cASE_NO:000-4-edD Of BEginninG-[INTERLUDE:Ⅰ]

 何も無い、土塊の世界。

 大気も無く、重力さえも希薄な巨大な石ころ、月の表面。そこに、生命は存在しないはずだったが、しかし動きが生まれた。月の表面積の中でも半分に限られる太陽の光が明るく照らすエリアで、その土地の一角が、がこ、と規則的な音を立てたのである。

「んなぁっ!?」

「ちょっと、動かない、っでっ!」

 音の理由は明白で、内側から地表裏に取り付けられた扉が押し開けられたための動作音だった。

 そして這い出る人影は、まず女。

「いってーな!顔踏むんじゃねーよ!毎度毎度!」

「いつものことでしょ?いい加減慣れなさいよ。うるさいなぁ」

 這い出てきた女の人影は、女性と表現するにはいささか幼い、まだ10代半ばに見える女子だった。

 その後を追って地表に顔を出した男に向かってーいやこちらも年の頃は女子より若く見える。男子だ。ー愚痴を放りながら、地表にどっかりと腰を下ろす。身なりは二人とも、どこか立派な病院の検査着の様な衣服をまとっていると見える。

「慣れてたまるかこんなこと」

 男子が、女子の隣に腰を下ろしながら一人愚痴るように口にすると、女子がしたり顔で突っかかった。

「あ、今日はスカートじゃないからご不満ですか?」

「うっせぇ」

「しっかし、ここは自分がすごくやせたみたいな気分になれるから好きだわー」

 突然話を切り替えた女子に、しかし男子もこれ以上この話題は墓穴とばかりに反論も無く乗っかった。

「無重力みたいなもんだもんな」

 すると男子は視線をあげ、星空も見えない中空に、まるで何か見えているように視線を走らせる。

「領域確保されてなきゃ真空だし。しかも外側から領域内は見えないという便利空間だ」

「そんな環境で生きていけるこの世界素敵」

 背伸びをする女子に、男子はやはりのあきれ顔。

「帰りたいくせに。元の世界に」

「そりゃそうよ。 まだ人生の、六分の一しかここで過ごしてないの。 記憶の大半は、みんな元の場所のものなの」

 女子は、少し物悲しそうな色を瞳に浮かべるが、まるで流れ去るかのように一瞬で消え去った。

「あっちの世界じゃ、3年もいなかったら死んでしまったことになるんだっけ?」

 その言葉を受けて、女子の方が地面に寝転ぶ。

「それを考えるとね、あたしはまだ特定の誰かの中には生きていられるのだー、と思うのよ」

 と、今度はどこか諦めたような色を表情に滲ませて。

「じゃなきゃ、フィクションとか、それこそ二次元とか、存在できないじゃない。実際にいてほしいと思っても存在できないけれど、明らかに人の心をつかむそんな存在は、じゃあどうやって生きればいいのかしらね」

 別に隣の男子に向かって話したという訳でもない風に、虚空に向かって言葉を投げる。しかし隣の男子は、もちろんそれを会話と認識して返答を編み出す。

「記憶が、命を保証する、ってこと?」

 答えを期待した訳ではなかったが、そんなつぶやきを拾い上げて聞いてくれて、答えを編んでくれる人がいる事に、それがたとえ二人きりの今の状況でも、妙な安心感を覚える女子。ただ、そんな事はおくびにも出さずに、女子も返答を編む。

「どうして玲はそう小難しく考えるのかなぁ?もっとこう、シンプルに楽しく考えなさいよ」

「そもそも恋以の話題が小難しいからだろ!」

 玲、と呼ばれた少年の指摘に、恋以と呼ばれた少女は楽しそうに一笑し、

「そんなに難しいことは言ってないって」

 と前置きした上で「要は、私たちの病んでしまった心が恋いこがれて日夜思わず脳裏に浮かんでしまうあんな幼女やそんな紳士が、生きていないなんて悲しすぎるから早くそっち側に行く技術を開発したくて探究心がやまないって言う話じゃん」と矢継ぎ早に捲し立てる。

