第125話

 その日、アッシェン城のティールームでは予定より少し遅れて、オスカーの誕生日を祝う茶会が開かれていた。


「旦那さま、おめでとうございます」

「おめでとうございます!」


 突然ティールームに呼び出されたオスカーは少々面食らった様子だった。目を丸くしながら、室内の様子を窺う。

 オーナメントで華やかに飾り付けられた室内。色紙いろがみに手書きで書かれた『お誕生日おめでとう』の文字。

 そしてテーブルの上を彩る、色とりどりの花や菓子。


「これは……すごいな。君たちが用意してくれたのか?」


 オスカーが、部屋の隅に控えていたカーソンとロージーに問いかける。彼女たちは意味深な笑みを浮かべて首を横に振った。


「私たちもお手伝いしましたが、このお茶会は、エミリアさまが張り切ってご準備なさったのですよ」

「飾り付けもお花の手配も、すべてお嬢さま主導で行われたんです。どうしてもお父さまのお誕生日をお祝いしたかったんですよね!」

「エミリーが? それはすごいな」

「うん……」


 父から笑顔を向けられ、しかしエミリアは手にしていた籠を浮かない気持ちで彼に差し出した。


「お誕生日に間に合うようにって、頑張って練習したの。ちょっと遅くなっちゃったけど、どうしてもお父さまに食べてもらいたくって……サンドイッチよ」

「そうか……お父さまのために頑張ってくれたんだな。ありがとう」


 よしよしと、微笑みながら頭を優しく撫でられる。

 だけどその微笑が、エミリアにはどこか寂しそうに見えた。

 以前の――ジュリエットがやってくる前の、すべてを諦めたような父の顔とその微笑が重なり、エミリアはなんだかとても居たたまれない気持ちになって、逃げるように足を引く。


「エミリー?」

「あの……ごめんなさい。なんでもないの。ちょっとお部屋に忘れ物をしたから、取りに行ってくるわ」


 不思議そうな顔をする父やカーソンたちを置いて、エミリアはティールームを去る。

 そして足早に自身の部屋へ向かい、机の引き出しの最奥にしまい込んでいた一通の手紙を取り出す。


 差出人はジュリエット・ディ・グレンウォルシャー。

 ジュリエットが去って三日。

 エミリアはまだ、彼女からの手紙を開封できずにいた。

 

§


 誕生日会が終わり、エミリアはひとり、リデルの墓を訪れていた。

 冬を前にして、白い薔薇は満開の時期を迎えている。甘く静謐な香りが墓所を満たし、今のエミリアにはそれがまるで、母が自分のことを柔らかな笑顔で迎え入れてくれるように思えた。


「お母さま……。聞こえているかしら。こうして話しかけるのは初めてだから……、ちょっと緊張しているわ。何から話したらいいかしら……」


 返事がないことが寂しくて、これまで一度も自分から話しかけたことはなかった。

 もちろん今日だって返事があるはずはない。

 けれど今日はどうしてもそうせずにはいられず、ぽつりぽつりと途切れがちに、母に向かって語りかける。


 オスカーとジュリエットが話している様子を見て、胸がもやもやしていたこと。

 彼女を一方的に責めたその夜、イーサンによって誘拐されたこと。

 怖くて怖くて堪らなかったけれど、ジュリエットが身を挺して助けてくれたこと――。


「おじさまは、ジュリエットのことをお母さまに似ていると思って誘拐したんだって、お父さまが言っていたわ。……全然似ていないのにね」


 銀髪に瑠璃色の目をしたリデルと、目も髪も茶色いジュリエットとではどこからどう見ても別人だ。だから伯父が何を根拠にそんな風に思い込み、罪を犯したのか、エミリアには今もってわからない。


「だけど……だけどね」


 エミリアはジュリエットが自分を逃がしてくれた時のことを思いだし、目を伏せた。

 

「あの時……ジュリエットがわたしのほっぺたにキスをしてくれた時、確かに聞こえた気がしたの」


『愛しているわ、エミリア』


 そう言った、母の声が。

 あれが幻聴だったのかそうでないのか、いまだにわからないけれど。


「変よね。ジュリエットとお母さまは違う人なのに……なぜかあの一瞬だけ、ジュリエットがお母さまに見えたの。こんなこと言ったら、お母さまは悲しむかしら。それとも……」


 頬を撫でるような、優しい風が吹く。

 それが母からの返事のように思えて、エミリアはぐっと唇を引き結んだ。


「……今日はね、お父さまのお誕生日パーティ-だったの。お部屋を綺麗に飾り付けして、たくさんのお菓子やお花を用意して……。それで、お父さまは私の作ったサンドイッチを、とても喜んでくれて……嬉しかったの。嬉しかったんだけど、何か足りなくて……」


 カーソンがいて、ロージーがいて、父がいて。

 本来そこにはジュリエットもいて、一緒に笑っているはずだった。エミリアの作ったサンドイッチを共に食べて、練習の苦労を語り合ったり、失敗談で笑い合ったり――。


 けれどエミリアとともに密かに誕生日パーティーの準備を進めてくれた彼女は、もうこの城にはいない。事件が一段落するなり家庭教師としての役目を辞し、実家へ戻ってしまったのだ。


