第26話 完結後のおまけ話②らったった♪競馬場②

「パドックで、親戚のおじさんと待ち合わせているの。競馬のプロなの。このまま行きましょう」


 パドックの脇で、馬と新聞とを真剣そうに、にらめっこしている人がいた。

 年齢は、涼一と同じぐらいだろうか。おじさん……と呼ぶには申し訳ない。ジャケット姿にスニーカーという姿の、短髪でスリムで小柄な男性がきりっと立っている。静かなる闘志を感じる。


「こんにちは、おじさん。友人を連れてきました」


 叶恵の声に気がつき、男性はにこやかにさくらたちのほうを向いてくれた。


「あ! きのう、てれびにでてたおじちゃ!」


 そう。土曜日の、競馬の中継番組でレースの解説をしていた人だ。司会の芸人さんたちと一緒に、予想も披露したりしていた。


「こんにちは、競馬記者歴二十五年超のおじさんです。なんでも聞いてください」


 そっか、本業はスポーツ新聞の記者さんなんだ。番組になじんでいたから、てっきり芸人さんかと思った。予想が載っている新聞をいただいてしまった。


 さくらは、マスコミにいい印象がない。

 類と結婚するとき、いろいろ書かれた。めちゃくちゃ書かれた。あまりひどい記事は表に出ないよう、類の事務所が談判して潰してくれたが、それでも『でき婚』『でき婚』報道の日々に苦しんだ。

 でも、マスコミ関係者にとっては仕事なんだよなあ、あれもきっと。


「こちら、私の同期の高尾壮馬くん。親しくさせてもらっています」

「一家で観ています。特に私の父が、ものすごいファンなんです! サイン、いただけますか」


 えっ、色紙準備? さすが、壮馬。しかも、写真まで一緒に撮ってもらっている。


「こっちは、柴崎さくらさんとあおいちゃんの母娘。後輩だけど、シバサキのお姫さま。『北澤ルイ』の奥さんでもあるの」

「よろしくお願いします、柴崎さくらです」

「まっしゅ!」


「はじめまして。『北澤ルイ』くんなら、競馬場で見かけたことあるよ。イメージキャラクターを務めていたころに、何度か。あおいちゃん、パパにそっくりだね」

「ぱぱはね、いまはね、ふつうのちゃらりーまんなの!」


 舌たらずな『サラリーマン』が、チャラリーマンに変化してしまった。

 全員、苦笑。類の、チャラいサラリーマンの姿を思い浮かべ、納得したようだった。


「し、仕事中の、類くんは、いたってまじめです! チャラくないです」

「くkっくっくkkっく、ふだんはチャラいと認めているような発言」


 もう、なにを言っても失言。類くん、ごめん。また、ネタにされちゃった。


「では、競馬の見どころなど、簡単に説明しましょう。馬を見るにあたって、大切なのは顔。そして、スタイルです」

「見た目? 成績とか、人気じゃなくて?」


 叶恵が驚いた。


「もちろん、血統やコース適性、仕上がり具合などもあります。けれど、初心者さんは、見た目で気に入った馬を応援するのがいちばんいいと思います。名馬はみな、凛としていてかっこよくてうつくしい。今日のように馬場状態が良い晴れの日は、レース中の混乱も少ないですし」


「ぱぱ、かっこいいの!」


 あおいが口を挟んだ。


「そうだね、パパみたいな馬をさがすといいね」


 買い方は、1~3着に入りそうな二頭を当てる『ワイド』がおすすめ、などなど基本情報をお聞きした。

 もっとも、壮馬はもっと詳しい予想のヒントを頂戴していたようだが、初心者のさくらにはとなりで耳を傾けていても、なにがなんだか理解できなかった。競馬って、奥が深いんだなあ。


