第14話

 文化祭当日の朝、迷路が一部倒壊するというトラブルに見舞われたが、無事に開場までに修復を終えられた。

 迷路スタッフに必要なのは五~六人なので、シフトを組んで回すことになっている。一時間ほどの担当時間以外は自由に文化祭を回ることができた。

 センパイからは『午後から学校に行きます』という連絡が来ている。

『それって一緒に回ってくれるってことですか?』

『ちょっとなら』

『シフト決まったら連絡しますね』

『わかった』

 というやり取りを経て、センパイと一緒に文化祭を回る約束をとりつけた。

 シフトは十三時から十四時になったので、センパイには十四時過ぎに学習ラウンジまで行くと伝えておいた。

 藤花と桃も同じシフトなので、午前中は三人で文化祭を回った。

 開催が一日だけだからか、みんな異様に気合いが入っているように見える。

 藤花は焼きそばやチョコバナナなどの食べ物屋台に熱中しすぎたために、担当時間になって教室に戻る頃には「お腹いっぱいで動けない」と言い出していた。

「紫蒼ちゃん、今日はなんだかご機嫌だね」

 桃が言う。

「そう? 文化祭が楽しいからかな?」

 私はそう答えたけれど理由は分かっていた。午後からセンパイと一緒に過ごせるからだ。

「ホント楽しいよね。中学の頃はショボかったもん」

 藤花が私の意見に賛同する。そしてパンフレットを開きながら「午後からどうしようか」とつぶやくように言った。

「ゴメン。私、午後からはちょっと約束があって」

 なんだかちょっと気恥ずかしいような気持ちになりながら、私は言った。

「誰かと回る約束してるの?」

「うん、まあ」

 桃の問いに答えると、藤花がカッと目を見開いて私の首に腕を回した。

「なんだよ、彼氏でもできたのかよ、聞いてないぞ!」

「イタタ、違う、違う」

 私は藤花を引き剥がした。

「いつもお世話になってる、女のセンパイ」

「ああ、あの一緒に勉強してたって人?」

「うん」

「ふーん、そっか。それじゃあ、つまんないけど桃と二人でまわろうかな」

「藤花ちゃん、つまんないって何? だったら一人で回ればいいじゃない」

 桃は頬をふくらませて速足になる。藤花は「ゴメン、ゴメン」と慌てて追いかけていた。

 特に問題なくシフトの担当時間を終えた十四時。次のシフト担当に交代していると、教室の前にセンパイがやってきた。

「あ、センパイ、来てくれたんですか?」

「うん。紫蒼さんの仕事ぶりを見てみようかなと思って」

「ちゃんとがんばってますよ」

 私が笑顔で答えるとセンパイも笑顔を浮かべた。

「紫蒼、例の先輩?」

背後から藤花が抱き着いて耳元で聞く。

「ああ、うん。内田希彩センパイ」

藤花と桃はペコリと頭を下げて挨拶をする。こういう場面はなんとなくむず痒い。

「そうだセンパイ、せっかくだから迷路やっていきませんか?」

「え?」

「ね、行きましょう」

 私はそう言うとセンパイの手を引いた。藤花と桃に手を振って別れると、センパイを引っ張って迷路に入った。

「へー、結構しっかり作ってあるね」

 センパイはキョロキョロと回りを眺めながら言う。

「でも、一回倒壊して大変だったんです。だから壁に手を触れない方がいいですよ」

 そう言うとセンパイはクスクスと笑った。

「センパイはこういうの苦手ですか?」

「別にそんなことはないけど」

「入るときちょっと渋ってたから、苦手なのかと思ったのに」

「嫌がらせしようとしたの?」

「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど」

 そんな話をしているとあっという間に出口に着いてしまった。

「作るの大変だったけど結構簡単でしたね」

 私の言葉に反応したのは、出口を担当していたクラスメートだった。

「それはお前が迷路を知ってるからだろ! 営業妨害だからさっさとどっかいけっ」

 それを聞いてセンパイは楽しそうに笑っていた。

「それじゃあ、どこを見に行きましょう?」

 教室を離れつつ私はセンパイに聞いた。

「えっと、紫蒼さん?」

「はい?」

「手」

 センパイにそう言われて自分の手を見た。私の左手はしっかりとセンパイの手を握っている。

「うわっ、すみません」

 私は慌てて手を離した。迷路に入るときに握ってそのままだった。顔がカッカと熱くなる。センパイも少し顔を赤くして笑っている。

 私はそっと左手を見た。まだ少しセンパイの手の感触が残っている。もう一度手をつなぎたいと言ったら、センパイはどんな顔をするだろう。

 それからいくつかの屋台や教室展示を見て回ると、あっという間に閉会時間になっていた。これから片づけをして明日は振替休日になる。今日中に片付けが終わらないクラスは明日も出てくるようだが、次にセンパイと会えるのは明後日だ。

