第27話 完結後のおまけ話②らったった♪競馬場③
スタンドの外に出ると、まぶしい太陽光が待っていた。競馬場全体に、ソーラーパネルでも設置したほうがいいのでは? と感じるほどの光量である。
叶恵はレジャーシートの上で、みんなのお弁当を守ってくれている。日傘を差して。準備、いいなあ。
今日、叶恵が持っていた荷物はそれほど大きくないのに、収納上手なんだろう。家事は得意ではないと言っていたけれど。たぶんしないだけ。
でも、不穏なことに、叶恵が若い男子のグループに囲まれていた。
「おねーさーん、いいじゃないですか」
「一緒に競馬しましょうよ」
「次、なに買います? オレ、きれいなおねえさんを買いたいっす」
ひ、昼間から! なんていかがわしい! 近づくにつれて漏れ聞こえてくる会話に、さくらは激怒した。悪の誘いの手から、守らなければ! でも、どうやって?
しかし、叶恵本人は、さらりとしたものだった。
ようやく戻ってきたさくらたちを見つけると軽く手を振り、壮馬に向かってこう言いのけた。
「あなたー。おかえりなさーい♡」
チンピラ三人組が驚いて振り向く。壮馬の姿を認め、いっせいに『ちっ』と舌打ちした。
「「「なんだよダンナかよ!」」」
おお、これが類の恐れていた光景。さくらはそっと、壮馬の背中の陰に隠れた。
「遅くなった。大事ありませんか、叶恵」
「おそーい。変なのに、絡まれちゃったじゃない」
「ごめんなさい! 私たちが寄り道したせいで」
「嘘よ。ちゃあんと、整理券はもらえた?」
「はい! この通り!」
「かなえーちゃ、たって。たいそう、するよ。そーましゃんも、とっくん!」
とっくん……特訓か。
「そ、そろそろ発走時刻なんですが。あおい先生、レースが終わってからでもよろしいですか?」
「だ・め。とっくん」
レジャーシートの上で、あおいのスパルタ特訓がはじまった。ふたりがしごかれている間に、さくらはレースを観戦。
「え……12番……来た!」
このレースも、女神さまの大的中。さくらの百円が、五百円になった。すごい!
ということは、壮馬の一万円は五万円?
奇妙な体操をさせられている壮馬は、その事実にまだ気がついていない。
こうなると、競馬が気になって仕方がない。
大きく儲ける必要はどこにもないけれど、となりで資金を着実に増やしている人を目の当たりにすると、敵対心も湧いてくる。
「あおい、次は何番が勝ちそう?」
「いま、ぴぴくぽてぷ!」
……娘が、母の願いを聞いてくれない。
体操、さくらが見ている限りでは、壮馬よりも叶恵のほうが格段にうまい。
壮馬は覚えは早かったけれど、キレがない。
叶恵は腰の使い方が上手だ。とても。変な意味ではなく、腰から下が安定しているので上半身がぶれない。それに、大きな動きのあるときには胸がたっぷり揺れるので、目が釘付け(これは変な意味)。いいなあ……。
「きめた。ぴぴくぽてぷたいそうは、ままと、かなえーちゃといく。そーましゃんは、おるすばん」
「ですって。先生、ありがとうございます」
「……不本意ですが、そうしましょう」
「じゃあ、体操が終わったらお弁当ですね!」
お昼ごはんを食べたら、あおいは寝ちゃうかもしれない。わりと、お昼寝をする子だ。
壮馬、体操に行かなくて済んだので、ちょっと喜んでいる。しかも、ここまで儲けているし。いいなあ……また、言っちゃった。
ピピクポテプ体操のことばかり考えているせいか、あおいの予言はなくなった。
あおいにつられて、となりのレジャーシートにいる子どもたちも体操しまくっている。すごい人気だなあ、さくらはしみじみした。
でも、あの教育番組に出ている子どもタレントたちよりも、あおいのほうが絶対にかわいいんだよね。親ばかではなく、あおいの美少女っぷりは国宝レベルだと思う。しかも、『北澤ルイ』にそっくりすぎて、もう。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。お食事前の運動ね」
あおい、叶恵につられて立ち上がる。そして、本日二度目の『えいえいおー』。
「じゃあ、壮馬さん。行ってきます」
「はい。気をつけて。迷子にならないように」
笑顔で手を振る壮馬を置き、三人は靴を履いて歩き出した。
***
パドック脇は、すでに親子でいっぱいだった。百人ぐらい、いるのではないだろうか。
