第12話
私は自転車でセンパイはバスなので、駅で待ち合わせることにした。
自転車置き場に着くとスマホがメッセージの着信を伝える。
『着いたけど』
『私も着いたところです。自転車を置いたら行くので、そのまま待っててください』
『わかった』
私は小走りで駅のバスロータリーに向かった。
「センパイ、お待たせしました」
「うん。それで、どこに行く?」
バスと学習ラウンジ以外でセンパイと顔を合わせるのはとても新鮮な感じがする。
「どうしましょう……」
私たちと同じように友だちとランチを食べようという生徒が見受けられる。そうすると駅周辺のファストフードやファミレスはウチの高校の生徒で賑わっているような気がした。できれば今日はセンパイと静かに話したい。だけど高校生があまり行かないような店に入る勇気もないし、お金もあまりない。
「洋食でよかったら、ちょっと穴場のいいお店があるんだけど」
センパイが言った。センパイの家はここからバスで一区間のところにある。おそらくこの辺りのお店にも詳しいのだろう。
洋食と聞くと少し値段が高いような気もしたが、私はセンパイの提案に頷いた。
センパイに連れて行かれたのは、駅から五分程歩いた裏通りにある店だった。店構えは洋食屋というよりも昔ながらの喫茶店といった雰囲気だ。
扉を開けるとコロンコロンとドアベルがかわいい音を響かせた。
客席は八割ほどが埋まっている。センパイは店員の案内も待たずに空いている席に向かった。
センパイは座りながら「子どもの頃からときどき来てる店なんだ」と言った。私は店内をぐるりと見回しながらセンパイの向かいに座る。ちょっぴり薄暗い店内は妙に落ち着く感じがある。流れている静かな音楽も心地いい。
店員が水とメニューを持ってくる。メニューを見て私は少しホッとした。ファストフードよりは少し高めだが思ったほどではない。そしてセンパイは迷わずハヤシライスを、私は悩んだ挙句、オムライスを注文した。
「ハヤシライスっておいしいんですか?」
「食べたことないの?」
「ないです。ビーフシチューとは違うんですよね」
「ビーフシチューは、ビーフシチューだからね」
センパイはそう言って笑った。そのとき唇の隙間から八重歯が少しだけ覗いた。なんだかそれがとてつもなくうれしかった。
料理が運ばれてきた。まずその見た目の美しさに驚いた。純白の皿の中央に、ラグビーボールのような形をしたふっくらとした黄色の玉子。そこにベールのようにかけられた茶色のソース。そして彩りに添えられた緑のパセリと赤いトマト。ちょっとしが絵画のようは風格がある。
センパイのお皿は全体的に茶色っぽいが、白いライスにはパセリの緑が散りばめられている。正直、見た目だけならオムライスの方が断然おいしそうだ。
だが、香りはセンパイのハヤシライスの方が勝っているような気がする。
オムライスの真ん中にスプーンを入れてひとくち頬張る。
「おいひい」
思わず飲み込む前につぶやいてしまう。今まで食べたオムライスの中で一番おいしい。チキンライスの一粒一粒にしっかり味が付いているのに濃いわけではない。玉子の内側は半熟でチキンライスと絶妙に絡んでいる。深みのあるソースがバランスよくチキンライスと玉子を引き立てていた。
センパイはうれしそうな笑みを浮かべてハヤシライスを口に運ぶ。センパイは子どもの頃からこんなにおいしい料理を食べていたのかと思うとなんだかちょっと悔しい。ファミレスのオムライスを最高においしいと思っていた私はなんだか子どもみたいだ。ファミレスのオムライスも好きだ。だけどここのオムライスは、多分それとは違う料理だと思う。
「ハヤシライス、食べてみる?」
センパイはそう言って皿をこちらに押し出した。
「いいんですか?」
私が聞くと、センパイは笑顔で頷いた。私はハヤシライスを食べてみたいという誘惑に勝てず、スプーンを伸ばして茶色のソースとライスを絡めて口に運ぶ。
それは衝撃だった。ソースはオムライスにかかっているものと基本は同じだと思う。それなのに何かが違う。ビーフシチューにも似ている。だけどそれとも違う。色々な味がするような気がするけれど、それらはバラバラではなくひとつの味になっている。今までこれを食べてこなかった人生を後悔した。
「すごく、おいしいです」
感動に震えた声で言うと、センパイはさっきよりも八重歯を見せてニッコリと笑った。
その笑顔を見ていたら、夏休みにずっと考えていたことはどうでもよくなってしまった。胸の奥のやけどのような痛みがなくなったわけではない。だけどセンパイの笑顔を見られない方が辛いと思った。
「センパイはカナダの大学に行くんですよね?」
するとセンパイの顔から笑みが消える。
「うん。……ゴメンね」
「どうして謝るですか?」
「ずっと、言えなかったから」
「謝る必要なんてないです。私も聞かなかったし。ちょっとびっくりしましたけど……」
「そうだよね」
センパイがいなくなるのが寂しい、とは言えなかった。
「いつ頃から留学を決めていたんですか?」
「一年の終わり頃かな」
「そんなに前から?」
「うん……まあね」
「私が朝、一緒に勉強するの、邪魔じゃなかったですか?」
「全然そんなことないよ。一緒に勉強できて楽しいから」
「それなら、これからも一緒に勉強させてもらってもいいですか?」
「うん。もちろん」
センパイにようやくいつもの笑顔が戻る。
きっとこれでいい。自分のこともまだよくわからないけれど、今はセンパイとこうして楽しい時間を過ごせればいい。
私はそう納得することにした。
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