第4話 出発/羽田空港④

 類は、足早に去ってゆくふたりに、手を振って見送った。


「あーあ。行きたかったなあ。さくら、だいじょうぶかな……」

「ぱぱ、いきたかった?」

「今度、あおいとみんなで行こうね。海がきれいだよ。夜景も、きらきらの宝石みたいなんだ」

「うみ、いく! きらきら、すき!」


 あおいは、手をたたいてよろこんだ。類はあおいの頭を撫でてやる。


「よしよし、いいこ。で。母さん、だいじょうぶ?」

「……いや、無理。帰りましょう」

「駐車場まで歩ける? 車イスを借りようか」

「歩きます。ゆっくりでいいわよね」


「そろそろ、公表して会社を引退したほうがいいんじゃない? おめでたでしょ、何ヶ月?」


「……あなたは、なんでもお見通しね。さすが、類。検査薬で、陽性が出たばかり。まだ、涼一さんにも内緒なのに」


 聡子は、皆に続く次の子を、妊娠していた。目下、つわりである。


***


類「みなさん、こんにちはー。類でーす。

  今回のぼくは、なんとまさかの、お・る・す・ば・ん……!


  ひどいよ、こんなのってあり?

  メインヒーローが留守なんて!


  信じているけれど、さくらのことがとても心配。本音では、一緒に行きたかった。ぼくだったら、はじめての飛行機におびえるさくらを抱き締めてちゅっちゅして、恐怖なんて忘れさせてあげられるのに。


  でも、ぼくには、おちびさんと母さんがいるし……みなさん、どうかさくらの貞操を見守ってください。よろしくお願いします。

 

  そして、さくらが帰宅したら……うふふっ、ぼくのペースで進むよ☆


***


 さくらとイップクが荷物検査を通り過ぎると、搭乗は間もなくはじまりそうだった。


 目の前に、巨大な飛行機がいくつも並んでいる。近くにも、遠くにも。

 これから、あれに乗るのか。てか、あんな重そうな塊がよく空を飛ぶのねと、感心してしまう……我ながら、子どもみたいな発想。さくらは、ため息をついた。


「なあ。お前らってほっんとに仲がいいけど、いつもあんな感じなのか?」

「あんな感じって、どんな感じ」


 同期とはいえ、さくらのほうがひとつ年上なのに。イップクの言動からは、敬意というものがまるで伝わってこない。憤るべきか、それともむしろ親しみを覚えるべき?


「だから、公然でもちゅっとか、歯が浮きそうなせりふとか、『過激表現あり』すれすれの会話とか」

「だって、類くんだもん。似合うでしょ」

「……あー。まあな、それは」


 イップクは納得してしまった。


 さて、あほは置いといて。

 先ほどは、すげなく躱されてしまったけれど、さくらはもう一度叶恵に声をかけようと思った。


 叶恵の姿を捜す。いた! 両手に花状態で。玲と壮馬に挟まれ、ご機嫌そうな叶恵。


 今思えば、さくらが類の妻だと思い出していないことは、朗報かもしれない。

 類絡みの話題は、したくない。総務部の単なる新入社員、この設定で行こう。


「か、叶恵さん! 総務部のさくらです。となりに座ってもいいですか?」

「いや」


 返答は、拒絶のひとことのみ。


 さらに叶恵は、玲と壮馬と腕を組んで両脇をがっちりガード。ツアーに参加してくれたのはうれしいけれど、私のこと……そんなに、いやですか……?


 イップクが『泣くな』と笑顔で、右手の親指を立ててグーのサインを送って来る。いらんわ、そんななぐさめ。余計にみじめ。


「俺、搭乗前にトイレ」


 おもむろに、玲が立ち上がった。さくらもついて行った。歩きながら話しかける。


「ねえ、玲。叶恵さんと知り合いなの? 仲、よさそうだけど」

「寝た。年上の、すごい身体だった」

「うそ!」

「嘘」

「や、やだ! 一瞬、信じちゃったじゃん」


「……まじめに、結婚を考えている」


 男子トイレの直前だった。


 さくらは、無理やり玲を方向転換させ、ちょうど空いていた『だれでもトイレ』に連れ込み、後ろ手でさっとドアを閉めた。


「なに、け、結婚? 叶恵さんと? 冗談だよね」

「ほ・ん・き。」


「いやだ。玲が結婚?」

「お前には、関係のないことだ」


「どうして、叶恵さんが玲と知り合ったの?」


 さくらの詰問に、玲は嫌そうな顔つきをした。


「……最初は、母さんが叶恵さんの気分転換にって、西陣の工場へ連れてきた。あの人も、母さんの被害者なんだなって、すぐに分かった。その後も何度かひとりで来てくれて。オレの仕事を手伝いたいって、言ってくれた」


 勢いあまって、さくらは玲の両腕をぎゅっとつかんだ。


「い……、いやいや、あの人。そもそもは類くんに本気だったし! 玲は、類くんの身代わりだよきっと? やめておいたほうがいいよ。脇で余った登場人物が、なんとなくくっつく、少女漫画の最終回みたい」

「どうせ俺は、この世で、いちばん好きな女とは結ばれない仕様になっている。シバサキに傷つけられた者どうし、穏やかにくっつくってのもありかも。だろ?」


「う、ううぅ。いや、それは、でも、だめ」


 玲が、叶恵のものになってしまう? わがままかもしれないけれど、納得できない。


「お前がそれを言える立場か」

「あ……あおいは、どうなるの! れいおじちゃに初恋の、あおいの気持ちは!」

「姪だろ。かわいいけど、だからどうってことにはならない。もう行こう。電車やバスと違って、乗り遅れたらシャレにならない。なあ、総務部の幹事さんよ」


「はわわわ」


 悔しい。はわわわなんて、人生で初めて使ったし!


 だれでもトイレを出ると、タイミングの悪いことに……というか待ち構えていたイップクに見つかってしまった。


「さくらさん! あんたってやつは! 兄と個室? それはいくらなんでもまずいでしょ! したの? こんなところで、いたしちゃったの? 類がいないのをいいことに、気が多いにもほどがあるよ、あんた。しかも、短時間で……あんた、万年発情期過ぎるよ」


 とうとう『あんた』呼びである。


「ちょっとイップクさん、声大きい。声! するわけないでしょ! 言いがかりはやめてください。あ、玲! 待ってってば」

「ついてくるな、変態確定だぞ。本格的に小用だし」


 玲は男子トイレに消えてしまった。


「いきなり、浮気現場に遭遇とは……! 今回のツアー、先が思いやられるぜ。ふぅ」

「浮気じゃないって。兄だし! 妄想過ぎ!」

「飛行機、さくらさんのとなりの席はオレだから。がっちりガードさせてもらいますんで」


 あなたは営業部でしょ、どうして総務部のエリアにまで出張るの? 類の指示なんだろうか……先が思いやられるのは、こっちだって。

 それに、飛行機に乗るまでに、いったい何ページ使ってんの?


 ツアーの引率だけでなく、『叶恵さん総務部転向計画』があるのに。

 イップク……めんどくさい人だ、ほんっとに。今度、夕食に来たら激辛メニューにして、ぎゃふんと言わせちゃう!

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