 競馬のプロである記者さんとは、パドックで別れた。


***


「じゃあ、本馬場……コースへ行きましょうか」


 壮馬が促した。


 正直なところ、パドックで歩いている馬を眺めても、黒い馬は強そうだし、馬を牽いている厩務員さんに甘える馬はかわいいし、この中から二頭を選ぶなんて難しかった。

 まずはひとつ、実際のレースをこの目で見てみたい。


 パドックは正門に近いけれど、競馬場のコースは、スタンドを越えた向こう側にある。四人はてくてく歩きはじめた。


 日差しが強くて、暑い。そして、広い。軽装で助かった。

 海外の競馬場では、飾り立てた貴族みたいな人たちが観戦しているけれど、庶民には難しいようだ。叶恵のアドバイス通り、帽子と運動靴で来て正解。


「あ、まま。あれみて!」


 なにか見つけたらしいあおいが、大きな声で騒いだ。そして、てってくと走り出す。


「あおい、待って」


 さくらがわが子を懸命に追いかけると、あおいは立て看板の前で急停止。


「まま、『ぴぴくぽてぷ』!」

「ほんとだ」


 現在、あおいが超お気に入りの『ピピクポテプ体操』。幼児に大人気の、教育テレビの番組である。この体操のイベントが、競馬場内であるようだ。


「参加希望者は、十一時十五分にパドック横集合、整理券を配布しますだって」

「でるー! いくー!」


 お昼休みに、みんなで体操をするようだ。子ども向けイベントもあると聞いていたが、さっそくあおい的に大当たり。

 やる気に満ち満ちたあおいは、さっそくその場で体操しはじめている。


「やだ、恥ずかしいからやめなさい。あとで、たくさん体操できるよ。ほら、コースに出よう、コースに」


競馬場のコース……本馬場というらしい……へ、出た。


 空が広い。富士山が見えた。芝はうつくしい緑色。

 大きなモニター……ターフビジョンがある。人も多い。さくらは、つないでいたあおいの手をぎゅっと握り直した。


「う、馬は?」

「パドックでお披露目されたあと、地下馬道を通ってこちらへ入場してきます。レース時間になるまで、発走ゲートの近くで待機です」

「壮馬さん、詳しいんですね」

「地元だけに、子どものころは毎週のように来ていましたので。父に連れられて」


「あー、でてきた。うまー! みんな、はやい」


 やっぱり、みんな速そう。

 蹄の音を高らかに立てて、軽やかに走っている。本番のレースはこれからなのに、スピード感あふれる走りに、ただ驚いた。


 類も、競馬のイメージキャラクターをつとめていたころ、勉強のためにレースをよく見ていた。そのときの話を、もっと聞いておけばよかったなと、さくらは少し悔やんだ。


「ひこーき! ままー、こんどは、ひこーきとんでる」


 あおいが今度は頭上を指さした。


「あれは、調布飛行場から飛んでいるの。大島、新島、神津島、三宅島など、東京の離島へすぐ行けるわよ」

「大島? 伊豆大島へですか? 調布から?」

「そう、三十分で着くんだから。新選組局長・近藤勇の生家のあたりに、飛行場があって」


 へえ、知らなかった。ていうか、この作者、ちょこちょこ新選組ネタぶっこんでくるなあ。好きなんだねー。


「国立天文台も近いですよ。あとは、深大寺。植物園」


 さすが壮馬は実家も近いので、ほんとうに詳しい。


「まま。4ばんと6ばんが、かっこよかった」


 さらっと、あおいが二頭選んだ。今の走りで決まったらしい。子どもの直感だろうか。


「4と6。いいですね。最近の競馬は、先行した馬が有利な流れなので。スタートがうまく決まれば内枠、しかも偶数枠なら、さらに有利です」

「じゃあ、4と6に注目してみましょう」


***


 なんと、あおいが予言した4と6の馬が一着二着に入った。両方とも人気のある馬だったので配当は安かったけれど、当たりは当たり。


「美少女馬券師の誕生……?」


 さくらは自分の娘を見て、おののいた。

 当の本人は体操のことばかりを考えているようで、予習にいそしんでいる。

当たり、まぐれだよねと思いつつも、壮馬はあおいの予言通り少額賭けたらしく、いきなりプラスになってよろこんでいる。


 四人は第一コーナー付近の芝生あたりに持参したレジャーシートを敷き、陣取った。


「ここを拠点にするとして、必ず誰かひとりは荷物監視係として残るようにしましょう」

「さくらさんとあおいさんは十一時過ぎに参加券、ですね。その前に、あおいさんのお告げがいただけるとうれしいのですが」


『お告げ』。

 なんのことはない、予想のことだ。あおいは愛らしく、首をかしげている。


「おーま! そーましゃんがおーまなってー!」


 そ、そーましゃん、おーま……さくらは冷や汗をかいた。


「だいじょうぶですよ」


 うwわwあ。上司に馬乗りの娘……ほんとにすみません……しかも鞭代わりのボールペンで、壮馬のお尻をたたいてレースを再現しているし……。


「つぎは、1と10と3!」


 コースに入場してきた馬を見て、あおいは叫んだ。それを聞いた壮馬は、あおいに懇願して背中から下りてもらう。


「馬券、買ってきます」

「あ。私も一緒に行っていい?」


 壮馬と叶恵が小走りでスタンド内の発売所へ急いだ。インターネットでも買えるが、諸手続きが必要らしい。

 あおいは、めちゃテンションである。夕方まで、体力がもつだろうか?


