第16話 函館山/勝負①
その場の流れで、叶恵が審判になった。
さああっと、ロープウェイが下りてゆくのを、三人はなんとなく見送った。ガスにさえぎられ、夜景を諦めて帰ってゆく人も多いようだった。
「空港行きの集合時間も迫ってきているし、勝負は……次のロープウェイが上がって来るまでの時間にしましょう。山頂駅に到着したら、そこまで。残量が少ない人の勝ち。それでいいのよね、壮馬くん」
異論はなかった。
飲む量は、さくらのほうが圧倒的に少ない。けれど、アルコール慣れしていないぶん、壮馬が勝ってもおかしくはない。
弾丸ツアー……新店舗の見学じゃなかったの? プチ観光のはずだったよね?
叶恵とは、(ほんの少しだけ)距離が縮まったみたいだけれど、玲には最後のお願いをされるし、便乗してくる輩(あほ)も出てくるし、楽しみにしていた夜景がガスで見えなくて、まるでヤケ酒みたい。
「勝負。用意、スタートぉ!」
徒競走のスタートみたいな、やけに明るい叶恵のかけ声とともに、さくらはワインの栓を開けた。もっとも、コルクではなくて、スクリューのキャップだけれど。
うう、ボトルの中のワインは、思ったよりもだいぶ残っている。
叶恵が、もっと飲んでおいてくれたら助かったのに。
覚悟を決めてボトルを傾け、えいっと飲む。
口の中に絡みつくような、赤の芳醇さ。そして、追いかけてくる酸味。
「意外と、いい飲みっぷり」
ほんとうはこんなこと、してはいけない。ワインの作り手さんにも失礼だ。
「でも、壮馬くんはさすがね」
横目で、壮馬のボトルを確認した……開始三十秒、すでに半分が減っていた。は、ハイペースすぎる!
さくらは三口飲んだところで小休止。水を飲む。
「そ、壮馬マネージャー? そんな勢いで飲んだら、危険です!」
「人の心配をする前に、自分の心配をしたほうがいいですよ、さくらさん」
この勝負、長引いたら負ける……! でも、一気飲みなんてできないし、したらいけない。
動揺するさくらのとなりで、壮馬はペースを崩さない。
そんなに知られたくないの? 想像以上にあぶない案件? どんだけ秘密主義?
「さくらさん、飲むのは水ではなくて、ワインですよ」
壮馬は、余裕の笑みに変わった。
「わ、分かっています。もちろん、分かって……あっ!」
目を開けていられないほどの、強い風が吹いた。思わず、さくらは身構えた。飛ばされないように。
函館は海からの風がとても強いと聞いていたけれど、これは立っているのもつらい。
「ちょっと、目を開けてみて。さくらさん。ほら、ガスが切れて、晴れてきた!」
叶恵が大きな声ではしゃいで、さくらの肩をゆすった。
今、『さくらさん』って呼んでくれた? 『あなた』とか『その子』ばかりだったのに。
「わあ……!」
目の前に、函館の夜景が広がっていた。
暗いふたつの海の間を、たくさんの光が浮かび上がっている。帯状に。きらきらと。
「初めて見ましたが、これは絶景ですね。人気になるはずです」
壮馬も、ワインを傾けている手を休めて身を乗り出した。
きれい、ということばだけでは言いつくせない。曲線が、とてもうつくしい。両手を伸ばせば、掬えるのではないかとさえ思える。
類と見たかった。あおいにも見せたかった。
写真ではなく、目で。
ずっと見ていたい。
三人は、夜景をしばらく見守っていた。
空が晴れてきたのを知った観光客も、一気に展望台へと出てきて、たちまち周囲はにぎやかになった。
「……はい! 勝負、そこまで!」
いきなり、叶恵がふたりのワインボトルを取り上げた。
「このタイミングで、強奪するのか?」
「叶恵さん、こぼれますってば!」
「勝負終了合図のロープウェイ、到着した。夜景に見とれて、気がつかなかった?」
「「あ。ええ?」」
は、早すぎる……勝負時間、十分もなかった。
そのうち、夜景に目を奪われていたときは、さくらと壮馬はワインを一滴も飲んでいない。実質、三分ぐらいだったような。
「さくらさんの勝ちね。確かめてみる?」
主に、壮馬のほうへ向かって話しかけた。
「勝負の時間が、短すぎる。これでは、逆転は不可能」
もちろん、壮馬は不満を漏らした。
さくらのボトルのほうが、ワインの残量が少なく、軽い。壮馬のボトルには、ワインが半分近く残っていた。
「『次のロープウェイが到着するまで』って言ったとき、反対意見はなかったし。夜景に見とれた壮馬くんの失敗。ねえ、時間。そろそろ、社員たちを集合させたほうがいいんじゃない? ほら、総務部の壮馬さん?」
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