「そんなサブカルかアニメヲタか妄想科学大全の話なのかこれ」

 そんな恋以の論説に、冷ややかな考察を投げかける礼以。

「結局は私が愛している彼を、どうやったらここに実在させられるかってことね」

 そのとき、である。

 二人の脳裏、震えていない鼓膜の奥に、音が生まれーいや正確には音と認識せざるを得ない概念伝達情報が発生し始める。

「あの……ちょっと‥‥がやがやとしていたので、気になったのですが……」

「あ!ごめん!憂ちゃんうるさかった?」

 脳内に響く情報は女子の声だ。やや幼さが残る。異質な方法なのに、意外な声色だが、恋以も玲も、別段驚いた様子は無いが、謝りながら恋以は寝転がっていた身を起こして地べたに座る格好になる。

「いえ…せっかくなので参加したいと思って…」

 言葉はしっかりとしているが、口調に遠慮のようなたどたどしさのような不安感が乗っていた。

「今日のお仕事は?」

 恋以が、口に出して脳内の声に問いかける。

「対空監視は終わりました。今楔に指示を出したので、返答を待っているところなのです」

 憂ちゃんと呼ばれた脳内の声の主がなしている言葉に専門用語らしき言葉が混じり始めたが、 どうやら二人は慣れているのか意に介していないのか。

「お疲れさま」

 と、礼以がまるで不通に受け答える。

「そう、それよ」

 そんな日常会話にもよくあるような返事に、恋以が突如食って掛かる。

「え?」

「…なんですか?」

 玲と、憂の疑問符が飛ぶ。

「そのお疲れさまって言葉、あたしよくわかんないのよね」

「さっきまで普通に使ってたじゃん」

「あのね、疑問というのはふとしたところで湧いてくるものなの。知ってるでしょう?不気味な泡みたいなものなのよ」

 恋以はまるで解説者のようにしれっと言ってみせるが、残りの礼以と脳内ボイスの憂にはあまりピンと来ていない。

「…不気味な、泡、ですか?」

「知らねーよ何の話だ」

「人の受け売りよ。詳しく知ってもいるけど何なら読んでみなさいな」

 今度はまるで評論家のような口ぶりになる恋以。

「本であることを今知ったくらいには、予備知識がないんだが」

「とまぁこの場では取るに足らない例え話の登場人物であるところの不気味な泡の話はおいてといて、疑問よ。なんであいつらはこうあたしたちの頭の中をちくちくちくちくするのかしらね」

「ちくちく?それはもしかして、解明したいのに解明出来ない疑問が頭のなかにしこりみたいにあるときのなんかもやもやしたもののことを言ってる?」

「まあそうね。そんないい表し方が出来なくもないわ」

「気になる、ということでしょうか?」

 脳内に響く情報であるところの憂がそう、まるで結論めいた言葉を放つと、二人はまるで目を丸くしたように。

「…そうね」

「だなぁ」

「いやいや」

 ふと、我に返ったように恋以が手をひらひらとはためかせながら制する。

「そんな状態の言い換えみたいな国語の授業は、今はいいのよ。疑問よ疑問。人のセンスも視点も人それぞれ、もっと言うと見ている世界すらバラバラなのにどうしてこうも疑問となると似通うのかしらね」

