第5話 機内/雲の上

 さくらの搭乗は最後だった。


 チケットをかざして自動改札を通り、きれいな乗務員のお姉さんたちに見送られて通路を歩く。


 これより、約一時間半のフライト。午前10時5分、出航。


 地上は、晴れの好天とはいえ、上空は分からない。気流の関係で、揺れたらどうしよう。どきどきが止まらない。

 しかも、さくらのとなりの席はイップク。少しでも不安を見せたら、なんて冷やかされるか。


「飛行機、今日が初めてなんだってな、さくらさん。二十三で! ぷっ」


 どうしてこの人、いつも声が大きいの? 周囲の失笑を買ってしまった。二十三歳で飛行機初なんて、恥ずかしいのに。


「そうだよ、初めてです」

「離陸と着陸のときは、トンネルに入ったみたいに、耳に負担がかかるかも。これ、舐めとけ」


 そう言って、キャンディを二個くれた。レモンとグレープ味の、のど飴。自分も一個、口に放り込んでいる。


「なんだ、こっちの味がよかったか? ピーチ味だけど。『さくら』……ピンク色には、通じるものがあるけど」

「い、いや。なんでもない。どうもありがとう……」


 無粋なのか、やさしいのか、つかめない人だ。さくらはグレープ味をいただいた。


 叶恵の座席位置を確認する。相変わらず、玲と壮馬マネージャーに挟まれていた。


 まさか、玲だけではなく、壮馬も狙っているんだろうか? そうしたら、総務部に来てもらう計画が崩れてしまう。

 壮馬は、恋人とうまくいっていないと、この前ちらっと愚痴をこぼしていた。だからって、同じ部署内で恋愛はよくないよね……。


 メガネをしていない叶恵。コンタクトに替えたのだろうか。とてもきれいだ。見とれてしまう。


 すると、玲と視線が合った。とっさに、手を振って合図したが、無視されてしまった。


「携帯、電源を切ったか?」

「まだだった」


 類に連絡をしたかったけれど、電源はオフ。


「ほら、シートベルトも」


 イップクはなかなかの世話焼きだった。さくらの腰に手を回し、ベルトを装着してくれている。


「まったく、あんたみたいな女がいいなんて、類の思考がよく分からん。そんなに、ここの具合がいいのか? 類はいつも、まじ最高傑作だって言うけどさぁ」


 イップクは、さくらの股関節の、かなりきわどい場所を、ぽんぽんとたたいてきた。


「ちょ! イップクさ……!」


 無防備だったさくらは、今さらあわててイップクの手をどかした。


「身体よりも料理の腕で、類の胃袋をがっちりつかんでいる系か。ほら、そろそろ動くぞ。構えて」


 どさくさまぎれに、セクハラじゃなかった? 調子に乗ると、あぶない? さすが、出世街道を女性関係で棒に振った男。

 次、妙な行動をして来たら類に言いつけてやる。


「なんだよ、構えないのか」


 悪びれもせず、イップクはさくらに尋ねた。


「か、構えってなに」

「ほら。映像を見ろよ。初心者はあの姿勢で乗り切るといいぞ。前・傾・姿・勢!」


 機内には、緊急脱出時の手順が流れている。


「そうなの、あれ?」

「生きて、類のところに帰宅したいだろ? 今晩も、めちゃくちゃ抱かれたいんだろ?」

「ぐ、ぐぅ……」


 無知なさくらは、イップクの助言通り、身体を折りたたむようにして前かがみになった。


「お。素直で、いいねえ」

「イップクさんは? しないの?」

「オレは、飛行機に慣れているんでね! 陸上の遠征や合宿でたくさん乗ったし」


 がたん、がたんと揺れはじめた。

 滑走路を進み、機体のスピードがぐんぐん上がってきた。エンジン音も大きく響いている。


 後ろに引っ張られるような感覚。そして、ふわり感。


 さくらは、類とあおいの名前を心の中で何度も呼び、玲にもらったお守りを握り締めた。


「そそそ、そ、空が真横に……!」


 小さな窓から、東京の街並みがちらっと見えた。海なのか空なのか、青が広がっている。


 そして、雲に突っ込んだ。がたんと揺れた。


 さくらは目をつぶった。


「わあ! やだっ」


 大慌てのさくらに、まわりの苦笑が続いている。


「さくらちゃん、だいじょうぶだって」

「雲を抜けたら、安定するから」

「今日は揺れないほうだよ」


 総務部の先輩たちが、やさしく声をかけてくれた。


「はい。ひとりで騒いで、すみません……」


