第17話 函館山/勝負②

「じゃあ、勝利おめでとう」


 かんぱーい、と叶恵は壮馬の持っていた飲みかけ白ワインで乾杯した。


「ありがとうございます」


 でも正直なところ、もう水でいい。水がいい。さくらはワインに口をつけるふりをした。


「じゃあ、壮馬くんのとってもとっても恥ずかしい話!」


 叶恵はとても機嫌がいい。ここは、頷いて同意しておこう。


「壮馬くんのお相手、上司だったんだけど……そうね、仮にAさんとでもしておこうかしら。ふたりが知り合ったとき、すでにAさんは結婚していてね。不倫」

「『別れさせ屋』の存在に反対している壮馬さんが、そんな関係になるなんて、意外です。道ならぬ恋の話は、壮馬さんから直接聞いたのですか?」


「見ちゃったの、資料室で。私、営業部の前は秘書課にいて。社長の作る書類をまとめるのに、データ化されていない未整理の紙書類を取りに行ったついでにね。壮馬くんたちが、資料室で! しかも就業中に! あられもない姿で、雄と雌だった!」

「しりょうしつで、ですか」


「あの部屋は、ふだんほとんど人がいないし。鍵も、総務部が預かっているし、都合のよい逢い引き部屋に使われていたのよ」


 なんか、全然想像できない……! あの真面目な壮馬マネージャーが社内で……?


「Aさんは、年下好きだったのね。壮馬くんはあの通り、ふだんは穏やかでやさしい人だから、Aさんには癒しになったのかも。でも、そこはシバサキ。『別れさせ屋』……Bさんが登場。といっても私じゃなくて、男性社員であるBさんがAさんに接近して」

「せ、接近し、て?」


「AさんはBさんに夢中になって、あっという間にふたりの仲は崩壊」


 うわあ、ひどい。Aさんもひどいけれど、シバサキ(聡子)もひどい。


「でもほら、そこはさすがの聡子社長。Aさんが本気でBさんに恋したとたん、Aさんとその夫を地方に飛ばしてしまった。Aさんは降格で事務職に、その夫は店舗勤務をしているはず」

「な、生々しいですね」


「まあね。壮馬くんを私が誘惑して、おしおきするプランもあったけれど、壮馬くんは社長の期待の星だからね。なるべく傷つけたくなかったみたい。でも、壮馬くんはあの通り真面目で純情だから、Aさんとのことをずっと引きずっていて……なにかの拍子に再会して、不倫も再燃。本人は内緒にしているつもりようでも、ああいう関係は隠し切れないものだし、でもAさんの夫は離婚したくないみたいで」


「か、叶恵さんが誘惑する計画!」

「そんなに驚かないでよ。あのオバサンとの関係をぶった切れるなら、私が壮馬くんにおしおきしたかったなー」


 Aさんからオバサンに転落である。しかも、あけすけに。


「けっこう年上だったんですか、その、お相手の女性って」

「うん。それに、きれいでもないし。壮馬くんがもったいない。たぶん、ベッドがうまかったのね。経験の浅い壮馬くんはトリコになった」


 ……あられもない。会社ってみんな、こんなんなの? まさかね。シバサキが特殊なんだよね??


「そ、それで、お相手のAさんは今も地方に? 密会は続いているんですよね? Bさんって『別れさせ屋』は誰ですか? もしかして、今日参加しています?」

「そんなにたくさん聞かないで。壮馬くんとAさんの仲は続いている。社長は気がついていないと思うけれど、いずれ知られて壮馬くんの立場が悪くなる。Bさんについては、自分で調べなさい。あなた、『別れさせ屋』を撲滅して社内を一掃するんでしょ」


「は。はい……」

「そんなちっさい声じゃ、誰にも聞こえないわよ!」


 そう言いながら叶恵は、さくらの背中をべちべちとたたいた。痛くはなかった。激励……と、とらえてもいいだろうか。


「あの、今からでも遅くないと思います。壮馬さんと、お付き合いしたらどうですか。おふたりは、その、勝手知ったる仲っていうか、遠慮がいらない関係、強い信頼で結ばれているような気がします」

「へえ……ルイさんの次に大切な玲さんを奪われそうだから、新しい手口で諦めさせようと? 姑息ぅ」


「そういうわけじゃありません。だけど、玲は柴崎家の人間ですし……今後も、叶恵さんが傷つくかもしれません」

「あなたが今夜、玲さんと過ごすなら彼を諦めてもいい。でも、断るんでしょ? さっそく、私を『お姉さん』と呼んでもいいのよ、さあ! 『お・ね・え・さ・ん』?」


 なんか、性格変わった?

 いや、以前から図々しい……強気なところはあったけれど、今夜はやけにぐいぐい来る。


「お……お話、ありがとうございました。私たちも、そろそろ集合しましょう」

「ふうん、逃げるのか」


 笑顔の叶恵は、ワインをすっかり飲み干していた。


「私は逃げないわよ! ハコダテのバカヤロー!」

「叶恵さん? どうしたんですか、急に。酔いが回ってきました?」


「ここからね、住んでいた家が見えるの。思い出したくないのに。ああもう、今夜は、はじけちゃおう! ばかやろー! ほら、あなたも!」

「え、ええ? 私はこの町、いいなって思いましたよ? コンパクトなのに、海も山も歴史もあって」


「そんなん、鎌倉でじゅうぶん! ここは蝦夷地! 寒くて不毛だった土地! 歴史だって浅い! 人口流出ざまあ! 駅前に新幹線の駅が作れないなんて無能! ば・か・や・ろー!」


 語尾は、泣いていた。


 函館の街に吹く強風は、過去に何度か大火を引き起こし、すべてを焼き尽くしたという。けれど、今ではきらきらのまぶしい夜景がある。


 函館はまるで、叶恵の痛くて暗い過去と、うつくしい容姿を映しているようだった。


 さくらは反論した。


「でも! 今の叶恵さんは、いつだって、悔しいぐらいに素敵です! 堂々としていて、自分を持っていて、余裕があって! そして、きれいだし! 叶恵さんを育ててくれた函館に感謝です!」

「あなた、いいこちゃん過ぎる。私、あなたのダンナと義兄を取ろうとしたのに」


「私、姉とはまだ呼べそうにありませんが、叶恵さんのこと、いつか好きになりたいです」

「あきれた子ね……」


「うまく言えませんが、函館時代の叶恵さんがいて、今の叶恵さんがいる。それだけでじゅうぶんです。過去は過去。お互い、前を見て進みましょう」

「……玲さんを、いただくわよ。それでも?」


「う……、ふたりが心底愛し合っているなら、私に反論はできません……玲を、しあわせにすると約束してください」

「あらあら。面倒そうな義妹さんだこと。さあ、そろそろ私たちも集合場所へ行きましょうか」


 酔っぱらい女子二名による、絶叫大会が終了した。


 次こそは、この夜景を、類とあおいと見たい。また、来るぞ!

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