「似通う?」

 礼以が返した。鸚鵡返しのようだった。そんな問いに、やや胸を張った恋以が答える。

「自分はなぜ生きているのか」

「中二か!?」

「いえ。たぶんこれにはきっと恋以さんなりの深い考察があるとみました。興味、です」

 二人の脳内に響く声が少し控えめに、同じだけ期待の色をにじませるが、

「そんな大層なものはないわよ。ただ、今の質問に中二病かという指摘がまるで準備されていたかの様に生まれる状況というのは、それだけその疑問を持つ人間

が多いということよね?こっちの世界でも」

「…ま、まあそうかもな」

「はい」

 考えてみればそうかもしれないという疑いと納得の混じった礼以の発言に、憂の脳内情報が続く。

「それなら、それはもう疑問じゃないわ。謎よ。世界の謎」

 一体どの立ち位置から二人に話しているのかという疑問が噴出しそうなほどに偉そうな発言だが、内容が滑稽でまるで頭にこないどころか飽きれてしまう。

「謎?」

「解明されないことも内包してそのものである、という性質のものということでしょうか」

「そうその通り察すが憂ちゃん!」

 なぜか言い得て妙な物言いの憂。

「あ、ありが」

「それがどうしたんだよ?なんか今日の恋以の話は的を得てねーよな?話飛んでるわ、すり替わってるわ」

 遮った玲の発言はしかし途中は憂に向けられているものの、だからこそか恋以には無神経に聞こえてしまう。

「そうでしょうか?」

 しかし遮られたはずの憂は一切意に介していない。無視というのではなく、そういうもので、それは当たり前で疑問も不満も何も感じない事が自然、という態度だ。

「再びさすが憂ちゃん!で礼以あんたは一回デブリになりなさい。ゼロ重力よ」

「ここよりさらに軽いのには魅力を感じるが、それをしたら二回目はねぇから無理だな。っていうかごめんなさい」

「ちっ。気づいたか。まあいいや。そう、今日のこれらの話を、あたしはある目的があって選んでいるわ」

 完全謀略が失敗したという事を悔やむ恋以の目つき。

「やはり」

「なあ、これ聞く人が聞く人なら救急車を呼ばれる会話だぜ。中二病も大概にしないと」

 指摘。

「だまらっしゃい玲君。整形外科に送り込むわよ」

 横暴。

「君が脳外科行くついでか」

 便乗。

「ばらすわよ!お前もボーンズないしはジャックみたいに骨にしてやろうか!」

 強引。

「元の蝋人形が伝わるやつどれくらいいるんだろうな」

 冷静。

「残念ながらすべてわかってしまうのです。引きこもり万歳」

 主張。

「君は軟禁されてんだろ!」

「憂ちゃんは軟禁されてるんだから仕方ないのよ!」

「ありがとうございます」

 照らし合わせたような二人の言の違和感も自然とやり過ごして、憂が情報で感謝の意を表明する。

「なんなんだ!何が目的だ!金か!」

「そんな訳ないでしょう。あなたこそ、私のパンツをそこはかとなく意識しないでもらえるかしら」

「してないよ!なんでそうなる!」

「私をジャンプさせてまずは小銭を吐き出させてから小額であることに不満を抱いて『音のならねぇ金仕込んでんだろ脱げや』とかゲスいことを言って私を」

「やめてくれ」

「目的とは?」

 再び憂が話を本線に引き寄せる。

「実はあたし、最近よく夢を見ているの」

 恋以が打って変わって、真剣なトーンで話し始めた。

「お、おう。何だよ急に」

「…どうぞ、お続けくださいませ」

 憂の間には、少しだけ呆れと、多くの期待が滲む。

「ありがとう。 でね、その夢に、頻繁に干渉してくる人物がいるの」

「夢に干渉?なんだそれ。感染者か?」

 感染者。

 通常であればウイルスによる病気を発症、もしくは感染し潜伏期間にあるものを指す言葉だが、礼以の口ぶりにはまるでその気配がない。

「だったらいいのでしょうけどね」

「…そうなのですか。違うのですね」

「?? 何だよ?」

 玲が心底疑問そうな表情で、目の前の恋以と、頭の中の憂に返答するが、その疑問は答えを持たなかった」

「ねえ憂ちゃん、あれは、何なのかしらね。例えば」

「神様、とでも呼べばよいかのう?」

 恋以の言葉尻を性格に捉えて、まるで待ち構えていたかのように、三人に声が「訊」こえる。

 その声を先に、姿は言い終わってから空間に滲むように出現する。が、その姿は恋以と玲のいる月面空間には存在しない。二人の瞳に、そして離れた地の憂の脳内に住まう、それは愉快な人陰。