次のレースに出る馬たちが、間近で周回しているので『お静かに』と職員さんがプレートをも持って歩いている。この馬たちがコースへ移動したあと、体操参加者がパドック内へ入れるようになるらしい。
「ほー。ピピクポテプ体操、すごい人気ね」
「最初は私も、なにがなんだか、でしたけど。あおいは、保育園で仕入れてきました」
「子どもに人気が出ると強いわね。シバサキも、子ども層をがっちりつかまないとね」
「はい」
「7ばん! まま、ななばん! かっこいい」
「……え」
さくらはあおいに支持された馬を見た。黒い。力強い歩み。確かに、かっこいい。ちょっとだけ馬券を買って、儲かったら、ちょっといいお肉でも買って焼こう。焼きたい。でも、体操の集合時間はもう迫っている。
そわそわしていると、叶恵がすぐに察してくれた。
「行ってきなさいよ。馬券、買いたいんでしょ。あおいちゃんと並んでいるから。少しだけ、かなえーちゃと一緒でもいいよね」
「うん!」
「間に合ったら、さくらさんも体操しましょ」
「す……すみません、じゃあちょっとだけ、あおいをお願いします。走って行ってきます。すぐに戻ります。千円だけ。荷物、預かってもらっていいですか」
「ままー、いってらっしゃ!」
そそくさと、さくらは千円札一枚を握り締め、スタンドへ向かってダッシュした。
***
「『ワイドがおすすめ』って、教えてもらったよね」
7をメインにして、もう一頭を自分で選んでみようか。全部で十五頭もいる。時間がない。でも、試してみたい。
「えーい。全部買っちゃえ!」
マークシートも馬券別に何種類かあるので、ワイドと書かれてある用紙を一枚もらってさきほどと同じように、塗りつぶしてゆく。
東京、五レース、7番から全部ワイド……! 7-1、7-2、7-3……以下略。千円では足りなかった。もういい。内枠から順に、7-10まで、百円ずつ!
頭数分、せっせこ楕円を塗っていると、通りすがりのおじさんが『それは流しにしたほうがよかったな』と教えてくれた。
「『流し』ってなんですか」
「7は固定軸で、ほかの馬を買う場合のことだ」
な、なんだろう? よく分からない。たくさん勉強してきたはずなのに、世の中には知らないことがまだまだたくさんある。とりあえず、今回は塗り塗りでいい。
「しかし、7は人気薄なのにいいのか? 調教はまあまあだが、前走はさんざんだ。道悪が向いている、が今日は良馬場で」
おじさんは力説していたけれど、なにを言われているのか、初心者にさくらにはさっぱりだった。
でも、おじさんにお礼を述べた。
「ありがとうございます、でも7来ます。予言がありました」
出来上がったマークシートとともに、券売機へ直行。しかし……。
「こ、混んでいる」
焦ったあまり、空いている機械を探してさくらは走りまくった。どうにか、馬券は買えた。
しかし。
早く、早くと焦ったのが、よくなかった。
「馬券は買えたけれど、迷子……!」
最悪の状況だった。
すぐに戻るつもりでいたので身軽になろうと、バッグを叶恵に預けてしまった。携帯もお財布も持っていない。
とにかく、パドックのほうへ!
しかし、こういうときに限って案内板も見つからない。職員さんに聞こうにも、ほかのお客さんの対応に追われていて話しかけることができない。どうしよう? 気持ちだけが焦る。
そうだ、周囲にいる競馬おじさんに……と思ったが、ちょうど他場のレース中で、みんな真剣にモニター観戦をしている。気軽に聞ける雰囲気ではない。
体操がはじまってしまう。体操が!
こうなったら、壮馬のことろでもいい。スタート地点に戻れば、パドックにも行ける。たぶん。
スタンドの外に出た瞬間、ターフビジョンに幼い女の子が映った。
『ままー。ぴぴくぽてぷたいそう、はじまるよー!』
あおいだった。
きらきらの笑顔のあおい。だいすきな類そっくりのあおい。
明るい音楽とともに、パドックの様子が映し出された。
周囲から『かわいいー』『美少女すぎる』『子役?』などの声が上がる。
『しばさきあおい、さんさいでっしゅ! すきなたべものは、ままのおべんと! きょうはね、ぴぴくぽてぷたいそう、みんなでするの!』
「あ、あのっ、これって。パドックってどこですか」
さくらは通りかかったお掃除のおばちゃんに、ターフビジョンを指さして聞いた。
「ああ、パドックならあっちだよ」
おばちゃんは、最短道を教えてくれた。
「ありがとうございますっ」
慣れないのに、欲を出して馬券を買おうなんてした罰だ。
あおい、間に合いたい!
