第104話
淡々とジュリエットから視線を逸らしたイーサンは、次に使用人たちのほうへ視線をやった。
瑠璃色の目が捉えたのは、侍女たちの中央で頭を下げていたミーナだ。
「ああ、そこにいたのか。息災だったか、ミーナ?」
「はい、おかげさまで。イーサンさまもお元気そうで何よりでございます」
公爵と侍女長のやりとりとしてはやや気安いやりとりだが、それも彼らがかつてリデルを通して親しく交流していたためだろう。
(ふたりと一緒に、よくお庭でお茶会を開いたものね……)
ミーナは『自分は侍女だから』と遠慮していたが、リデルが半ば強引に椅子へ座らせていたのだ。
小さなリデルのわがままに、イーサンはいつも笑顔で、そしてミーナは苦笑しながらも付き合ってくれた。
そんなふたりのことを、リデルは実の兄と姉のように思っていたものだ。
「部屋の準備は整っているのだろうな。長旅で疲れた。少し休みたい」
「もちろんでございます。早速ご案内いたします」
ミーナがちらりと背後に目配せをすると、数名の使用人たちが心得たように進み出た。
雑役夫は荷下ろしのため馬車へ向かい、厩番は御者を厩舎へと先導する。
普通はそういった指示を出すのはメイド頭や執事のはずだが、イーサンがミーナを信頼しているため、例外的にこのような形になっているのだろう。
「おじさま、ごゆっくりお疲れを癒やしてね!」
「ありがとう、エミリア。ああ、そうだ。今回もたくさん贈り物を持ってきたから、後で開けてみるといい。それではまた後ほど、夕食の際に」
エミリアの頭を優しく撫でたイーサンは、そのままオスカーを一瞥することもなく、ミーナの先導で西棟へ向かった。その後を、彼の付き人たちがぞろぞろとついて行く。
そうして一行の気配が遠のいていき、残された使用人たちがゆっくりと顔を上げた。皆、緊張が解けたような顔で安堵のため息をついている。
ジュリエットもまた、我知らず息を詰めていたことにそこでようやく気づいた。
ふとオスカーのほうへ目をやると、眉間に皺を寄せ険しい顔をしている彼が見える。
今現在、彼らふたりの関係性がどのようなものであるのか。
ほんの短いやりとりではあったが、ジュリエットはたった今の時間で、完全に理解せざるを得なかった。
§
その後、エミリアの部屋には続々とイーサンからの贈り物が運び込まれた。
可愛らしいぬいぐるみや人形、オルゴールや装身具、秋物のワンピースや帽子などだ。
たくさんの贈り物を前に、エミリアは目をきらきらさせて感激している。
「これ、王都で流行ってるお人形よね!? ずっと欲しかったの! それに、このうさぎのオルゴールも、葡萄色のワンピースも! おじさまってすごいのね。いつもわたしが欲しいものをプレゼントしてくれるの」
「それはよろしゅうございました。後ほどお礼を申し上げないといけませんね」
「ええ!」
普段は表情をあまり崩さないミーナも、興奮しきりのエミリアに相好を崩しているほどだ。
まるで、従兄の訪れを一日千秋の思いで待ちわびていた、小さな頃の自分を見ているようだ。
ジュリエットもリボンをほどくのを手伝いながら、その様子を微笑ましく見つめていた。
「本当に、お勉強の本ばかりくれるお父さまとは大違い」
「聞こえているぞ、エミリア」
返礼品のためだろう。カーソンと共に贈り物の目録を確認していたオスカーが小さく片眉を上げる。
「あら、わざと目の前で言っているのよ。そうしたらお父さまも来年のお誕生日には気を利かせて、もっと素敵な何かを贈ってくれるかもしれないでしょう?」
贈り物のセンスのなさは自覚があったのだろうか。
苦笑しながらも、オスカーは娘を窘めようとはしない。
「なんてね。お父さまからいただいたご本も、最近ジュリエットと一緒に授業で役立てているの。前は絶対にそんなこと思わなかったけれど、最近お勉強の時間が楽しくて。知らないことを覚えるのってワクワクするわ」
「そうか……。ジュリエットのおかげだな。本当にありがとう」
「いいえ、とんでもございません。そう言っていただけて、教師としても鼻が高いです」
ふたりは微笑みながら視線を交わす。
一秒、二秒。
気を抜けばいつまででも相手の目を見つめてしまいそうで、半ば引き剥がすように視線を逸らす。ほんの少しの名残惜しさを感じながらちらりとオスカーを見れば、彼は既に目録の確認に戻っていた。
(そうよね……。わたしはリデルであってリデルではないんだもの)
オスカーが愛しているのは『リデル』で、『ジュリエット』ではない。当たり前のことを、こんなふとした出来事で改めて思い知った。
少しでも彼が自分のことを気にしてくれているのではないか――なんて、自惚れが過ぎる。
小さな痛みにうずく胸を押えながら、ジュリエットは少し不安になって周囲の様子を窺った。
(今の、不自然ではなかったかしら……?)
幸いにして誰もが贈り物の梱包を開けたり、中身を確かめたりするので忙しくして、ジュリエットの様子を気に止めた様子はなかった。
(よかった。だけど、気をつけないと)
かつてイーサンは、オスカーの『愛人』の存在を知って酷く激高した。
ジュリエットの軽率な行動によって、これ以上彼らの間に亀裂を入れるわけにはいかない。
けれど、ジュリエットは知らなかった。
最愛の従兄の憎悪と執念は、自分が想像していた以上に深いものだということを――。
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