 そしてその煎じた声に、姿を確認しながらも平然を装って続ける恋以。

「そう神様。そうね。そう成ると思うわ。なら、あなたはだれ」

「先ほど自分で呼んだではないか」

 にやり。

「いかにも、私が神だが?」

 不適な笑みは、警戒を逆なでするに十分。

「誰だ。なぜここにいる」

 玲の質問は、的を全く外していたが、それ以外に対象の状況と行動を言い表す言葉が無い。

 しかしそれは彼の語彙力が貧困だからではない。まさに、埒外。

「先ほどその娘に呼ばれてのう」

 不敵、という表現以外が見当たらない声色に、反応したのは脳内情報の憂。

「恋以さん、なにが…」

「静かに。…目的はなに?」

「そちらこそ、ではなかろうかえ?先ほどからの会話、どうにもちらついてのう」

「やっぱりそう。勘はあたっていたのね」

 恋以の脳内では話がつながっていく。先日から感じていたという違和感と、策略と、そこから想定された予想回答が、小気味のいい音を立てて嵌っていく。その舞台装置は、それまで以上に真剣に、彼女を饒舌にするに十分な快楽と興奮。そして少しの、埃かぶって薄汚れた、欲望。

「どういうことだよ?」

「夢の中で妙に干渉されるから気になってたんだ」

「…それが神」

 脳内情報として存在を誇示する憂の形容は言い得ている感があった。目の前にありながら、そこ、と、指示できない存在。

「こいつが?このゴスロリ少女が?」

 彼ら、彼女らの目に見えるそいつは、確かにそんな格好をしていた。

「いかにも、私が神だが」

 つまらなそうに言う。

「意外とその辺に混じっているものよ。この世界と、あっちの世界、いいえ、この宇宙、そして複数の宇宙の管理人」

 恋以の脳内から饒舌に紡ぎだされる情報は、明らかに憶測だが、とうとうそいつの存在のおかげで、いよいよもって軽々しくは中二病と馬鹿にできなくなってしまう。そして、彼女はそれを革新的に口にしている。

「出た中二病設定」

「いいじゃない。まんまと作戦が成功したが故に、うれしくってテンションあがっちゃったから口からでまかせが発動しちゃったのよ。文句があるならあたしを中二病にしたお兄ちゃんが受け付けますが実力行使などの場合はあたしが本気でガードしますのでそのつもりで」

 饒舌だ。そして普段、日常的にはその名を口にしない兄が登場した。

「ブラコンまで持ち出すとは……持ち札全部出す気か?」

 もちろんそんなつもりは無かったが、吐き出すだけ吐き出した彼女の興味は既に礼以への回答ではない。瞳に映る、ゴスロリ女神。

「あなたはなに。なぜ私の夢に」

「想像はついておろう」

「あなたの答えに想像がついているあたしが問いただしたのよ。答え合わせをさせてちょうだい」

 恋以は、ゴスロリ女神の不遜な態度にも臆す事は無い。はじめから、気後れする事など知らないようだった。

「くくくくく。しかし娘、神を目の前に臆した様子もなくよくぞ真正面からむかえるものよ」

「私が知っている、想像しているあなたのすごさは、あたしが何をしようと抗えず、どこで何をしようと無駄よ。構える意味がない。だからその必要なんてない。だったら、いつも通りでいいと思ったのよ」

 語気はやや強いが、それは礼以や憂の知る恋以と遜色は無い。

 そしてそいつはつまらなそうに言う。

「ほう。愉快よ」

「答えて」

「主の夢、気になる言葉を拾っておったら、よう遭遇するものでの」

「言葉?」

「そうじゃ、憂鍵の姫といったか。いやしかしこの世界は、面白く作ったものよの」

「言葉を、拾う?神がか?」

 玲が疑問を挟む。

「主らはわからんだろうがの、他の生命体と意思疎通を図ろうなどという文明は畏怖するほどに稀でのう。このしゃべり方も、おぬしらの文明で神と呼ばれている存在より拝借して真似しておる」