「センパイ、ありがとうございました」

「私も楽しかった。ありがとう」

 玄関まで移動してセンパイとあいさつをしていると、憮然とした顔の藤花が現れた。桃が藤花の腕を引っ張っているが、藤花はそれを無視している。

「あの、ちょっと聞いちゃったんですけど」

 藤花が強い口調で言う。視線が向かっている先はセンパイだ。

「え? 藤花、どうしたの?」

「紫蒼は黙ってて。内田先輩と話してるの」

「え、イヤ、でも……」

 私は厳しい顔つきの藤花と戸惑った顔をしているセンパイを見比べる。桃は「藤花ちゃん、ダメだよ」と藤花をなだめようとしていた。

「前に駆け落ちしたって、本当ですか?」

 藤花の言葉にセンパイはゆっくりと目を伏せた。

「しかも相手はこの学校の女子だったって聞きました。本当ですか?」

 重苦しい空気が流れたあと、センパイが「本当だよ」と言う。

「紫蒼に近づいたのもそのためですか?」

「何言ってるの、藤花」

「紫蒼を巻き込まないでください!」

「別にセンパイに巻き込まれたとかじゃないよ」

「紫蒼は騙されてるんだよ! 紫蒼はそんなんじゃないでしょう?」

「そんなんって?」

「女同士で付き合うとか、その人と一緒にいると、紫蒼もそんな風に思われるんだよ」

 私はセンパイを見る。先輩はただ黙って俯いている。

 藤花の言葉は止まらない。

「センパイ、もう紫蒼に近づかないでください。紫蒼も、もうその人と一緒にいちゃダメ」

 そう言うと藤花は私に近づいて腕を引っ張った。センパイを見たがセンパイは私を見てくれない。

「藤花ちゃん!」

 大きな声を出したのは桃だった。

「桃はどうして止めるの?」

 藤花の鋭い視線は桃に移る。だが桃も厳しい顔で藤花を見ていた。

「一緒にいるかどうかを決めるのは紫蒼ちゃんだよ」

「でも紫蒼はセンパイに騙されてるんだよ」

「なんで騙されてるなんて思うの」

「だって紫蒼は違うでしょ。センパイに巻き込まれてるだけで」

「なんで藤花ちゃんがそんな風に決めつけるの?」

「紫蒼は友だちだからだよ」

「それは友だちだからじゃない。ただの嫉妬だよ」

「違っ、何言ってるの、桃」

「紫蒼ちゃんと先輩のことは、藤花ちゃんが決めることじゃない。紫蒼ちゃんと先輩が決めることだよ」

 桃ははっきりと、だけど冷静に言葉を紡いだ。センパイは俯き、私と桃は、藤花を黙って見つめる。藤花はみんなの顔を見回して唇を噛んだ。

「もう、勝手にするればっ」

 吐き捨てるように言って、藤花は廊下の奥へと駆け出してしまった。

「あ、藤花」

 追いかけるべきか悩み、一歩踏み出そうとした私を桃が止める。

「藤花ちゃんのことは大丈夫。それよりも」

 そう言って桃はセンパイの方をチラリと見た。そして「すみませんでした」とセンパイに深々と頭を下げて藤花が向かった方へと歩いて行った。

 突然のことで何が起こったのかうまく整理ができない。

「あ、あの、センパイ」

 声を掛けるとセンパイはゆっくりと顔を上げて静かに笑みを浮かべた。

「それじゃあ、私は帰るね」

「え、あの、センパイ」

 引き留めようと伸ばした腕をセンパイは振り払う。そして笑みを浮かべたまま言った。

「あの子の言う通りだよ。私の近くにはいない方がいいよ」

「それはセンパイが私とは一緒にいたくないということですか?」

「そうじゃなくて……」

「だったらそれを決めるのは、センパイじゃなくて私です」

 桃の言葉を思い出しながら私は言う。

「センパイ、明日、時間ありますか?」

「え?」

「あとで連絡します」

 センパイは少し考えてから頷いた。

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