#07:再会する


 顔も知らない、でも気になる人とただ会う。それだけなのに、何故ここまで高揚してしまうのだろう。


 いや、それだけ? だからこそなのかも。誰かに「会う」ということは、人生にとって非常に大事なことなのだよね……


 詮無い思いに頭の中を埋め尽くされながらも、僕は約束の11時30分までの間、いてもたってもいられず、車椅子をいつも以上に忙しなく転がすと、部屋の中を旋回するように周遊していた。傍から見てたらかなり不気味だったことだろう。


 ふと思いついて手鏡で自分の身だしなみを整えようとしたが、耳・眉毛から上はぴっちり包帯に包まれているので髪型も何もないし、顔はと言えば、大小さまざまな傷跡がひっつれながら残っており、かなり夜道で出くわしたくないご面相だったので、どこから取り繕うべきかも、その取っ掛かりすら掴めなかったので、もう諦めた。


 外見に関しては、まあ、向こうからはこちらの事はずっと見えていたわけだし、そこは気にせず行くことにしよう。「慣れている」と、そう思うことにしよう。


「……」


 今日は中庭までは自力で行くと看護師さんたちには告げてある。電動の車椅子もあるそうだが、僕はリハビリも兼ねて左手だけで車輪を回すことにしていた。だいぶ動かす時の痛みは和らいできている。何より自分の意思で自由に動けるということが、ここまで開放感のあることだったとは。こんな状態にならなかったら気付けなかったことだろう。


 僕はもう、今回のことをひとつの経験として飲み込もうとしている。家族の死、それはもちろん心の奥底の襞みたいなのに挟まり続けてはいるものの、それに囚われ続けているだけでもダメな気がしているんだ。体の良い、逃げなのかも知れないけど。


 室内で練習してきたかいもあって、僕の車椅子テクニックは、平坦な所であればすいすい左折も、さらに右の車輪に手を伸ばして右折でさえもスムーズにこなせるくらいまで上達している。人間、目標があるとそれに連なる努力とやらがまったく苦にならなくなるものだなあ……とのやや他人事かのように自分の状況を俯瞰しているかのような気持ちにもなっているけど。まあでもそれはあくまで手段のひとつ。目的ではないから。


「……」


 約束の時間5分前。


 僕は意気揚々と、自分の個室のある5階から、廊下をするすると、車輪の惰性も操りながら、余裕を見せつつ軽やかにエレベータを使って地上1階へ。ここまでは楽勝。いや、気を配るべきことは車椅子の操作だけじゃない。


 僕は少し口を開き気味にして、意図的に鼻から吸気するのを抑える。昨日のあの昏倒の原因はよくわかってはいないけど、「におい」がその一因であることは可能性としてかなり高いんじゃないか? そんな風に考えている。


 ティッシュをわからないくらい小さく丸めた鼻栓を両穴にしてくることも考えたは考えたが、すごい鼻声と怪しい口呼吸になってしまいそうなので断念した。さくらさんに無様をさらすことだけは避けたい。


 そんな事を考えつつも、中庭に出る両開きのガラス扉まで無事に到着。昼は開け放たれているらしいその出入り口からは、まだ暑さが残るものの、確実に秋の気配も感じさせるような、そんな清々しい空気が流れ込んできている。


 さくらさんはもう来ているのだろうか? 日差しが結構差している。人影はまばらだ。僕はその、舗装用のタイルが一面に張られた中庭へと、緩やかなスロープを注意しながら降りて向かう。と、その時だった。


「柏木さんっ」


 中庭のほぼ中央、ブロックで仕切られた植え込みの前、そこに設えられたベンチから立ち上がり、白衣を来た女性が僕の名前を呼んだのが聞こえた。やわらかで、確かに聞き覚えのある声。


「さくらさ……ん?」


 精一杯のにこやかな笑みを作ってそちらを見やった僕だったが、そのさくらさんと思われる女性の顔を見た瞬間、顔が固まるかのような衝撃が襲ってきた。


「はい!! はじめまして……じゃないですけれど、はじめまして、って言わせてください。『佐倉』です」


 胸に留められたネームプレートのその苗字にも驚いたんだけど、それどころじゃなかった。


「……さ」


 長い黒髪を後ろで軽くまとめた……眉がくっきりとしていて、目は少し垂れ、鼻筋は通り、口は大きめだけど、こぼれる歯並びはとても綺麗で……いやいやいや、あの時の夢の中の女性とそっくりじゃないか。


 待てよ。あれは予知夢? 予知夢に予言の自動書記……僕はいったい、何者になってしまったというのだろう。


 内心の動揺は、既に顔面の不随意筋にも表れているので隠しようもないけど、僕はこののっぴきならない状況を飲み下そうと、ひとつ深呼吸でもして心を落ち着かせようとした。


 ……それがいけなかった。


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