 うれしいけれど、こわい。下を向いたままでいる。出発したばかりなのに。


「くっくっくっ! いつもは……類に厳しいさくらさんが……ぷっ!」

「わらうなー!」


 ジェットコースターは好きなのに、飛行機は怖い。となりに、類がいないせいもある。

 ……いや、だめだ。そんな考えでは。類に、頼り切りな自分を変えたい。

 さくらは、歯を食いしばって顔を上げた。


***


 高度が安定すると、シートベルトランプのサインが消えた。


「さくらさん、だいじょうぶですか」


 うわあ。壮馬マネージャーが、わざわざさくらの様子を見に来てくれた。や、やさしい。感激。どこかのセクハラ社員とは違うね!


「はい。なんとか」

「お水、飲みますか?」

「だいじょうぶです、ありがとうございます。壮馬マネージャーこそ、叶恵さんはどんな様子ですか」

「玲さんと会話が盛り上がって、楽しそうですよ」


 そうなんだ、よかった……と、素直に言い切れない。複雑。


「さくらさん、落ち着きましたら」

「はい!」


「……今日の日程の確認、よろしくお願いします」

「は、い」


 壮馬の用件は、仕事の話だった。だよね、そうだよね。


 イップクに笑われている、くっそう、こいつ……許さん! こんなにうるさくて(面倒くさい)濃いキャラ、『同じ鍵』には、もう要らないんじゃない?


「日程、オレにも見せてよ」

「しおり、配ったでしょ?」

「まー、いーじゃん。いよっ、総務部の幹事っ」


 今回の参加費は、ひとり一万円(食事代・空港までの交通費別途)。

 不足分は、会社が負担してくれる(聡子社長の英断)。



11時25分 函館空港到着。

12時 ベイエリア到着、各自昼食

13時半 シバサキ函館店見学(~15時)以降、自由時間(※)

18時 函館山集合、見学。空港へ

19時35分、函館空港出発

21時00分 羽田空港到着、解散



 今回、さくらはツアーの幹事として、遠出はできないし、常に連絡のつく状態でいなければならない。


『昼食』と『自由時間』(※)。


 どちらかは、叶恵と一緒したい。玲を使って、おびき寄せられるだろうか……ごめん玲(餌)!


 自由時間に(※)がついているのは、別途オプションがあるからだ。

 希望者には、総務部が引率する観光ツアーが組まれている。函館はそれほど広い街ではない。駆け足観光でも、めぼしい場所はバスツアーで巡回できる。


 あとは、このうざい人をどうやって切り離すか。イップクにまとわりつかれていると、仕事にならない。


「オレ、函館は五回目なんだ」

「そうなの?」

「親戚の家があって。去年も就職の報告をしに、来たんだぜ。函館店に赴任するとか、早めに言わなくて助かった。大恥をかくところだった」


 ということはもしかして、街にも詳しい? 自由時間にさりげなく案内してもらって……いや。だめだ。叶恵は函館出身だった。イップクよりも函館を知っているに違いない。


「中途半端で、使えない」


 ぼそっと、さくらはこぼした。


 叶恵は自由時間をどのように使うのだろうか。

 新しい観光スポットもあるけれど、函館山や五稜郭などの定番はさんざん行っただろう。


 せっかくの北海道☆函館、一泊して帰る社員もわりと多い。明日、有休を取れば週末と合わせて四連休になる。

 叶恵は日帰りで申し込んでいたが、実家に寄るのかもしれない。函館とひとくちにはいえ、広い。


 さくら自身は存分に動けない。イップクはたぶん、(おしおきを受けた)叶恵さんと関わりたくないはずだ。

 

 となると、頼りになるのは玲しかない。


 しかし、玲にはすでに叶恵が張りついている。空港で会ってから、トイレ休憩時間以外は常に一緒。ううむ、割り込むか……メールで連絡を取り合うか。


 さくらの横では、しきりにイップクがしゃべり倒している。BGMにするにはやかましいけれど、飛行機が怖いとかマイナスなことは考えないで済んでいる。


 とりあえず、函館空港に着いたら玲をつかまえるか、携帯に連絡しよう。


 叶恵を立ち直らせる。聡子を見返してやる。そして、『別れさせ屋』の廃止!

 類に手伝ってもらわなくても、さくらでもできるってことを示していかないと!

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