 十一時十五分。さくらとあおいは体操の参加券を無事にゲットできた。

 参加資格は小学生までだが、幼児は保護者の同伴が必要とのことだった。

 テレビを観て毎日踊るので、さくらも類も体操を覚えてしまっている。


「ぴぴくぽてぷー、ぽてっぷー♪」


 競馬観戦に来たのか、体操しにきたのか、もはやよく分からない。


「あおいさん、ごきげんですね」


 整理券のために、壮馬が付き添ってくれた。さくらだけでは、パドックからみんなのいるレジャーシートの場所に帰れる気がしない。


 さくらと壮馬と手をつないでいる、あおい。


「次の……おーまさんはいかがでしょうか」


 今日の壮馬は、いやにお金に執着している。儲けようとしている。あやしい。


「んー」


 パドックで周回している馬をちらっと見たあと、あおいは言った。


「じゅーにばん!」


「はい! 12ばんですね! さくらさんも行きましょう。買い方、教えます」


「これが投票に使うマークシートです」

「あおいもほしー」


 壮馬はあおいをだっこしたまま、さくらにも紙を一枚渡した。


「いろいろ、賭け方はあるのですが、今回あおいさんは12推しだということなので、これを単勝……一着でゴールすると信じて買いましょう」

「は、はい」


 マークシート。大学入試以来だった。シバサキの入社試験は役員面接しか受けていないコネ受験だったので、久しぶりに楕円を塗り塗りする作業。

 指示される通りに塗った。


「百円から買えるんですね」


 おためしなので、さくらはとりあえず百円。ちらっと確認したら、壮馬のマークシートは一万円だった。すごい。あおいの予想が外れたらどうしよう。

 投票機械にお金とマークシートを投入。馬券が出てくる。簡単だった。


「じゅーにばん、くるよまま。ぽてっぷー、ぷー」

「うん。あおいも応援お願いね」


 にこにこのあおいに、投票所にいた職員さんが話しかけてきた。


「娘さん、かわいいですね。お父さまもかわいくて仕方ないでしょ」


 壮馬にだっこされていたので、父親に間違えられてしまった。あおいはきょとんとしている。


「ええ。かわいくてかわいくて。嫁に出せませんね」


 笑顔で切り返す壮馬。さすが、フォローの神。


「あっ。あっちに、ぱぱいる!」


 また、新しく何かを見つけたようで、あおいは壮馬のだっこから下りて走り出してしまった。


「待てー、あおい!」


 子ども特有の無邪気さで規制線を破り、むんずとあおいが抱きついたのは、北澤ルイの等身大パネルだった。


「ひぇええええ、すみません! こら、あおい」


 あおいのものすごい勢いに、職員さんが戸惑っている。さくらはあおいをパネルから引きはがした。


「ぱぱー。あおいのぱぱー!」

「それ、お写真だよ。ほんものじゃないよ」

「でもぱぱ!」


 くっ……。このぱぱラブ感、どうしてくれようか……『れいおじちゃとけっこんする』って言っていたのに。


 あおいが『北澤ルイ』を見つけて突進したのは、歴代イメージキャラクターの展示会場だった。当時のポスターが掲示され、CMが流れている。

 類がキャラクターをつとめていたのは二年ほど前。ほとんど変わらないけれど、ちょっと痩せている。


「ほんもののほうがかっこいいし! ねえ、あおい」


 レジャーシートでは、叶恵がひとりで待っている。早く戻りたい。


 けれど、あおいはさくらの話を聞かずに、自分のぱぱがどんなにかっこいいかを職員さんに力説し、バッグにつけたルイくん缶バッジまで披露している。


「これ、あおいのぱぱ! しばさきるいだよ。ふつうのちゃらりーまん!」

「あおい、そろそろ戻ろうよ……」


 テンションが上がりまくりのあおいを止めるのは、難しい。

 こんなとき、類がいてくれたら、うまくなだめてくれるのに……二次元のパネルじゃ役に立たない。


「そうだ。あおいさん、叶恵と私にポテチダンスを教えてください。レジャーシートに帰りましょう」


『北澤ルイ』に執着していたあおいが、はっとした表情で壮馬に向き直った。


「たいそうだよ、だんすじゃないよ。それに、ぽ・て・ぷ! ぽてちじゃない」


「ああ、そうでしたねすみません。ではポテチ体操を」

「そうーましゃん、ぽーてーぷ!」


「これは重ね重ね失礼を。さくらさん、保護者も同伴で踊れるんですよね。ダンスを覚えたら、叶恵か私もついて行っていいですか」


 だから体操だよ……という無粋な突っ込みは忘れてほしい。壮馬、ナイスフォロー。

 あおいがピピクポテプ体操の話題に食らいついているうちに、この場を離れたい。


「ええ、ぜひ! あおいは完コピです。私はいつも、七十三点ぐらいしかもらえないので」

「ぽてぷ、する。かなえーちゃも。しーとにもどる!」


 あおいがやる気になってくれた。助かった。

 さくらは職員さんに平謝りで、展示会場をあとにした。

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