第2話 出発/羽田空港②
三人、というか、ぐったりした聡子は、さくらと壮馬のふたりにかかえられた状態のまま、どうにか進んでいいる。
「今日のために、スケジュールを相当前倒しで過密にしたと聞いていましたが。まさか、社長がここまでお疲れとは」
「私も驚きました」
さくらは同意した。
「ご存知なかったのですか」
「今、実家出入り禁止令が出ていて。お母さんに会う、というか見かけるのは、会社でだけなんです」
「ああ。家庭の事情ですね」
さくらたちは『自立したい』と言って先々月、七月の終わりに両親が住んでいるマンションを出た。
ふたりの夏休みは、引っ越しで終わってしまった。互いの家は歩いても行ける範囲だけれど、はっきりと線が引かれた。
そもそも、両親が若夫婦のために用意してくれた、贅沢部屋だった。
三ヶ月あまりで出て行ったので、父も母も不満なのだろうが、出入り禁止状態にまでなるとは考えていなかった。
「でも、これでよかったんです」
新居の賃貸マンション、室内はぐっと狭くて古いし、部屋に備え付けてあった家具は一切放棄し、ややお手頃価格なものをふたりのボーナスで新たに買い揃えた(シバサキ製につき、社割がきいたけれど)。
設備一切が、グレードダウン。つまり、ちょっと不便。
けれど、すぐに目が届く場所に、いつも家族がいる。喜ぶべきことだと、さくらは思っている。
そのとき、聡子の電話が鳴った。
「お母さん、電話ですよ。出られますか」
「……だれ?」
「ええと」
さくらは、聡子の携帯電話を取り出し、ディスプレイを確認した。
「れ、……玲(れい)です! お母さん、兄の玲からです。なんで玲が、このタイミングで?」
動揺したさくらは、つい携帯を落としそうになった。目の前も、よく見て歩いていなかった。
「なんだ。意外と近くにいたのか」
「ひやああああぁっ?」
さくらの、すぐ目の前に、玲が立っていた。
柴崎玲。さくらの義理の兄。類の実兄であり、さくらの元彼!
「おはよう。さくら」
パーカーにジーンズという、壮馬の十倍ぐらいくだけた服装だった。一見すると、そのへんの学生みたい。
「……おはよう。でも、なんでこんなところに、玲が」
「昨日の夜、母さんから依頼を受けたんだ。自分が行けないようなら代わりに、助っ人として参加してくれって頼まれて、新幹線の始発に乗った。ま、その様子じゃ、間違いなく無理だな」
「また、助っ人ですか!」
いいように扱われ過ぎじゃないの、玲ってば?
「対価である、報酬はもらっている。俺の工房の、増資増設」
玲は柴崎家を出て、現在は京都で西陣織の糸染め職人をしている。最近では修業先の工場を出て、京都郊外に自分の工房も立ち上げた。
「……さすが、守銭奴」
「金のために動いたんじゃねえよ、言っておくが。母さんの体調が心配だったんだ。今回、お前の類は、留守番兼保父だというし」
「ううう」
言い返せない。
「それと、お前のこともな。さくらお前、飛行機に乗るのは、はじめてだろ」
「ななななななんで、それを知っているの」
「お前の行動を読んでいたら、分かるって。ほら、お守りを買ってきた。京都の、上賀茂神社で」
渡されたのは『航空安全』とある、スカイブルーの飛行守りだった。上賀茂神社にゆかりある久我神社という場所のお守りらしい。
こんなものもあるのか……さすが、京都! おお!
「ありがとう、玲……と、こちら! 私の上司の、高尾壮馬さん。こっちは、義兄の玲です。類くんのお兄さんです」
遅ればせながら、さくらは壮馬を紹介した。
「はじめまして、玲お兄さん」
「こちらこそ、さくらがいつもお世話になっております。さくら、代わる。母さんの身体は壮馬さんと俺で支える。さくらは、手荷物担当な」
とりあえず集合場所へ行きましょう、と聡子からの指示があった。
***
集合場所へ到着すると、聡子は社員たちの手前、しゃんと背筋を正してイスに座った。
壮馬が買ってきたペットボトルの水をひとくち、ふたくち飲むと、ようやく落ち着いたようで、紙のような色だった顔に少し赤みが戻ってきた。
しかし、この様子では、やはり連れて行けない。
玲が来てくれてよかった。飛行機が怖いさくらは、玲がいるだけで気持ちが安らぐ。
ん? でも、なんで玲? 聡子の代わりに玲って?
さくらが考え込んでいると、その『答え』が走ってきた。
「おはようございます、聡子社長」
休職中の、叶恵(かなえ)だった。前・吉祥寺店店長で類の上司だったが、とある事件に巻き込まれて以来、療養している。
あれ、でも? 全然、印象が違う。
ん……髪、短い! つややかな黒髪をばっさりと、ベリーショートにしていた。きれいな顔がよく見える。かわいい。若くなった!
壮馬の同期だけれども、自分と同じ歳でじゅうぶん通用すると、さくらは感じた。
「おはよう、叶恵さん」
聡子は笑顔を返した。
「社長。やっぱり顔色が今朝も」
現在、叶恵は通いで聡子の家事手伝いをしているという。まだ、出社はしていない。
実家への出入り禁止令は、叶恵の存在が大きい。叶恵は、類のことを愛してしまった。
この、函館ツアーが、復帰の足掛かりになればよいのだけれど。
「社長は、ツアーに不参加です」
壮馬は断言した。
「そうよね、仕方ない……壮馬くん、おはよう。今日も紳士ね。それと……玲さん。おはようございます」
叶恵は玲に向き合った。にこやかに。
「……おはようございます」
玲が軽く頭を下げてあいさつをした。
ん? このふたり、すでに知り合いっぽい雰囲気なんですが? 接点、あったっけ……? しかも、距離が近い。
「玲さんが来てくれて、すごくうれしい」
「日程がきついので、無理しないでください」
しかもしかも、叶恵が玲に媚びた。なんだこの関係。さくらは負けじと割り込んだ。
「おっはようございます、叶恵さん! 今日、飛行機は、私のとなりに座りませんか!」
がっついたさくらは、鼻息を荒くして叶恵の正面に出た。
けれど。
「私、玲さんのとなりがいいって決めているの。ええと。あなた、誰でしたっけ?」
う、うわああああああ! 物語のヒロインが、出発前に大・敗・北?
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