4.
赤い扉の透子さん――旧校舎三階に潜む、入れ替わりの能力を持つ怪談。
古今東西、どこにでも存在するような怪談でありながら、どうして彼女が
透子さん本人も言っていたように、怪談はしょせん怪談である。人を恐怖と絶望に陥れることを至上の目的とする、理不尽にして不合理な存在。
そう、たしかに彼女は言っていた。
『で、お前さんが今もっとも恐怖しているのは他ならない、現実そのものなんだよな――』
なら私が、いま最も恐れていることはなんだ?
※※※
「え……嘘、どうして?」
透子さんの後ろには、真っ赤な扉が
バキバキと細長い指を鳴らしながら、透子さんは言った。
「どうしてって――貴様が望んだことだろう? わたしと入れ替わりたいんだろう? そのためにここまで来たんだろう? 現実が嫌で、傷を負うことが怖くて、それでわたしに
「それ、は――だって」
「続きを聞いてやるほど怪談ってのは優しくないぞ。さぁ来い!」
彼女が腕を振るったのを、私の眼は捉えられなかった。ただ、今までに感じたことのない衝撃で視界が反転して、その瞬間にあの慣れ親しんだ感覚が戻ってきた。痛い――地面に叩き付けられた腕からは、血が流れていた。地面に這いつくばった私の頭部を掴んだ透子さんは、万力のような力で締め付けながら、赤い扉へと叩き付ける。口の中が鉄の味に染まる。だが、気にしていられる余裕はない。
後はドアが開かれてしまえば、それで何もかもが終わってしまうのだから。
「や、やだ――待って、お願い」
必死に扉にしがみつくけど、透子さんの
「嫌だの、待てだの――笑わせる! 命乞いを出来る立場か貴様は!? わたしを誰だか忘れたか!? 賽ノ神学園十三怪談が十三段目、最終最後にして最強の怪談だ! 人間を恐怖と絶望の底に叩ッ込む、それがわたしの存在意義だ! 恨むならわたしではなく、怪談なんぞに縋った己を恨め! 未来永劫、透明人間の世界で自分の愚かさを悔い続けろ!」
透子さんのもう片方の手が、ドアノブに迫る。そしてゆっくりと開きながら、哄笑のうちに彼女は言う。
「助かりたいか? なら絞り出せ! わたしが貴様を、元の世界に戻してやるだけの理由を! わたしを納得させろ、そうでなければ愉しませろ! 踊れ、
「私、は……」
僅かに声を発するだけでも、ギリギリと骨が軋む。全身が痛くて、もう抵抗するだけの力もない。私にできることは、考えることしかない。この怪談を、納得させる理由を。
考えれば考えるほど、自分の愚かさを痛感するだけだった。怪談なんかを頼ろうとしたことも、コロコロと目的が変わる自分自身にも。ちょっと甘い夢を見せられれば変わってしまう、信念も目的もなく生きてきたことを、今更になって思い知る。
それでも――
「私、は……」
たとえ相手が怪談だって、励ましてくれたことが嬉しかった。少しの間だけでも、私から痛みを消し去ってくれたことが嬉しかった。話を聞いて、現実的なアドバイスをくれたことが嬉しかった。どうにか頑張って、現実とやっていけそうだと思わせてくれたことが、本当に嬉しかった。
こんなに優しい物語を、こんな結末で終わらせるなんて――私は嫌だ。
気付けば私は、言っていた。
「私は――あなたとの出会いを元に、お話を書きます」
「はっ! 斬新な命乞いだな! 面白い、続けろ!」
怪談というのは所詮、物語だ。どんな怪談も、語り手と聞き手がいなければ成立しない。もっといえば恐怖が伝わらない限り、決して怪談たりえない。
だからこそ――その前提を覆すのは面白い。
無謀な夢を語るのは、いつだってドキドキする。
ずっと一人で怪談を続けてきた彼女なら――いや、彼女だからこそ、この面白さが伝わるだろう。
「透子さん。もしこの世に、まったく怖くない優しい怪談なんてものがあるとしたら――それはとても愉しい話だと思いませんか?」
「………く、くくく……あーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!! はっはっは、はーっはっはっははははははは!!! 何を、一体何を言うかと思えば、貴様は!」
透子さんは私を放り投げ、両手で腹を抱えて笑い転げた。可笑しくて、可笑しくて、堪らないといったように。
「なるほど、なるほど、そう来たか! わたし自身を人質に取ったか! イカレてやがる! この土壇場で、まるで尋常じゃないヤツだよ貴様! あーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!! 面白い! なんというヤツだ貴様は!」
透子さんはずっと、透明人間の世界で、万能の力を持て余しながら、退屈に退屈を重ねて生きてきた。たった一人で生きてきた。だからこそ、この発想には至らない。
「この私の二次創作――! しかも、命の恩人として描くとは!」
実際、透子さんにしてみれば理しかない提案だ。私を逃がすことで、今までに見たことのない怪談を見ることができる。それは、彼女にとって愉しい話だろう。それだけではない。「赤い扉の透子さん」の七不思議を、私が新たに流布することで――優しい怪談と流布することで、透子さんを訪れる人の数は、間違いなく増える。今まで十三怪談の最強として君臨していただけに、人と接触する機会の少なかったであろう彼女は、怪談としての本懐をますます遂げることが可能となる――!
「そうかそうか――それが貴様の絞り出した、理由というやつなのだな」
「そういうこと。……どうかしら?」
「クックック、言わせたいか?」
最終最後にして最強の怪談、赤い扉の透子さん。
彼女は誰にも負けない不遜な笑みを浮かべて――言った。
「そりゃもう最高にドキドキする話に決まってるだろうが、なぁ?」
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