第119話

 オスカーだけではない。

 少し遅れて、彼の背後から武装した大勢の騎士たちがやってくるのが見える。


(来て、くださった……)


 もう大丈夫。彼が助けにきてくれた。

 腰が抜けそうなほどの安堵感を覚えながら、ジュリエットはイーサンの腕を振り払い、ミーナの元へ駆け寄った。そして彼女を助け起こしながら、信じられないものを見るような気持ちでオスカーを見つめる。

 外套を翻しながら軽やかに地面に降り立つ彼の姿が、涙でにじんでぼやける。


 そんなジュリエットを一瞥した後、オスカーは右手を挙げて背後の騎士たちに合図を送った。

 下馬した騎士たちがすぐさま周囲を取り囲み、イーサンの手下たちを捕縛する。


「貴様ら、騎士ごときが公爵たる私に刃向かうか!」


 剣を取り上げられ、後ろ手に拘束された手下を前に、イーサンが居丈高に叫ぶ。しかしオスカーに忠実に仕える騎士たちが、その程度で手を緩めるはずもない。もはやイーサンがこの状況を打開する術は残されていなかった。


「ジュリエット先生、大丈夫ですか!?」

「お怪我はありませんか?」

「わたしは大丈夫。それよりミーナの手当てをしてあげてください!」


 自分たちの元まで駆けつけてくれた騎士たちにミーナの身を預けると、ジュリエットは静かに立ち上がった。

 対峙するオスカーとイーサンの姿を、誰もが固唾を呑んで見守っている。


「残念です、クレッセン公。まさか公爵ともあろう方が、婦女子の誘拐を企てようとは」

「アッシェン伯……。なぜ、貴様がここにいる……!」


 苦々しげに奥歯を噛んだイーサンが、吐き捨てるように言いながらオスカーを睨み付ける。

 確かに、エミリアが馬に乗ってこの場を立ち去ってから、そう時間は経っていない。どんなに飛ばしたとしても、この短時間でアッシェンに救援を要請した上で、オスカーが騎士を率いてここまで駆けつけてくることは難しいだろう。

 

 そう、エミリアが城へ辿り着く以前に、、、、イーサンの計画を知らない限りは。

 イーサンもすぐ、その可能性に思い至ったに違いない。未だ倒れ伏したままのミーナを、険しい目つきで睨み付ける。


「まさかミーナ、お前が教えたのか!?」

「残念ながら、ミーナではありません。あなたが城内に忍び込ませていた自身の手駒は、何も彼女だけというわけではないでしょう」

「何を――」


 その時、オスカーの背後から近づいてくる人影に、イーサンが鋭く息を呑んだ。

 ――ライオネルだった。


「ジュリエットが誘拐されてすぐ、彼が私の部屋までやってきて教えてくれましたよ。あなたの今回の計画を。もっともあなたは用心深い人で、彼もその全貌を知っているわけではないようでしたが」

「貴様……! よくも私を裏切ったな!」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」


 うっすらとした笑みを浮かべながら、ライオネルは冷ややかな声と視線でイーサンの罵倒に応える。

 彼とイーサンの間に何があったというのだろうか。今のジュリエットには何もわからないが、少なくともライオネルのおかげで、オスカーがここへ駆けつけてくれたのは間違いないようだった。

 

 しばらく呆然としていたイーサンだったが、やがてふつふつと怒りが湧いてきたのだろう。


「あああああああああああああ!!」


 荒ぶる感情を吐き出すような恐ろしい叫び声を上げると、剣を掲げてオスカーへ襲いかかる。

 かつてオスカーを傷つけ、左目を奪った剣が、再び彼を傷つけようとしている。

 血にまみれたオスカーの姿を想像して思わず青ざめたジュリエットだったが、そんな心配はいらなかったとすぐに思い知ることとなる。

 

 幾度も響き渡る金属音。

 激しい剣戟の音。

 月光の下、土埃を舞い上げながら、ふたりの男が剣を交える。


 怒りのままに振り下ろされたイーサンの力任せの攻撃は軽く受け止められ、受け流され、弾き返される。

 片目が見えないという不利な条件下でも、オスカーの力が圧倒的に勝っているのは誰の目から見ても明らかだった。

 イーサンは幼い頃から、神童と呼ばれるほどに何の道においてもたぐいまれなる才能を発揮する子供だった。だから、彼をこれほどまでに圧倒した相手を、ジュリエットは他に知らない。


 やがてイーサンの剣はとうとう一度もオスカーに届くことなく、弾き飛ばされた。宙でくるくると回転しながら、地面に突き刺さる。


「……はっ! 愛人の命がそんなに大事か!?」


 この期に及んでも、イーサンはオスカーへの攻撃を止めなかった。その方法が、剣から言葉に変わったというだけのこと。

 肩で息をしながら血走った目で、歪んだ笑みで、残酷な言葉でオスカーを傷つけようとする。


「貴様は昔からそうだ! あの子がどんなに寂しかったか、悲しかったか、考えたことはあるか!? お前の浅はかな行動のせいでリルが命を落とす羽目になったというのに、やはりお前は何も変わってはいない愚か者だ!」

「……そうだな」


 静かに、オスカーが口を開く。


「俺は彼女を傷つけ、不幸にした。何度も、何度も、そのことを後悔してきた。貴殿の言う通り、俺は愚か者だ」


 オスカーの、自身の非を認める言葉に、イーサンが勝ち誇ったように唇の端をつり上げる。

 言葉は時に毒となり、相手の心を黒く染めるものだ。イーサンもまた言葉によってオスカーを傷つけ、彼に隙を作り出そうとしたのだろう。

 懐に差し入れられた彼の手が再び月光のもとにあらわにした時。その手には、短剣が握られていた。


「旦那さま、避けて!」


 イーサンがオスカーめがけて駆け出すのと、ジュリエットが叫んだのはほぼ同時だった。

 そして、オスカーがはっきりと、こう呟いたのも。


「だが、今度は間に合った。――もう大丈夫だ、姫君プリンシア


 その言葉は、イーサンの耳にも届いていただろうか。一瞬、彼の動きが鈍くなったように感じたその瞬間。

 ざん、と剣が肉を切り裂く音が聞こえ、辺りに血が飛び散る。


 イーサンの悲鳴がこだまし、やがて夜の森に吸い込まれるように消えていった。

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