#45:進行する


「柏木さんっ、ご準備の方はいかがですか?」


 病室の扉の所から、愛らしい顔がのぞく。か、完了してます、と返す僕の言葉は、情けないことに今まで通りの上擦ったものであるわけだけど。


 午後三時過ぎ。この時期の日の入りは午後五時くらいだそうで、それに間に合うよう、少し早めに此処を出ることを予定していた。


「ドライブなんて久しぶりですんで、ちょっと緊張してますが、きっちりとしたナビがあるそうなので、そこはまったく心配してません。よろしくお願いしますね」


 にこりとこちらを見やってくる笑顔は、ああ、やはり僕には眩しいくらいだ。この二週間結構練習したんですよぅーと、はにかみながらそう言う彼女の今日の服装は、深緑のタートルネックのセーターに、クリーム色のチノパン、と言ったらいいのだろうか、ゆったりめのズボンを身に着けていて、手には黒っぽいコートみたいな上着を掛けている。


 うん、今日の服装も可憐だ。これで見納めかと思うと、胸を締め付ける何かを感じてしまうけれど。でもそれでいい。それが最後にふさわしいよ、と、僕はもう独りよがりな思考しか出来なくなってきている。


「……」


 対する僕の出で立ちは至って普通だ。くすんだ紺色のトレーナーに、下は黒に白い三本線が脇に入ったジャージ。寒さ対策にダウンジャケットを羽織っているけれど、何か派手な辛子色をしている。小串さんに頼んだら、これになった。まあ、外見とかはもう気にならなくなっているからいいんだけど。ただ、流石に目立つのは嫌なので、頭にはニット帽をかぶって、包帯を巻いた頭部をすっぽりと覆い隠している。膝には毛布が掛けられており、これで万全だろう。


 一応、マスクは着けている。もう僕には必要の無い代物なのだけれど、さくらさんの事を考えて、諸々、この間の外出の時と同じにしておいた。まあ、そんな事はもう考えなくてもいいことなのかも知れないけど。


「車は裏の駐車場に止めてあります。なので、ちょっとショートカットして、業務用のエレベーター使って行っちゃいますね。院長とかには内緒ですよ?」


 さくらさんは終始ご機嫌のようだ。その弾んだ声に、僕の心は少し痛む。


 今日で、おそらくこの関係は終わりになるだろうから。終わりというか、関係そのものが霧散するのだと思うけど。


 いつもと変わらない柔らかな挙動で、僕の乗った車椅子が押されていく。この感触も最後だ、と思うと、途端に僕はまた、息苦しさに似た、締め付けられる感を突きつけられてしまう。僕はそんな思いを封じ込めるかのように、松葉杖を膝と膝の間に挟み込むようにして保持しながら、それを握る力を強めて、何とか襲い来る感情の波をやり過ごそうと試みている。


「あれですよー、軽ですけど、荷物は結構詰めるやつ、ってお店の人は言ってました。運転もしやすくて、うーん、来年くらいに買っちゃおうかな、くらい私にはしっくり来てるんですー」


 車椅子を積めるように、「アトレー」というワンボックスをわざわざ借りてくれたそうで、駐車場に着いた僕らは、早速、車に乗り込む準備を始める。


 松葉杖をまず車椅子の前に揃えて突いて、体を車椅子から立ち上げる。そこから自分の両脇にあてがい、うまくバランスを取りながら体を直立させる。よし、リハビリでの成果がまずまず出ている。


 すかさずさくらさんは車椅子をたたむと、軽のハッチバックを開いて、積み込んでくれた。そして助手席のドアを開けると、僕に乗るよう促してくる。流れるような作業だ。


「……」


 さくらさんの介助を受けながら、何とか自分の身体を車に押し込められた僕は、ふうう、と安堵の息を漏らしてしまう。けど、いやいやこれからだろ、と自分に喝を入れてみる。そう、本当にこれからなわけで。


 僕は倒れ込むようにして助手席のシートに何とか腰を落ち着けると、フロントガラスに映る秋の景色を見やりながら、これからのことについて思いを巡らしていく。


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