第111話
「何……を仰っているのですか」
「あの日、エンベルンの森で休憩を取った際、あなたが配ったクッキーの中には遅効性のしびれ薬か睡眠薬が入っていたのでしょう?」
だから騎士たちは野盗に襲われるまでもなく落馬し、応戦することもできず、意識を失ったまま命を奪われた。誰も、もちろんリデルも、ミーナの配ったクッキーに薬が入っていたなど思いもしなかったのだ。
淡々と指摘され、見る間に顔を青ざめさせていくミーナの目の奥には、何か得体の知れないものを前にした時のような恐れが浮かんでいる。
「どうしてあなたがそれを……」
凍り付いた顔。そして、どうとでもとれる言葉。
けれどジュリエットの耳に、それはミーナの自白に聞こえた。
「――わたしがリデルだからよ!」
震えるミーナの声を遮るように、ジュリエットは名乗りを上げた。そして驚愕に目を見開くミーナの肩を強く掴み、悲痛な声で訴えた。
「どうして……! どうしてよりにもよってあなたが! わたしは、あなたが生きていてくれて嬉しかった! エミリアの側にいてくれて、嬉しかった! それなのに……あなたはずっと、わたしのことが憎かったの? だから今もお兄さまに加担して、エミリアを誘拐なんてしたの!?」
乳母の元で幼い頃から共に過ごし、姉のように慕っていた。
悲しい時は共に悲しみ、嬉しい時は共に笑ってくれた彼女のことを、かけがえのない友だと思っていた。
自分たちの間には、主人と侍女という関係性以上の絆があるのだと信じていたのだ。
けれどそれはリデルの思い込みで、ミーナのほうはずっと、リデルに消えてほしいと思っていたのだろうか。
悲しみで張り裂けそうな心を、怒りを沸騰させることによってなんとか壊れないように保つ。そうしなければ、足下が揺らいでとても立っていられそうになかった。
「いいえ……いいえ! 私には、姫さまを死なせる気などございませんでした!」
ミーナもまた、顔面蒼白のまま、負けじと大きな声で反論した。
「私はただ命じられた通りにしただけです! 別荘へ向かうまでの道程や、護衛隊の構成、いつどこで休憩時間を取るのかの情報を渡して……。それで、野盗の仕業に見せかけて、姫さまを誘拐できればそれでよかったんです。クッキーに入れた薬だって、ただ眠らせるためのものだと聞いていました」
「あなたはそう思っていたとしても、そのことで、罪もない大勢の騎士たちが亡くなったのよ!」
あの出来事のせいで、大勢の子供たちが父親を失った。大勢の女たちが夫を失った。
子を、兄弟を、友人を――。
アッシェン中の人々が親しい誰かを亡くし、悲しみに包まれたその日のことを、ジュリエットは直接的には知らない。けれど、今のミーナの発言はとても許せるものではなかった。
血を吐くような叫びを、ミーナは蒼白な、そして無感情な顔のまま受け止めているように見えた。
しかしやがて静かに顔を上げると、ジュリエットの目をおずおずと覗き込む。
「本当に……本当に、リデルさまなのですか……?」
「ええ。姿形は違うけれど、わたしはリデル・ラ・シルフィリア・ディ・アーリング。あなたが〝姫さま〟と呼んでいた彼女の生まれ変わりよ」
ミーナの視線をまっすぐに受け止め、ジュリエットは懐かしい呼称を口にした。
その瞬間、ミーナの片目から一滴の涙が零れ落ちる。
けれどそれは本当に一瞬のことだった。ジュリエットが驚きにまたたきをしている間に、ミーナはこぼれ落ちた涙を手の甲で拭い、静かに頭を下げる。
「失礼いたしました。私には、再開を喜ぶ資格も、泣く資格もございません。そして、謝罪する資格さえも……」
そうして顔を伏せたまま、消え入るような声で己の罪を告白し始めた。
「あなたさまの仰るとおりです。私は、私自身の軽率な行動によって大勢の……姫さまの命さえ奪う結果を招いてしまいました。ずっとそのことを悔いて生きてきたはずなのに――。私はまだ、愚かだったミーナのままだったのですね」
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