第124話

 そうしてあっという間に、アッシェン城を離れる時がやってきた。

 見送りには大勢の人が来てくれた。カーソンやロージー、たくさんの使用人、アダムを始めとする騎士団の人々。

 それぞれ、順にジュリエットに別れの言葉を継げる。


「ジュリエットさま、これ……。ショールを編みました。どうかお身体にお気をつけて。たまにはアッシェン城にもお顔を出してくださいね」

「ありがとうございます、大切にします。カーソンさんも、いつまでも健やかでいらしてくださいね。このお城には、まだまだあなたが必要ですから」


 カーソンは一見冷静にも思えたが、よくみれば眼鏡の向こう側で目を潤ませていた。


「せっかく仲良くなれたのに、もうお別れなんて寂しいです……っ! でも、また会えますよね?」

「ロージー……。ええ、きっと」


 ロージーはぼろぼろと涙をこぼしながら、別れを惜しむようにいつまでもジュリエットの手を握っていた。


「ジュ、ジュリエットさん……っ! ほん、本当にお疲れさま……でしっ……! うっ、うぅ……」

「泣かないでください、アダムさん。またおばあさまのお話相手になってくださると嬉しいです」


 アダムは他の誰より号泣し、言葉を詰まらせながら小さな花束を手渡してくれた。 

 フォーリンゲンにいたら、きっと一生出会えなかった人々。短い付き合いだったけれど、ジュリエットにとってはかけがえのない仲間たちだ。


 ひとしきり彼らと言葉を交わした頃、城のほうからオスカーがやってくるのが見えた。ジュリエットの側に群がっていた使用人たちが、慌てて道を空ける。

 しかし、オスカーの側にエミリアの姿はない。


「すまない。エミリーにも顔を出すよう説得していたのだが、部屋にこもって出てこようとしなくて……」

「いいえ、いいんです」


 最後に会えなかったことを残念に思うが、どこかでそんな気はしていた。

 彼女は寂しがり屋で、意地っ張りで、とびきり繊細な子だ。

 きっと突然訪れたジュリエットとの別れに、様々な感情を持て余しているのだろう。


「これ……。直接お別れを言えないかもしれないと思って、お手紙を書いておきました。エミリアさまに渡しておいてください」

「ああ。必ず本人に渡す」


 オスカーは深く頷き、受け取った手紙を懐にしまった。

 そして静かに、ジュリエットに視線を戻す。


「この半年間、君にはとても世話になった。どんなに感謝しても足りないくらいだ」

「……ふふっ」


 真摯な態度に、ジュリエットはつい笑ってしまった。


「ごめんなさい。なんだか、半年前がとても懐かしくて」


 祖母の策略でエミリアの誕生日パーティーに参加したあの日。オスカーはジュリエットのことを財産狙いの小娘だと決めつけ、信じられないほど無礼な言葉を投げかけた。

 そして頭に血が上ったジュリエットは、彼の頬を思い切り叩いたのだ。

 今思えば、あれからすべてが始まったのだと思えば、そんなひどい思い出も感慨深いものがある。


 ジュリエットが思い出し笑いをしている内に、オスカーも当時のことを思い出しておかしくなったのだろう。

 くっと喉を鳴らし、一緒に笑い始める。


「ご主人さまが……笑った!?」

「明日は雪でも降るんじゃないか!?」

「いや、石つぶてくらいは降ってくるかもしれないぞ」

「こら、あなたたち。ご主人さまに向かって無礼ですよ! もうお別れは済んだのだから、早く持ち場へ戻りなさい!」


 驚愕する使用人たちを、カーソンが叱りつける。

 メイド頭を怒らせては大変とばかりに、使用人も騎士たちも口々に謝罪の言葉を口にし、蜘蛛の子を散らすようにその場を去って行った。

 けれどジュリエットには分かっていた。彼女は恐らく、オスカーとジュリエットの別れが誰にも邪魔されないよう、気を遣ってくれたのだと。


 ふたりきりになり、ジュリエットとオスカーは改めて向かい合う。

 先日、執務室で互いに別の道を歩もうと決めて以降、こうしてふたりだけで話すのは初めてのことだった。

 だから、少し緊張しながら口を開く。


「……長いようで、あっという間の半年でしたね」

「ああ。本当に……あっという間だった」


 しみじみと紡がれたその短い言葉には、互いにしかわからない思いがたっぷりと込められていた。


「どうかこれからも、エミリアさまのことを大切にしてくださいね。過干渉や過保護はほどほどに」

「分かっている。任せてくれ」

「それから、これからはもっと人付き合いをしてください。旦那さまはただでさえ誤解されやすいんですから、その適当に伸ばした髪をきちんと切って、流行の服に身を包んで。そうしてまた、アーサーさまのような信頼できるご友人を作ってください」

「……わかった」

「人と話す時は、できるだけ笑顔で話してくださいね。でないと、相手が萎縮してしまいます」

「――努力する」


 母親のようなジュリエットの小言に、オスカーはひとつひとつ大真面目な顔をして頷いた。最後は少し難しい表情を浮かべていたが、それでも、無理だとは決して言わない。


「最後に。もう、わたしのことで後悔なんてしないでください。顔を上げて、前を向いて生きてください。それが何より、わたしリデルの願いなのですから」

「ああ……約束する」

 

 真摯な眼差しで、オスカーが頷く。

 その言葉を聞けたら、十分だった。


「では……メアリと御者も待たせていることですし、わたしはそろそろ行きますね」


 もうこれ以上言うことはない。

 それにいつまでのオスカーの顔を見ていたら、名残惜しくなって離れがたさが増してしまう。


「ああ、それでは……元気で。ジュリエット」

「あなたもお元気で。アッシェン伯」


 そうして、ジュリエットは馬車のほうへ歩き出した。振り返ることはしなかった。

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