1.

 あまりにも支離滅裂な日が、誰にでもあると思う。私にとっては今日がその日であり、行き場のない苛立ちを十三怪談にぶつけようとした。

 今にしてみれば、自棄ヤケになっていたとしか思えない――たった一人で、あの「赤い扉の透子さん」に会いに行こうというのだから。怖いもの知らずの不良だってあの旧校舎には一人で近づこうとしない。なのに私はたった一人で、深夜の二時という最も無謀な時間に肝試しを決行する。


 赤い扉の透子さん――それは、旧校舎の三階と屋上を繋ぐ、「赤い扉」の向こうに潜む怪談で、入れ替わりの能力を持っている。「赤い扉」の世界に踏み込んだ人間を、自分とそっくり入れ替えてしまうというのだ。

 赤い扉の向こう側は「透明人間の世界」と呼ばれていて、現実とまったく同じ世界が広がっているのだという。ただ一点、人間や動物が一切存在しない点を除けば。――それって、とっても素敵な世界じゃないかしら、と私は思う。


 私にはやりたいことも、楽しい事も、友達もいない。家に帰ればお父さんとお母さんに、新しい傷を作られるだけだ。クラスメイト達は、そんな私を気味悪がって攻撃するから、また余計に傷が増える。傷、傷、傷、傷。生きているだけなのに、傷はどんどん増えていく。バンドエイドの張り方と、はがすタイミングを見極めるのだけが上手くなっていく。

 でも透明人間の世界に行けたなら私はもう傷を負わずに済む。……本当に十三怪談なんてものがあったらの話だけど。


 駐輪所に自転車を止め、深夜二時の空気を静かに吸い込んでから、旧校舎に向かう。手の震えはまだ止まらない――怖いならやめればいいのに。理屈ではわかっているのにどうすることもできないから、支離滅裂な日なのだ。


 かくして旧校舎への潜入は、驚くほどで進んだ。そもそも入り口に鍵がかかっていなかったのだ。疑問を覚えつつも、私の足は止まらない。階段を封鎖する注連縄しめなわまたいで、どんどん進む。千切り捨てられたお札が散らばった踊り場を無視して、どんどん進む。……正直、気味が悪いと思ったけれど、それだけだ。精神的に追い詰められている感触は確かにあるけれど、所詮はただの演出だ。――今もなお体中にうずく傷の痛みに比べれば、我慢できないほどでもない。


 しかし、さすがの私も「赤い扉」を目の当たりにした時は、足を止めてしまった。だって問題の扉ときたらんだもの。不気味というより、ただひたすらに不自然――ペンキみたいなな赤ではなく、もっと深いところから来たものだと本能的に感じさせる、そんな赤。


 支離滅裂だった思考も一気に沈着して、「引き返そう」という現実的な思考が脳裏をよぎる。でもそれはできなかった。第一に、足がすくんでいるから。第二に、何者かのを背後から感じていたから。前に進む無謀さはあっても、後ろを振り返る勇気などない。

 そして第三に、戻るという選択肢が、そもそも私には無かった。ここで戻ってしまったら、またあの日常を繰り返すことになる。やりたいことも、楽しいことも、友達もいない、つまらなくて息苦しい日常に。新しく傷をこしらえるだけの日常に。

 ならばこの状況こそ、私が望んだものではないのか――私の人生を根底から覆してくれる、想像を絶する何かが、この先に待ち構えているのではないか。違う世界へと続く扉が手の届くところにありながら、何もせずに逃げようというのか。


 すくんだ足は、前へと進んだ。一生分の勇気を振り絞って、扉に触れる。鈍重で、じっとりとした感触は、意外にもあっさりと払拭された。


 ノブをひねった向こう側、そこで私を待っていたのは――

 


 

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