「それで、何が目的なの?まさか、言語習得が目的とか言わないわよね?」

 律儀に答えたゴスロリ女神に矢継ぎ早に疑問をぶつける。

「そんなものは、わざわざぬしの夢に干渉せずとも盗み聞けばよいのでな」

「なら尚更。答えなさい」

「くっくっく。神に命令とは、気に入ったぞ娘。名を何という」

「おい」

 挟んだのは玲。明らかな踏み込む意思に、警戒の色が募る。

「恋以さん」

「ええ。そうね」

 二人を安心させるような同意のあとにで、明らかなそこからの暗転した感情。

「まあよい。恋以と言ったな。そこのおのこも発音は同じか。ややこしい」

「うるせえよ、たまたまだ」

「ふむ……まあよい。答えてやるぞ、娘よ」

「ええ」

「最近どうも、この月とか言う石ころと、そこに見えとる水の星、地球の間で少々気に食わん動きがあっての」

「気に食わない動き?」

 憂が気にかける。

「いかにも私は世界の創造主だが、お前たちは決して操られている訳ではない」「つうか、そんな神様暇じゃねーっつうの。そもそもお前らにかかりっきりになっていられないくらいの世界管理してて」「子供たちに分割管理させてるとはいえ、正直手一杯で」「猫の手も借りたいって言う状況なのよね」

 すべて、ゴスロリ神の言だ。まるでコロコロ人格が変わっているようだが、意思が統一されていて余計に収まりが悪い。

「ぐちゃぐちゃよ」

「どれが一番しっくりくるかのう?やはりこれか?」

「どうでもいい」

「恋以さん、礼以さん。その方、モノリスの監視に映りません」

 モノリスとは、憂が住む施設の名前だ。

「でしょうね…」

「知ってたんですか?」

「勘よ」

「中二病のな」

「役に立ったわね。さすがお兄ちゃん」

「憂錠の姫とやら、それは当たり前じゃ」「こやつらの目にしか映ってないんだよー」「存在しない姿が何かにとらえられるはずはないのだよ?」「…を?最後の偉そうか?」

「わかったわ。もともと何があっても驚かないって話をしたのは私だものね」

「物わかりがよくて助かる。では質問に答えよう。うちが夢に干渉しとったんは同盟者を探しとった」

 恋以は、まるで対等か、下手から交渉してきたようなゴスロリ神の態度に不信感が出る。

「同盟者?」

「神が、同盟?」

 玲も続く。

「不思議に思うのも無理は無いよおにーちゃん。訳がわからないはずだからね」

 格好に似合う口調だが、しかし嘘くささが満載だった。

「どういうこと?」

「あちきがこの世界で堂々となんか企んでいる奴らを倒すことは容易い」「潰すのも楽勝何だけどね?」「ただ、見つけるのが難しいのじゃ」

「…あなたを感知できるものがいると?」

「おらん、と考える方が不思議でな」「なぜって、そらおめー、俺が動かないとと思うくらいのことを成し遂げようって意思が動いてんだ」「そしてワシはそれを感知し」「まだ潰すつもりの無いこの世界を

まあ有り体に言うと守るつもりで」「干渉することにした」

「潰すつもりの無い、ってのはありがたいけど」

 玲の口からこぼれる素直な感想は、ゴスロリ神の対応の軟化に影響されたように聞こえなくもない。それは恋以も同様であった。

「なるほど。その、駒に成れと。その考えを少しでも理解できる駒を探していたのね」

「そのとおりよ。」「どうかの?つきあってみる気はあるか?」

 その言葉はまるで甘いささやきのように、恋以には聞こえる。喉から手が出るほど欲しい、再会イベントの願望が、前頭葉を支配するようにあふれてくる。

「…それは、あの星に帰れる?」

「もちろんじゃ。どうもその意思は、向こうに強い」

 恋以の覚悟をのせた質問も、ゴスロリ神は平気で答える。

 その軽さに、そいつにとって、恋以の望みがどれだけ簡単であるかを示しているかは、恋以にも聞いてとれる。もちろん玲にも、憂にも、である。故に、玲の表情は一瞬硬直して、気を取り直すようにもとに戻る。

