第112話
ミーナ・ディ・オルブライトの人生を一言で表すなら、それは『脇役』という言葉がぴったりだろう。
生家であるオルブライト男爵家は伝統のある一族だったが、先祖代々特に戦功を立てるでもなく、商才があるわけでもない。エフィランテに数多く存在する貴族の中で、気にもとめられないような存在だった。
そしてオルブライト一族は女系だったため、長らく男児に恵まれず、ミーナが生まれた時も父はそれは落胆したらしい。
『次は男を産め』
出産を終えてぐったりした母にかけられたのは、そんな素っ気ない一言だったそうだ。
そんな風だったものだから、ミーナには父に可愛がられた記憶がない。名を呼んでもらったことも、一度か二度くらいではないだろうか。
そして母もまた父を見返すため嫡男を産むのに躍起になり、ミーナのことは二の次だったように思う。
その執念が実り、ミーナが生まれてから三年後、母は次の子を授かった。
更に運のよいことに、丁度同じ頃、王妃が六人目の子を身籠もり、乳母を探しているとの触れが回ってきた。落ち目のオルブライト家が、王家と繋がりを持てる唯一の好機と言ってもよかった。
両親がそんな美味い話に飛びつかぬはずもない。
面接に臨んだ母は見事、産まれてくる王子か王女の乳母となることが決まった。
父は大喜びし、これまでに見たことのないほど上機嫌な顔で母を褒めた。そして珍しくミーナを抱き上げ『お前は王子か王女の乳兄弟になれるのだぞ』と笑っていた。
しかしその後、オルブライト男爵家は立て続けに不幸に見舞われる。
鉱石発掘の仕事で現地に赴いていた父が、落石に巻き込まれて死亡。更にその知らせを聞いた母が、ショックのあまり流産してしまったのだ。
嫡男となるはずだった赤子が流れたことによる母の悲しみは、いかばかりだっただろうか。
だけど、ミーナは少しだけ安心していた。
これで母の関心は自分だけに向くだろう。これからは自分ももう少し、母に甘えられるかもしれない。
オルブライト家に起こった悲劇を知った王妃は、遺された母娘のことを大層哀れんでくれた。母だけでなくミーナまでをも王宮に迎え、使用人用の一室に住まわせてくれることにしたのだ。
『あなたには産まれてくる子のお話相手になってほしいわ』
王妃はきっと、何の気なしに発した言葉。
けれど後ろ盾を失った母にとってそれは、なんとしてでも手放したくない希望の光のようなものだったに違いない。
『あなたは御子の第一の従者になるのよ。いいこと、王族に仕えるからには、甘えは許されませんからね』
ミーナの意思は一切介入しないまま、母の手によって、母の思うままの未来が形作られていく。それでもミーナは母が喜ぶならと、素直に頷いた。
やがて王妃から産まれたのは、王族特有の瑠璃色の目と銀の髪を持つ、とても美しい女の御子だった。
『リデル』と名付けられたその王女は産まれた時から儚く、病弱で、しょっちゅう熱を出しては周囲の大人たちを心配させた。
もちろんミーナの母もそうだ。リデルが熱を出せば一晩中側に付き添い、少しでも異変があればすぐに医師を呼び、部屋の温度が高いだの低いだのと女官たちを叱りつけた。
母は、リデルのことを本当の娘のように――いや、それ以上に可愛がった。
毎晩絵本を読み聞かせ、子守歌を歌い、彼女がぐずれば抱き上げて優しくあやす。
リデルがある程度成長し、歩いたり言葉を喋るようになってからも、彼女の側には常に乳母の姿があった。
『少し過保護だけれど、愛情深い立派な乳母さま』
周囲はミーナの母のことをそう呼んだ。
なるほど、確かに彼女は立派な乳母だったかもしれない。けれど、母親としてはどうだっただろうか。
『ミーナ、また熱を出したの? いやだわ、リデルさまにうつさないようにしないと……』
『自室にいなさいと言ったでしょう。お母さまは今、リデルさまのお世話で忙しいの』
『本を読んでほしい? そんなのひとりで出来るでしょう。みっともない駄々をこねてお母さまに恥をかかせないでちょうだい』
どんなに高熱を出しても、具合が悪くても、母は『自分が病気を持ち帰ってリデルにうつしてはいけない』と見舞いにすら来なかった。
彼女の中ではリデルが最優先で、実の娘であるミーナのことなど二の次だったのだ。
寂しいと訴えることすらできない子供時代。母と過ごす時間はすべて、リデルに取られてしまった。
それでもミーナが心からリデルを憎んだり恨んだりすることができなかったのは、彼女が悲しいほどに素直で、純粋で、優しかったせいだろう。
『ミーナはわたしのお姉さま同然の人よ』
『こっちに来て一緒にご本を読みましょう? このお話、とてもおもしろいの』
『ねえ、ミーナ。大好きよ。ずっと一緒にいてね』
美しく、綺麗な心の持ち主であるリデルはミーナの中でいつだって主役だった。
そして物語の
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