***
あおいは、パドックの一番目立つ場所で楽しそうに体操していた。
となりには叶恵がいる。
間に合わなかった、だけど見られた……! 遠くから見ても、あおいは抜群にかわいい。
あれ、髪をおだんごに結ってもらっている。叶恵にやってもらったのかもしれない。長く垂れたリボンの先がひらひら、風に舞う。
大きく、なったなあ。
あおいを妊娠したとき、まだ大学生で大変だったのに。生まれたあとも小さくて悩んだし、毎晩夜泣きするし、類くんがいない日に熱なんか出たときにはどうしようどうしようばっかりで。
さくらは、パドックの外から柵越しに『あおいー!』と、叫んでいた。
***
「は? 泣く場面?」
叶恵はあきれていた。
ピピクポテプ体操が終わったあと、あおいと再会できたさくらは号泣していた。
「す、すみません……走馬灯が……競馬場には、いろんな馬がいます」
「なにをわけの分からないことを言っているの。ほら、まましっかり! 子どもが見ているわよ」
あおいが、さくらの目の前に立っている。さくらはあおいをだっこした。
「とってもじょうずだったよ。ピピクポテプ体操。まま、うれしくて泣いちゃった」
「うん。うまくできた!」
「ありがとう、私の娘になってくれて」
ちょっと意味が不明だったようで、あおいはきょとんした。
「かみのけのおだんごね、かなえーちゃにしてもらった。りぼん、もらったの」
しかし、頑張って動いたせいか、だいぶ乱れてきてしまっている。それもまたご愛敬か。
「かわいいね。とても似合うよ。叶恵さん、いろいろとありがとうございました」
「ひとりで行ってはだめよ、もう。あなたが迷子になるなんて、トンデモ結末じゃない」
「あのね、まま!」
あおいがひときわ大きな声を出した。
「かなえーちゃも、れいおじちゃとけっこんするんだって。あおいといっしょ! なかよし!」
「は……」
「『かなえーちゃはすきなひといるの』って聞かれたから、答えただけ」
「あおいといっしょ! いっしょ!」
……それ、よろこぶところじゃないよ、あおい?
「ところで、どうしてあおいがビジョンに映ったんですか。驚きました」
「……目立っていたのよ、はじまる前から。芸能人の子どもは輝きが違うわね、やっぱり。参加していた子どもたちを、いつの間にか、あおいちゃんがまとめちゃって」
叶恵が、さくら不在のときの状況を説明してくれいると、パドックの方向から、職員さんが走ってきた。
「ああ、間に合った! いた! あおいちゃんのお母さまですか」
「は、はい」
「先ほどは、ありがとうございました。とても助かりました。あおいちゃんのおかげで、とてもいいイベントにすることができました。あおいちゃんはもしかして、どこかの芸能事務所に所属されていらっしゃいますか?」
「い、いいえ! あおいは普通の子です」
「えー。嘘ばっかり。職員さん、この子はね。あの、伝説のアイドルモデル・きたざ……ごほごほ」
真実を暴露しようとするので、さくらは叶恵の口を手で塞いだ。むぎゅっと。
「どうか、されましたか?」
「いいえ、なあんにも。あおいは、ごくごく普通の、どこにでもいる女の子です! こちらこそ、今日は参加できて楽しかったです。それでは」
片手であおいをかかえ、叶恵のブラウスの端も引っ張るさくらの形相に、まだなにか言いたげだった職員さんは苦笑していた。
「ちょっと。なんで無理に隠すの? いいじゃない、自慢すれば。『この子は、私とルイくんが毎晩らぶらぶえっちして生まれたんですよー』って」
「しません。あおいは芸能人にしないって、類くんと話しています」
「もったいないなあ、こんなにかわいいのに」
「だからです。あおいには、あおいがしたいことをさせたいんです。かわいいからってテレビに出したら、絶対に引っ込みがつかなくなります」
「……軽く、親ばか入ってない?」
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