちは仕方なく建物の外装から中の構造を予想して、とりあえずの割り当てを決めていた。予想では2階建と思われていたが、実際に入ってみると、この研究所にはどうやら地下もあるらしい。そちらには特に重要な情報が隠されている可能性が高いため、地下を捜索する方にメンバーを回さなければならず、2階を探索するのは結局私とグレースだけになった。


「……」


 階段を探し当てて2階に上がると、そこには歳月による風化を感じさせない清潔なフロアが広がっていた。人の手なのか、それとも自動機械か他のものによるのかはわからないが、明らかに掃除がなされている。私とグレースは目配せを交わした。あの意味不明な言語はどこからも聞こえてこない。この階にはスピーカーはいないらしい。

 磨き立ての鏡のように光る通路に一歩足を踏み出したその時、グレースがすかさず右手の肘から先を垂直に上げて「待って」と言った。


「ねえ……聞こえる?」


 私は草原の一匹の兎のように耳を澄ました。かすかではあるが、機械音が聞こえた。ピッ、ピッ、ピッ、と規則的な、高いアラートのようなものが、通路の奥から響いてくる。


「……」


 私たちはライフルを握り直し、先へと進んだ。電気が生きている以上、通路に何かトラップが仕掛けられているのではないかと警戒していたが、その心配はなかった。どうやら警報装置は全て切られているようだ。天井にはいくつもの監視カメラがあったが、そのどれもが死人のように、頭を垂れたままピクリとも動かない。

 通路の突き当たりには、パスコードロックのかけられた二重扉があった。しかし警報装置と同じようにロックは解除されていて、わずかに隙間が空いている。内側あるいは外側からこじ開けた、という風にはとても見えない。通路同様、扉にはさしたる損傷はなく、ここの作業員が逃げるとき施錠し忘れてそのままにされたか、あるいはまるで魔法のように開いたか、どちらかだろう。

「行こう」

 ハンドサインを送る。グレースは頷き、ドアを音を立てずにゆっくりと開けた。そこはどうやらエアーシャワー・ルームのようで、脱ぎ捨てられたクリーンウェアとマスク、そして至る所に描かれた警告マークが視界に飛び込んでくる。しかし皮肉なことに室内は清潔とは程遠いものとなってしまっていた。一歩踏み出すと壁のエアーフィルターが私たちを感知し、生ぬるい風を吹き出してきたが、長いことフィルターの交換をされずにいるために威力はそよ風程度にも満たず、床に積もった埃を少し舞い上げただけだった。しかし奇妙なことに、目を落とした床の埃には、何かを引きずった痕跡のようなものが見られた。

 風が止まり、再び静寂が訪れる。

 そのときだった。


 ガタン……。


「グレース?」

 今のが聞こえた? という意味で小さく呼びかけると、彼女はわかってる、というように何度も頷いた。物が50センチほどの高さから、固い床に落ちる音……それも、小箱のような四角い箱状のもの。いずれにせよ、自然現象では発生しえない音の響き方だった。壁をもう1枚隔てた向こうに、ほぼ間違いなく、何かがいる。学校での訓練が自然と脳裏に蘇った。教室ごとに別れ、息を殺して聞き耳を立てては、隣から聞こえてくる音だけで状況を察することができるよう、日々練習を繰り返した。

 床を引きずった跡は、向こうの部屋まで続いている。私とグレースはその跡に誘われるようにして、もう一枚のドアを開けた。


 そこは、だった。


 

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