第20話  空港→雲の上

「真冬さん! お待たせしました」


 もとの位置に戻った。真冬は、いとしそうに壮馬をかかえたままの姿勢だった。


「早いなあ、さくらさん。ちゃんとトイレも行った? 俺を見て濡れちゃったとこ、ちゃあんと拭いてきた?」


 ええ? やっぱり真冬も、そういうキャラクターなの? 見た目はビジュアル系ボーカルなのに。


「ご、ご心配なく」

「今度は、ほんとにゆっくり来てくださいね(笑顔)」

「はい」


「えっちいムードの高まるお店も紹介するし」

「はい……って、それはいいいいいいいいいいです!」


「遠慮しないで。あははっ。さくらさんって、ほんとにおもしろいね。俺、函館店が軌道に乗ったら、本社に帰ると思うんだ。そしたら、一緒に働こうよ。壮馬さん、きっと総務部はそろそろ卒業して昇進だろうし、代わりに俺が総務に入る(希望)」


「真冬さんが? 総務へ?」

「入社→研修→営業・店舗勤務→総務、っていうのがシバサキでは出世コースなんだ。そのあと、商品企画部とか建築事業部もあるけど」


 さすが、壮馬マネージャー。出世道を突き進んでいたのか。


「仕事の合間にさー、俺とえっちいことしようよ。総務って、会議室とか使いたい放題でしょ。ボイラー室、資料室、仮眠室。いろんなシチュでできるよ。おもしろそうでしょ(下心)」

「しませんってば!」

「また、本気で信じちゃうし……かわいいね、さくらさん。あ、髪に糸くずがついてる。取ってあげるから、ちょっとこっちおいで」


「え、糸……?」


 さっき、鏡を見てメイクを直したばかりなのに。顔は見ても、髪はノーマークだった? 女子のくせに、情けない。


「もっと近くに来て? からまっているから、自分じゃ取れないよ」


 真冬は、さくらの腕をぐいっと引き寄せると、その勢いでさくらにキスをしてきた。太腿の上には、壮馬を寝かせたままの体勢で!


 今日、はじめて逢った人なのに。


 さくらはあわてて身を離し、触れ合ってしまった唇をごしごしと袖でこすった。


「~~~~~!」


 もちろん、周囲もざわざわしている。両手に花状態の真冬に、視線集中である。


「おっかし……人妻のくせに、こんなにガードの緩い子、はじめて。素直っていうか、バカ正直っていうか……ルイさんも心配だろうなあ、くっくっクック……あっちが、どれぐらいいい感じなのか、唇を見ると分かるんですよ、俺。今のキスで確信した。さくらさん、たぶんすごい(断言)」

「いいいいいいいいい? かんじ?」


「あー! 帰京が楽しみだな。せいぜい、ルイさんとがっちり励んで経験値を高めておいて。なんなら、三人でえっちいことしましょう。今のルイさんはさくらさん一筋でしょうけど、本来はそういうのも好みでしょ? 俺、以前に少しモデル活動もしていたんで、噂はいろいろと耳に。ほら、壮馬先輩。そろそろお時間ですよ(愛の鞭)」


 ぺちぺち、と壮馬の頬を軽くはたいて合図した。


「……う……あれ、真冬? ここ、どこだ? 函館店……か?」

「寝ぼけないでください、帰るんですよ。もう函館空港ですよ(呆れ)」

「くうこう……? あたま、痛い……」


 真冬は壮馬の頬をつねった。ぎゅっと。


「酔い潰れるなんて、先輩らしくないですね。どうしちゃったんですか。さくらさん、壮馬さんは相当たまっちゃっているんだと思います。ボランティア活動の範囲でいいので今度、かるーく相手してあげてください。手とか口とか、もちろん道具でも構いません。最悪、俺でもいいんですけど、先輩は女の子のほうが好みですよね(真顔)」

「「こえ、おおきい!」」


 さくらと壮馬は同時に突っ込んだ。これ以上、あぶない発言が続いたら、『過激表現あり』になってしまうでないの! これまでの努力が水の泡よ?


***


 まだ、青白い顔の壮馬の肩を支えながら、さくらは手荷物検査場を通った。参加者の取りまとめは、ほかの総務部社員にまかせている。さくらは『壮馬係』だった。


「さくらさん、マネージャーの様子どう?」

「ひどい顔色だね」

「引き続き、介抱してあげてね」


 飛行機の座席は、もちろんさくらが壮馬のとなりになった。

 三人掛け席、残るもうひとつは……。


「飲み直しましょう♪」


 新しいワインを仕入れてきた、叶恵だった。『同じ鍵』、飲んだくれキャラばっかり。はああぁ。


「どれだけ飲むんですか! 身体によくないですよ!」

「ワイン、おいしいわね。ビール派だったけど、転向しようかな」


 おたるワインといけだワイン、あとは七飯(ななえ)シードルを手に持っている。重いだろうに、ご機嫌だ。


「ななえシードル、きみに決めたー! ねえ、かなえとななえ。似ているでしょ。かわいい語感なのに、漢字だと『七飯』。字面はあんまりよね」


 どこかで聞いた決めセリフとともに、シードルを掲げて見せた。


「ビールよりアルコール度数が高いので、ワインは酔いますよ。糖分も高いし」


 類も、『シャンパンおいしい』と言いながら、泥酔することがたまにある。よくある。しょっちゅう、ある。それで、しつこくからんできたり、あおいの前でも濃厚なちゅーをしてくるので、ほんと始末が悪い。


