第3話 出発/羽田空港③

「そんなに落ち込むなよ! さくらさんのナイトは、このイップクさまに、お・ま・か・せ・あ・れ」


 予定時刻通りに、羽田出発の参加者が集合した。一部、地方からの社員は現地集合となっている。各地の参加者も全員が、函館へ向かっているとの連絡を受けた。

 総勢、百余名の有志。

 会社では、スーツや制服の面々が、今日だけはそれぞれ私服であり、いつもと違って見えるからおもしろい。いい感じにくだけた明るい雰囲気である。


 今まさに、手荷物検査場へ向かっている途中だった。

 フライトまで、あと三十分ちょっと。


 さくらのとなりには、シバサキファニチャー吉祥寺店店長の永山一福(ながやまいっぷく)がいる。

 通称、イップク。

 イップクは、吉祥寺店での類の相棒……W(ダブル)店長で、同期でもある。


 類の同期ということは、さくらの同期でもあるし、たまに家に遊びに来るのでよく知った仲ではあるのだが、とても明るくて調子がよい性格なので、さくらは軽いなあ……うるさいなあと感じている。

 なぜか、類とは気が合うようなので、若干嫉妬も入っているかもしれない。


 しかし。

 服装が、なんで上下ジャージに野球帽なの……参加自由の弾丸ツアーとはいえ、会社の行事なのに。TPOとか、ないの?


 さくらの、いらいらの原因はほかにもある。


 見送りの類が、まだ到着しないという点だった。

 たぶん、駐車場の空きを探しているか、お子さまのどちらかがくずっているせいだと思うけれど、『行ってきます』を、顔を見て言いたい。


 今夜遅くになればまた逢えるけれど、不安なのだ。

 はじめての飛行機。できたら、類と乗りたかった。


 手をつないで、たまに寄りかかって。胸に顔をうずめて。それでそれで……!


「オレたちも、そろそろ行かないとな」


 無情にも、イップクの声。


「ま、待って。あと五分!」


 イップクが座っている反対側のイスには、顔面蒼白な聡子がいた。


 居場所はメールで知らせたけれど、できたら、類に直接聡子を引き渡したい。

 気を利かせてくれたマネージャーの壮馬が、類への『聡子引き渡し役』をさくらに与えてくれたのだ。


 本来ならば、ツアーの発案者として、さくらは先頭に立って参加者を引率しなければならないのに。


 聡子本人は、『ここで、ひとりでも類を待つ』とうわごとのように繰り返しているものの、医務室に連れて行くべきかもしれない。


 しかし、出発の時間も迫っている。今すぐに類が来てくれたら、うまくバトンタッチできるのに! ああ!


「てゆうか、イップクさんは先に行っても、構わないよ。ていうかあなた、配属がキャンセルになったお店に、よく行けるね。根性いいね」


 なぜここに最後までさくらに付き添い残っているのか、謎でしかない。


「オレは、類からさくらさんのことを頼まれたんだ。さくらさんの身の上に、道中でなにかあったら、社会的に抹殺されるのはオレなんだ!」


 ……はー。めんどうな人だ。

 イップクは、なぜか類の忠犬だが、さくらのペットではない。


「私のボディーガードをしても、ポイントは稼げないよ? 総務部の平社員だもん。内勤の新入社員だから、名刺ももらえないし」


「ポイントぉ? そんなん、今のオレは超・超・超マイナスだし。類が拾ってくれなかったら、オレは今ごろ路頭に迷っていた!」


 入社時のイップクは、今年度新入社員のエースとしてわりと期待されていた。函館新店への内示も出ていた。

 しかし、調子に乗って、すり寄ってくる女子社員と次々と(個人的に深い意味で)懇意になってしまい、社内をざわつかせた挙句、制裁を受けた。


 イップクを救ったのは、類だった。


 自分と同じ吉祥寺店の店長の座を用意し、ふたりは仲よく勤務している。

 イップクが恩を感じても無理はない。


 しかし。


「私は私なの。柴崎さくらなの。類くんの妻でも、今は総務部の柴崎さくらです」

「ああ、もう。『類くん類くん』。そろそろやめてやれば? 甘い呼び方は、ベッドの中だけでじゅうぶんじゃん! ひとり身のオレに対する、あてつけ?」


 今度は逆上するイップク。


「ちょっとうるさい。お母さんがしんどそう。黙って」

「なんだとぉ! 顔も身体も普通レベルのくせに、類に溺愛されやがってうらやましいぞぉ!」 

「わけがわからないし! なんでイップクさんに、私の身体の心配までされなきゃいけないの! 胸が小さいことは、もちろん自覚していますよ。でも、類くんとは、相性抜群なんだから! 心も身体も! だから……もがっ」


「さーくーら。午前中からお下品」


 背後から、さくらの口を塞いだのは、類だった。


「まま、おげひーん」


 娘にまで指摘されてしまった。


「あ……、ごめん。ごめんなさい」

「夜の話は、今夜たっぷりと。イップク、さくらをよろしくね」

「おう、まかせとけ! 風船の番人登場だな!」


 あのねえ、誰が風船なんだって。


「ふうせん、どこ? あおい、ふうせんすき」

「おうちに帰ったら、風船しようね、あおい。今日は、皆のおうちでお留守番だよ。おばーちゃんを連れて帰ろうね」


 弟の皆をだっこし、あおいと手をつなぎ、さらには母の聡子を介抱する類。申し訳ない。


「類くん、行って……行ってきます」

「なに、涙ぐんじゃって。そんなにこわいの?」


「違う。怖いんじゃなくて」

「じゃあ、ぼくのキスが足りないんだね」


 不意打ちで、さくらはちゅっと唇を奪われてしまった。


「ここここ、ここ空港!」

「舌を入れないだけ上出来だねって、褒めて。胸も揉まなかったし!」

「ほほほほ? 褒めるとこ、そこ?」


 見ればイップク、顔を真っ赤にしている。だよね。免疫がないと、きついよね。


「行ってらっしゃい、さくら。気をつけて。こっちのことはいいから。帰ってきたら、たくさんかわいがってあげちゃう。上から下まで、前からも後ろからも、ぜーんぶ!」

「う、うん」


「イップク。さくらを頼むよ」

「お。おう、まかせとけ!」


 さくらとイップクは、手荷物検査場へと急いだ。

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