第22話 到着/羽田空港②
その場に、残されたのは。
さくら。叶恵。壮馬。玲。イップク。
壮馬は嫌がっているけれど、イップクの家に連れて行くのがベターと思われる。今の状態のまま、ひとり暮らしの家には帰せない。
そして、玲と叶恵はふたりで空港近くのホテルへ行くだろう。
玲が、返事を聞いてくれるときが、ようやく来た。
「玲。今日は、参加してくれてほんとうにありがとう」
「ああ。俺も、行ってよかった。函館の町はうつくしかったな。じゃあ、そろそろ答えをくれるか」
「うん。今から、返事をします」
さくらはことばを切った。
一度、呼吸を整える。今までに、何度も傷つけてしまった人を、さらに傷つけることになる。
「玲……いくら考えても、答えは同じだった。ごめんなさい。今夜、あなたとは一緒に過ごせません。家族の待つ家へ帰りたい。一分でも一秒でも長く、類くんとあおいと、いたい」
「そうか、分かった」
くしゅっと、玲はさくらの前髪を撫でた。
「困らせて悪かった。答えは変わらないって思っていたが、お前を試した。俺のことで悩ませたかった。ただのわがままだ」
「ううん、私こそ。やっぱり、玲は私にとって特別大切なんだって、再確認したし」
「そういうこと、言うな。期待させるな」
「あ……ごめん」
「あおい用に買った、おみやげを渡してくれるか。お前、仕事が忙しくて、家族への函館みやげはほとんど見られなかっただろ。あおい専用の新しいオルゴールだ。『きらきら星』が流れる」
「あ、ありがとう! すごくよろこぶと思う」
「しばらく逢わない。連絡もなしだ、いいな」
さくらは静かに頷いた。
次、会うときは結婚式かもしれない。玲と叶恵の。笑って出席できるだろうか。
分かっているのに、胸が痛い。引き裂かれるように、ずきずきと痛む。
きっと玲は、さくらが類を選んだあと、ずっとこんな気持ちをかかえていたのだろう。ごめんなさい、玲。苦しかったはず。
「じゃあ、叶恵さん。俺と一緒に……来てくれますか」
玲は、叶恵に右手を差し出した。
指は細くて、染料で荒れてしまっている、懐かしい職人の手を。かつては、さくらに向けられていた、その手を。
「はい。よろしくね」
叶恵は、うれしそうにほほ笑んで、その手を重ねた。やけに初々しく、見つめ合っている。
ああ、このふたり、今夜……単なるわがままだけれども、いやああぁ!
さくらは唇を噛んでうつむいた。また、泣きそうだった。耐えられない。
「……い、イップクさん、帰ろう。壮馬さんも!」
カラ元気だが、自分を励ますように、さくらはあえて大きな声を出した。
「ちっ。今夜だけでも、さくらさんが玲さんとくっつけば、おこぼれにあずかれたのに」
「不謹慎、イップクさん。壮馬さん、立てますか」
荷物もあるのに、壮馬を電車に乗せられる? 三人なら、タクシーでも安上がりかもしれない。そのほうが、ラクに早く帰れそう。
明日も仕事だ。壮馬がこの状態なら、さくらの午後出勤は望めない。壮馬の分まで、今日の残務をしなければ。
「待った、さくら」
呼び止めたのは、玲だった。
仲よく手をつないでいるふたりの姿なんて、見たくもないのに。
おそるおそる、玲のほうへ目を向けてみると。
いったん重なったはずの手は、つながれていなかった。
玲は、叶恵の代わりに(?)、座り込んでいる壮馬をそっと抱き留めた。
「今夜。壮馬さんのことは、俺が引き受ける。いいですよね、叶恵さん?」
さくらは意味が分からなくて、目をぱちぱちとさせた。
「引き受け……る?」
「さくらの上司なら、俺にとっても上司みたいなものだ。予約したホテルに連れて行く。三人で泊まる。叶恵さんも飲みすぎだし、ひとりで帰すのが不安。空港の近くに泊まったほうが、休めるだろ。みんな」
居合わせた全員が驚いた(発言者の玲と泥酔中の壮馬以外)。
「さんにん? さんにんって……本気?」
「ま、まあ。私は、構わないわよ? こんな飲んだくれでも、置いて行ったら寝覚めが悪いし」
「それは『同じ鍵』的に、あかん展開だろ! いやいやいや、そんなばかな、いやん!」
さくら・叶恵・イップクが口を揃えた。
「そんなに驚くことじゃないと思うが」
「でも、『同じ鍵』本編は、一貫して『過激表現あり』にならないよう、読みごたえのある恋愛小説を目指してきたのに……下書き段階で、過激そうな部分は削って公開するよう心がけてきたし……あの類くんだって、変態特殊性癖は別置きの特典小説扱いでしか公開していないのに……まさか、ここで『過激』に転向? そんなに読者さんを増やしたい? 定期的に読みに来てくださる方が、たくさんいるのに?」
「妙な勘繰りはやめてくれ。いいか、預かるだけだ。ひ・と・ば・ん、あ・ず・か・る、だけ!」
壮馬をかかえた玲は、ホテルの直通バス乗り場へと向かった。三人分の荷物を、叶恵が持って。
