#09:筆記する
「柏木さんっ」
軽く肩を揺さぶられる感触と共に、僕は現実の世界に戻ってきたようだ。うっすらと目を開けた視線の先には、上からのぞき込んでくる心配そうな「さくらさん」の顔が間近にあったわけで。
「うわわっ」
泡食って思わず体を起こしかける僕の肩を優しく、しかし思わぬ力強さで押しとどめると、
「……落ち着いて。体の力を抜いてください。…もうっ、だからこうなるって言ったんですよ」
さくらさんは少し僕を咎めるような、でも親しみが込められたそんな口調で言葉を発してきていて、そして今まさに僕の目の前にいる。これこそが夢なんじゃないの?
「……ゆっくりと首……戻せますか? ゆっくりですよ」
その言葉と共に、さくらさんの手が僕のうなじに添えられた。
「!!」
心地よい温かさを持ったその感触に僕は絶句してしまう。どうやら僕は車椅子に座ったまま、首をかくりと仰天状態にしていたようで。さくらさんの介助でようやく僕は正面を向くことが出来たようだ。
「……」
改めて周囲を見回す。病院中庭の植え込みの前に、僕の乗った車椅子は移動させられていたようだ。周りには人影はまるで無い。僕とさくらさんの二人だけが、この建物の白壁に囲まれた緑多い空間にいる。昼休みが終わったからかな? 今の時刻はまったく分からないけど、日差しの感じから、まだ日中、昼日中であろうことは分かる。そんなに昏倒してたわけじゃなさそうだ。
「……柏木さん? 何か異常がありましたら言ってくださいね。見た感じ大丈夫そうではありますけど…」
さくらさんが腰を屈めてまたしても僕の顔を目をのぞき込んでくるけど、それやめて欲しい。心拍数が上昇し、顔面温度が上がってしまうので。そして異常は……もちろんある。
「……」
左手が疼き、そして動き始めている。昏睡から覚めた後の自動書記。「予言」の開始だ。でもこれを今の段階でさくらさんに見せるわけにはいかない。確実に気持ち悪がられるだろうし、直感だけどこのことはまだ伏せておいた方がいいと判断した。
「す、すみません、特には大丈夫なんですけど、のどがカラカラで……」
よってさくらさんの目を逸らす必要がある。僕の言葉さんにさくらさんはきゅっと可愛らしい微笑で応えると、背後のベンチに体を向けた。今だ。
「……」
こんなこともあろうかと、僕は車椅子の座席とひじ掛けの隙間に忍ばせておいた、金属ペンとメモパッドを素早く取り出し、左太ももの上に乗せると、後は左手が動くがままに任せる。
すらすらと、またも僕の「左手」は何かを書き綴っているようだ。それを見守りつつ、右後方を見やると、さくらさんは持って来ていた水筒から暖かい湯気のたつ飲み物をフタに注いでくれている。その隣にはお弁当らしき水色の巾着袋も置かれているけど、そうか、確か昼食をここで取るみたいなことを言っていたっけ。
「……ほうじ茶で大丈夫ですか? 食堂の給茶機から淹れてきたやつですけど」
そう言いつつ、お茶で満たされた水筒のフタをゆっくりと手渡そうとしてくれるさくらさんだけど、まずいことに気が付いた。僕が自由に動かせるのは左手のみ。そしてその左手は今、ペンを掴んで活発に動いている最中だ。でものど乾いたと言っておいて、ここで受け取らないのは不自然だ。どうする?
「……」
フタを差し出してくるさくらさんを切羽詰まった表情で見つめるしか出来ない僕だが、一瞬後、そのさくらさんの方も、はっとした感じで僕から身を引いた。しまった、僕の異常に気付かれたか?
「そ、そうですよね……嗅覚の刺激、避けなきゃですよね。うっかりしててすみません」
一瞬、医師の目つきになったさくらさんが、慎重にほうじ茶を水筒に戻す。そうか、これまで僕はにおいが引き金となって昏倒してるじゃないか、二回も。すっかり忘れていた。ほうじ茶の香り、それもきっかけになる可能性もあるよね。さくらさんの気遣い、それが二重の意味でありがたかったわけで。
「……お水、汲んできますね。少し待っててください」
助かった。さくらさんは建物の方に通じる扉の方へ早足で向かっていった。窮地を乗り切った感で一息つくと、僕は膝の上のメモパッドに目を落とす。どうやら筆記状態は終了したようだ。そこには、
<9がつ30に ち さくらさん とえいがを みにいっ たさくらさ んはいんでぃじょ -んずがすきだそ うでぼくはそれほどだっ たけどすご くたのしめたそ れよりもふ たりででかけられ たことがう れしかった>
前よりは少しはまともに読める字が連なっていた。内容は相変わらず小学生の作文並みだけど。でもその内容……またしても未来の日付だ。来週僕はさくらさんと映画を観に行くことになっている? 「いんでぃじょーんず」。ってかなり昔のって感じがするけど今映画館でやってるものなのかな?
まあそれはともかく置いておいて、まずは「今日の予言」の行方を確かめないと。つまり「むらかみはるき」のことを聞いてみないとだ。僕はペンとメモパッドを再び座席の隙間に押し込むと、さくらさんの帰りをぼんやりとただ待つ。
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