第13話 オプションツアー バス・元町

 五稜郭公園の中をざっとぐるっと見学した一行は、再びバスに乗り込んだ。

 函館店のあるベイエリア方面へ戻り、さらに進む。



 元町はその名が示す通り、開港初期に栄えた地域。

 古い街並みの中を、ゆっくり路面電車が走っている。倉庫や蔵を改築したカフェやお宿などが点在していた。


 函館山へ続く坂道の途中には、外国人も多く居留したため教会が建っている。と思ったら、お寺や神社もある。日本人の許容の広さがうかがえる。

 迷子騒動に巻き込まれ、さくらは少しだけ冷静に戻った。


 次、玲と話せる隙ができたら断る。断る。断る。

 自分の相手は、類しか考えられない。一夜でもほかの人なんて、想像すら無理。


 なのに、玲はさくらに話しかけるタイミングを一秒も与えない。絶対に、わざと……! ずるい! こんな復讐って、あり? いや、人のこと、言えないけど……。


 時計を見た。午後四時半。帰宅できるまで、まだまだだった。


「さくらさん、写真を撮ってもらえませんか」


 ショウタの父だった。


「はい、喜んで」


 八幡坂の広い坂道を背景に、親子の姿をカメラにおさめる。港を見下ろす方向、上り坂の山方向、どちらも絵になる。


 ショウタはすっかり元気を取り戻していた。笑顔が愛らしい。おもしろポーズをたくさん決めてくれる。


「つぎは、おねえさんと、いっしょにとりたいな!」


 さくらはショウタにリクエストされて、たくさんの写真を撮ってもらった……通りすがりの玲に!


「もっと笑って、さくら。あ、路面電車来た! シャッター、チャンス!」


 じわじわと、意地悪をされる。今、迷いをかかえているのに、笑えない。


「えがおえがお! さーくーら?」


 小さい子どもにまで、突っ込みされた。

 しかも、ショウタはさくらにだっこを要求したばかりか、無防備だったさくらにキスしてしまった。


 ちゅっと。


「げんきのおまじない!」


 唇が触れ合ったのはほんの一瞬だったけれど、思わずショウタの身体を落としそうになった。


「うwわwあ! すみませんすみません、ショウタお前なにしてんだっ」

「だ、だいじょうぶです! ちょっと、驚いただけで」


 玲の顔をそっと見たら、嫉妬しているらしく、ショウタを睨んでいた。男の子のいたずらなのに。


「おねえさん、げんきだしてね」

「う、うん。ありがとう」


 その場を逃げるように去って行った、ショウタ父子。


『おかあさんのちゅーより、やわらかかった』などと大声を放つショウタの口を、『やめてくれ、あのおねえさんはルイくんの奥さんなんだよう、どうしよう、飛ばされるかも』と、父親が必死におさえていた。


「……路上チュウかよ。浮気旅行、確定だな」

「浮気じゃないよ、おまじないだって」

「くっそ。あんな小さい子どもにまで奪われるなんて」


「だから、おまじない。そもそも、玲が変なことを言うから、笑えなくなったのに。私、今夜は無理だから。ぜったいに帰ります」

「答えは羽田で聞く。せいぜい、苦しめ。ほら、見ろこれを」


 突きつけられた携帯電話の画面には『予約完了』とあった。


「これって、もしかして」

「もしかしなくても、今夜のホテルの予約。空港そばの高級ホテル。エグゼブティブフロア? の、セミスイート。俺にしては贅沢した。当日予約で、かなりお得だったけど」

「ふだんは守銭奴なのに、信じられない! 私、明日は普通に仕事だよ? 着替えもないし、急な外泊を類くんに説得できないし」

「その辺も手配済だ。なんとかする」


「いつからそんな強引になった? 『同じ鍵』、俺様キャラ、多すぎ! 玲はもっとやさしくて、あたたかい人だったのに」

「今日は人生最大の勝負だと思っている。お前を抱ける、最後のチャンスだ。逃したくない。お前がほしい」


「うそ……やだ……ほかの女の人と、結婚を意識しているくせに、私となんて。そんな玲、やだ。類くんに言う。お母さんにも言う。玲の倫理観が、おかしくなったって」

「ひと晩だけじゃないか。減るもんでもないし。しかも、相手は俺。かつての両想いだった男。叶恵さんは、なんでもない男とたくさん経験してきたんだ。お前もやってみろよ、『別れさせ屋』ってやつを。そうでもしないと、叶恵さんの心には寄り添えない」


「『別れさせ屋』の仕事のこと、知っていて、叶恵さんと結婚するつもりなの?」

「ああ。吉祥寺店事件の内容も聞いている。さくらたちが知っていて、あえて黙っていることも。今夜は楽しみだ。なあ、そこに隠れている協力者くん?」


 玲の視線の先には、イップクがいた。

 ……最悪、としか。



 元町観光を続ける、と言い残して玲はさくらの前から消えた。

 坂の途中に、ふたり。

 さくらと、イップク。


「なんなの、『協力者』って」


 しばしの沈黙のあと、さくらは口を開いた。


「文字通り、『協力』ですよ。玲さんの計画の」

「なにを協力するの? イップクさんって、私のボディーガードじゃなかったっけ? 今、さくらの大ピンチだよ。そもそも、玲は類くんのライバルで」

「さくらさんのことは守る。この玲さんとの件、類には内緒にしておきます。むしろ、協力する」


 いや、そこ協力? なんかおかしいよ。いつから玲派に転向? 玲もイップクも、こわれちゃったの?

 さくらが困っていると、とどめのひとことが降ってきた。


「類には内緒にするから、さくらさん。だからオレにも一度、させてくれ!」


 そ……それが目的?


「類が言う、最高の身体を知りたい」

「はあ? 浮気に浮気の上書き? イップクさんは、類くんに影響されすぎだよ。私が、最高なわけないのに。類くんは私のことが大切だから、最高って思うんだよ。妻だし母親だし、色メガネかかっているから」


「悪いようにはしない」

「類くんに言いつける」


「そしたら、玲さんとのことがバレるぞ。たとえ断っても、そういう流れになったってだけで、類は激怒だろうなあ。血が流れるかもしれない。だったらこのさい、ひと晩だけ、玲さんに抱かれろよ。もともと、両想いだったのは玲さんなんだろ。玲さんは長年の思いが遂げられて、さくらさんは玲さんと叶恵さんとの結婚が止められる、オレのひそかな願いも届いて、類にもバレない。叶恵さんは会社に残る。ほら、いいことずくめだぜ! さくらさんは、類しか知らないんだろ? ほかの男も試してみろよ」


 この案件、ややこしくなっている! それに、そんなにうまく行くはずがない。暴論。


「い……いやいやいや、無理だって。できないって。類くんやあおいに早く逢いたい」

「いいじゃん、俺が類に話しておく」

「できないったら、できない」


「強がるのもそこまでだ。言っておくけど、壮馬さんもこっち側……玲さんの味方だ!」


 はあああ? なにそれ?

 ……結婚に反対、なんて言い出すんじゃなかった……


 なんなの、このハードモード展開は。



 人妻で、一児の母なんだけど自分?


 みんな、敵に見えてきた。心を許せる人はいない。早く、帰りたい!


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