 絞り出す。まさにそんな表現が最適かもしれない。いや足りないかもしれない。そんなに、苦しい気管と、心の隙間から、漏れるように、尻上がりの声量で、まるで、何かを断ち切るように。

「…いや、いい。でもやる」

 恋以は、やっと紡いだ。

「おや、よいのか?」

 不思議とばかりに、当然乗ってくるとばかり思っていたようなゴスロリ神の発言に恋以は心底ほっとする。自分の間違いも望みも、認められた気がした。

「それでお兄ちゃんにあえても、あなたのおかげだと思うとイライラするから」

「かっかっか。なるほどの。愉快愉快。よかろう。だが、いつでも力は貸そうぞ」

 今度は本当に愉快そうに言う。願いを叶えられる機会を目の前に不意にする恋以に、滑稽さを覚えたのか、興味なのか、はたまた。

「おい、恋以」

「恋以さん、よいのですか」

 その想いを知っている。ただ恋以も知っている二人は、だからこそ意外ではなかったが、それでも考え直せと言わんばかりだ。

「ヒントをちょうだい。あたしは、どうやってここに来たの」

「なるほどの。そうさな…ふむ。心炉、という言葉が見えるの。心に、火をくべる炉、かのう。そこに、道があるようじゃ。わかるのか?」

 この世界に来る事ができたという事は帰る事のできる確率も同じだけある。そう考えている恋以は、せめてのヒントを欲した。いくら調べても、わからなかった。回答は、いらなかった。

 そしてそのヒントは、明らかに困難を示している。

「なんてこと…でも、そうね。ええ。わかるわ。向こうでの仕事は急ぐの?」

 あえて仕事、という言葉を選ぶ。雇い主だ。

「向こうに到着できたタイミングで、と言いたい所だが、早ければこしたことは無いの」

「わかった」

 薄れる姿。

「ではまた、眠りであおうぞ。あっぱれな小娘よ。あ、せっかくだからそこの片思い坊主と北斗の君にも会いに行くとするかの」

 透け始めるゴスロリ神。

「北斗?」

 恋以の疑問。さらに薄れる。

「てめぇ!?」

 掻き消える寸前、

「…どういう、ことでしょう」

 憂錠の姫の言は、聞こえたのか。跡形など、ない。

「ちっ。もう見えねぇ」

「言ったでしょう。私たちに見えていただけなの」

「くっそ」

「北斗とは、なんでしょうか?」

「さあ…もう姫が七人であることも知られているということなのかな。北斗七星とかけたとか?」

「わかりませんが……そうですね。神様のすることですし」

 玲がやや苛立ちを隠さないのとは対照的に、憂は冷静だ。

「つうか、二人とも、なんであれが神ってことで納得してんだよ!」 

 ここで、礼以が当然の疑問にやっと言及する。

「何か、思わなかった?」

 心底不思議そうな恋以の言葉。

「何か?…いや別に」

「恋以さん、彼はまだ…」

「あ、そっか!まだ開花してないんだっけ!」

 神の出現前の、日常のトーンに近くなっていく会話。

「うっせーよ!それが関係あんのかよ!」

「多分ね。なんか、能力使うときに使ってる脳の部分が、ちょっと変だったから」

「うっわーむかつくなにそれ」

「や、まあいいじゃん」

 月面保護領域の歓談は続いて、研究所の担当医に健康診断のサボタージュをどやされるまで、あと少し。

 日常的な散歩の中におこった、世界を変えるかもしれない密会は、そうして当事者以外には知られる事無く、突然に始まり自然に終わりを告げる。

 そこで交わす言葉は、弱い重力に解き放たれ星に残ることは無く。忘却を是として次なる記録の始まりを知る。






 人が願望と出会うとき、幸と呼ぶ。

 人が何かに出会ったとき、偶然と呼ぶ。

 人が出会うことを、奇跡と呼ぶ。 

 では、奇跡の本質とは何か?

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