奇妙な組み合わせだった。
……大荷物(壮馬)をかかえて、行ってしまった。玲。
いつも迷惑ばかりかけてごめん、でもありがとう。やっぱり、玲のことがだいすき。頼りになる。さくらの心の中で、玲は類とは違う、特別な場所に住んでいる。なんて、言えないけれど。また叱られてしまう。
さくらは、イップクの顔を窺った。
「私たちも、帰りますか」
「オレらも、バスに乗る? 新宿方面行きのリムジンバス、あるよ」
「……いや、いい。電車がいい」
「なんで。バスのほうが移動、ラクだけど?」
「だって、イップクさんのとなり、座りたくない。半分密室みたいなものだし、痴漢してきそう」
「ち、痴漢! オレが?」
うん、さくらは強く頷いた。
「ボディーガードとかいいつつ、イップクさんが、いちばん油断できない。朝の飛行機で、シートベルトを装着するふりして、私のきわどいところを触ってきたでしょ!」
「なんだとぉ……今日一日、違うやつとキスしたり、べたべたしまくりだったお前が……ボディーガードのオレを、痴漢扱いするのか? ナニサマだ?」
「私、年上! もっと敬え!」
「許さないぜ、さくら! 類に言いつける」
「だったら、私も類くんに言う! イップクさんが欲望のために、類くんを裏切って玲と取り引きしかけたって」
「ぐぬぬ……!」
「がるる……!」
……このふたり、やっぱりちょっと似ているかもしれない。
***
ホテル行きのバスの中。
さくらと別れた玲は、というと。
完全敗北といった、けわしい顔つきをしていた。
「あなたは、最後までさくらの味方だったんですね、壮馬マネージャーさん。俺どころか、さくら当人まで騙すなんて。あいつ、まだすっかり信じていますよ。酔い潰れたのも、計算だったのですか?」
玲の非難に、壮馬はゆっくりと顔を上げ、にやり笑った。
「……さすがに、ここまで酔うとは思いませんでしたが、下手な演技では誰かに見破られてしまうおそれがありました。玲さんの、さくらさんお持ち帰り計画を阻止できて、本望です。さくらさんの膝枕という対価も得られましたし、しばらくは叶恵のこともシバサキから手放さなくてよさそうですね」
そこまで言うと、壮馬は再びうなだれた。
「あいつを守るのは、俺たち柴崎家のきょうだいだけでじゅうぶんです。過保護はやめてください」
「さくらさんの純粋さは、天然記念物ものです。守らなければ!」
壮馬が、気分が悪くなるまでお酒を飲んだのは、玲の『さくら乗っ取り計画』と『叶恵との初夜』の両方を止めるためだった。
「俺の誘いを、さくらが断るだろうことは分かっていましたが、あなたが余計なことをしてくれたばっかりに、壮馬さんの介護をする羽目になり、叶恵さんとの夜も潰されました」
「まあいいじゃない。明日の壮馬くんは午後出勤でいいって、総務部の人たちも言ってくれたし、私もついて行く」
叶恵がフォローに、壮馬が驚いた。
「え……叶恵、会社に? 休職以来、はじめてじゃないか」
「総務部で、シバサキに復帰したいかもって。今日一日一緒に過ごして、にぎやかで、楽しそうだなって感じた。ほら、これまで所属した部署って、秘書課にしても営業部にしても、裏稼業は言うまでもなく、殺伐としたところが多かったでしょ。玲さん、ごめんなさいね。あなたとは、しばらく友人のままでもいいかしら?」
少し、媚びるような目つきで叶恵は玲に訴えた。こういう、蠱惑的なしぐさは玲の苦手分野である。思わず、視線を外して答えた。
「もちろん、それは構いませんが……」
「が?」
一呼吸おいて落ち着きを取り戻した玲は、穏やかに笑った。
「あいつ、きっと喜ぶと思います。叶恵さんと仲よくなりたい、一緒に仕事をしたいって、しきりに言っていましたし」
「そうね。あの子のいいこちゃんなところは、長所だけど短所でもある。私が、コントロールする方法を教えてあげるとしましょう」
「よろしく……お願いします。母親になったくせに、さくらは世間慣れしていない上に、類とかうちの母親とか、非常識な人間どもに囲まれているので、助かります」
玲は、さくらの代わりに、叶恵に向かって頭を下げた。
「あらあら、玲さんってば。ほんとに、かわいそうなくらい控えめ。そして、さくらさんのことが心底、大切なのねえ。はあ、妬けちゃう! いいなあ、純情主人公。次は、私の記憶を残したまま、さくらさんに生まれてきたい! 『転生したら さくらだった』編、書いてほしいー。そしたら、私の手練手管で何股成功できるかしらね。玲さん、ルイさん、壮馬くん、真冬さんに、ええ? ルイさんの芸能関係者も落とせそう??? 一日が二十四時間じゃ足りない!」
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