「わたしのせいだわ……」


 エミリアが父との仲を責め、自分の母親はリデルだけだと言ったから。

 だからジュリエットは、身を引かざるを得なかったのだろう。


 ジュリエットがいなくなったあの日、エミリアはとうとう、最後まで顔を見せることができなかった。

 彼女に合わせる顔がなかったからだ。

 エミリアは自分勝手な猜疑心でジュリエットに八つ当たりし、彼女を傷つけた。それなのにジュリエットは、命の危険を冒してまでエミリアを逃がしてくれたのだ。

 申し訳なくて、恥ずかしくて、ジュリエットに非難の目を向けられるのが怖くて、それで自室に閉じこもった。今思えば、なんて子供なのだろう。


 胸に溜まった重苦しい感情を吐き出すように長いため息をついたエミリアは、ポケットに手をやった。

 そこには、開封できていないジュリエットの手紙が入っている。


「今日はね、ジュリエットからの手紙を読もうと思って持ってきたの。……お母さまが側にいてくれたら、中身を読む勇気が出るかもって……。だから、一緒に聞いていてね」


 そう言うと、エミリアは思い切って手紙の封を開けた。

 そして美しい文字の綴られた便せんに視線を落とし、声に出しながら文面を追う。


「エミリアさまへ。こうして改めてお手紙を書くのは初めてで、少し緊張しています――」




 ――半年前、エミリアさまと初めて出会ってから、本当に色々なことがありましたね。

 一緒にお茶を飲んでお菓子を食べたり、好きな本について語り合ったり、授業を脱線して他愛もない日常会話に花を咲かせたこともありました。

 きっとそれは、他人にとってはなんてことない日常の出来事なのだと思います。

 けれどわたしにとってはそのすべてが、エミリアさまと過ごした日々の大切な思い出です。


 初めてお会いした時、エミリアさまはわたしをお友達だと仰ってくださいました。

 そして頑ななお父さまに対して、わたしに謝罪をするよう説得してくださいましたね。

 わたしはそのことが、エミリアさまの優しいお気持ちが、何よりとても嬉しかったです。


 更にエミリアさまは、わたしをご自分の家庭教師として任命してくださいました。

 元々とても頑張り屋なエミリアさま。最初はお勉強も礼儀作法も少し苦手でしたが、たくさん努力して、今は立派な淑女になられましたね。

 ジョエル王子さまの誕生日会でも、きっとアッシェン伯爵令嬢の名に恥じない、堂々とした振る舞いを見せてくださることでしょう。

 美しく着飾ったエミリアさまが皆の注目の的になる姿が、目に見えるようです。


 あなたに出会えて、本当によかったです。遠くフォーリンゲンから、ご成功を祈っております。

 いつまでもお元気で、お幸せに。女神さまが、これから先のあなたの道を祝福の光で照らしてくださいますように。


 ジュリエットより、愛を込めて


 追伸・ガーベラは咲いていませんでしたが、代わりに菊で押し花を作ってみました。花言葉は『あなたはとても素晴らしい友達』。これからもずっと、エミリアさまはわたしの大切なお友達です。




「ジュリエット……」


 手紙を読み終えたエミリアは、掠れた声で友の名を呼んだ。

 ジュリエットは、エミリアを責めてはいなかった。非難など、していなかった。

 恨み言一つ書かず、ただエミリアを気遣い思い出をしのぶ内容に、エミリアは愕然とする。


 封筒の中に手を入れると、そこには栞が入っていた。

 手紙に書かれていた通り、小ぶりな黄色い菊の押し花が閉じ込められている。


「わたし、ジュリエットになんてことを……」


 大切な、初めての友達だったのに。ジュリエットはいつもエミリアを見守り、励ましてくれていたのに。



「……本当は、わかっていたの。ジュリエットが来てから、お父さまが明るくなったって……」


 エミリアの目から見て、以前の父は死に場所を探しているように見えた。

 娘がいるから生きているだけで、そうでなければ今にも消えてしまいそうな、遠くに行ってしまいそうな無気力な目をしていた。

 だけど今の父は違う。

 楽しいことがあれば笑うし、冗談も言う。人生に疲れ、すべてを諦めたような目をすることもなくなった。


「わかっているの。……お父さまが再婚したって、お母さまを愛した過去やお母さまとの思い出が消えるわけじゃない。お母さまがわたしを愛してくれた事実が消えるわけじゃないって……」


 死者との思い出は人の心に残り続ける。思い出を忘れない限り、亡くなった人はその人の胸の中で永遠に生き続けるのだと。

 けれど幼いエミリアは、父が再婚すれば母の存在が忘れ去られるのではないかと怯え、ジュリエットを傷つけた。傷つけてしまったまま、助けてもらった礼も言わぬままにこの城を去らせてしまった。


 なぜ、もっと早くこの手紙を読まなかったのだろう。

 そうすればきっと――。


「……ううん」


 込み上げかけた涙を呑み込み、エミリアは首を横に振った。

 後悔するのはまだ早い。自分にはまだ、友人のためにできることがあるではないか。

 

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