「だいじょうぶ。だって、空港近くのホテルに泊まれるんだもん、今夜は。ねえ、妹さん?」

「い、いも……うと!」


「だって、そうでしょ。あなたは玲さんの誘いを断る。永遠に私は二番手だってことは不本意だけれど、そこからはじまる恋もあるわね、きっと」


 このあと、玲と泊まる予定だから、よ、余裕なんだ……! 吉祥寺の自宅まで帰ることを考えると飲みすぎ注意だが、なるほどそれで気が大きくなっているのか。


 この人を、姉と慕えるのか? 玲を渡してしまっていいのか?

 でも、玲と過ごす選択肢はない。ありえない。黙って、玲のしあわせを祈るしかないのだ。


 玲はすっかりイップクと意気投合し、今も並んで座っている。

 ほかの乗客の多くがおつかれの様子で眠っているにもかかわらず、玲の席周辺からは笑いが聞こえてくる。ていうか、イップク、声が大きい……!


 さくらは搭乗前に買い込んだサンドイッチを食べる。おなかが空いていた。


「今日はいきなり、水をかけてしまって悪かったわね」


 叶恵は、ななえシードルを飲みながらつぶやいた。


「え……あれは、わざとだったんですか」

「もうう! 当たり前でしょ。故意よ、故意。それ以外になにがあるっていうの。ほんとにいい子ちゃんで、鈍感。そういう、チョロそうで簡単に落とせそうなところが、男どもに好かれちゃうんだろうなあ。あの『北澤ルイ』が学生結婚までして、モデルも引退させた選ばれし女なんだし、興味を持たれて当然。あなたは、もっとしっかりしなきゃだめ。ルイさんが、狂ったように心配するのも分かる」

「は、はい……」


 まったく反論できない。


「ルイさんも『ぼくのさくら自慢』が過ぎる。外見は鈍感で純情そうでいて、身体は調教されまくりなんだし、男には垂涎もの。そこのとなりで寝ている、マジメなのに不倫している上司にだって、油断しちゃだめよ。介抱という名目で、おさわりされていたでしょ」

「おさわりって。違いますよ、壮馬さんは」


「恋人から禁欲命令が出ているんだって。かわいそうに。あなたとルイさんみたいな、いちゃらぶ夫婦を間近で見たら、やっていられないでしょうね。壮馬くん、A子さんと早く別れればいいのに」


 叶恵は饒舌だった。


「しかも! 函館の店長に言い寄られていたでしょ。シバサキの男は、ほんとにケダモノ揃い」


 それは、同意かも。聡子の趣味なんだろうか? 苦笑いしかできない。


「……この夏……あなたたちがマンションを引っ越していったあと、聡子社長の家に何度か、お手伝いで入らせてもらったの。掃除したり、簡単にごはんを作ったり。家事って、私も苦手だけど、聡子社長はその上を行くレベルで壊滅的。もちろん、あなたのお父さまにも会った」

「父さまに、ですか」


「あなた、お父さまにそっくり。いつも笑顔で人がよくて、社長の言いなり。だけど、そんな状況すら、楽しんでいるっていうか。聡子社長を包める人は、あなたのお父さまぐらいね」


 褒められているのか、けなされているのか。さくらは判断に困った。


「父ひとり、子ひとりとはいえ、あたたかい家庭だったんでしょうね。ましてや今は、大家族。これからも、もっと増える。うらやましい……」


 そこまで一気に言い終わると、叶恵はワインボトルをかかえながら寝てしまった。さくらは叶恵の腕の中からボトルを取り上げてぎゅっと栓を締め、半開きのバッグにしまってやった。


 叶恵は、家族を欲している。


 今夜、玲と結ばれて、きっと夫婦になるのだろう。

 最初、倹約生活は大変だろうが、叶恵ならうまくやれると思う。姉、と呼べるようになるまでは時間がかかるかもしれないけれど、前向きに受け入れたい。

 叶恵は結婚したら工房を手伝うはずで、シバサキを卒業してしまうのは残念。でも、叶恵のためだ。



 そうして、もうひとりの酔っぱらいも、静かに寝ているというか、倒れている。ほとんど気絶。


 温厚な壮馬が酔うなんて、そして不倫していたなんて信じられない。


 はじめての社外活動、いろんな面が見られた。


 また、おでかけしたい、みんなで。今度は泊りがけとか……温泉、いいなあ。類とあおいも連れて行きたい。涼一の会社のホテルにプランを作ってもらおうか。



 あれ、自分もだんだん眠くなってきた……さくらの瞼も、いつしか閉じていた。

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