第102話

 アダムへの謝罪は、自分の口から伝えたい。

 短い休暇が終わり、実家を後にする際、ジュリエットは祖母にそう伝えた。

 祖母の勝手が発端とはいえ、元はと言えばエミリアの誕生会の際、はっきり断らなかったジュリエットにも責任がある。

 実家からアッシェン城へ戻ったジュリエットは、早速アダムに時間を作ってもらい、城の中庭で会うことにした。


「ジュリエットさん、お待たせしました」

「いいえ、わたしも今来たところです」


 夜の城内は、厨房から聞こえてくる皿洗いの音や、夕食後の片付けをするメイドたちの声で賑々しい。

 その分、ひとけのない中庭の静けさが引き立ち、自分の鼓動が相手にも伝わるのではないかと思って、余計に緊張してしまう。


「休暇は楽しめましたか?」

「え、ええ……。祖母から聞きました、アダムさんが今でも時折、屋敷を訪ねて来てくださるって……。祖母を気に掛けてくださって、本当にありがとうございます」

「いえいえ、おばあさまとお話しするのは、とても楽しいですから」


 愛嬌のある表情と優しい言葉に、罪悪感が刺激される。

 今日、アダムを呼び出したのは、パートナーの件を断るというだけではない。俗っぽい言い方をすれば、ジュリエットは今から彼を振るのだ。


 ――告白もされていないのに、自意識過剰と思われるかもしれないけど……。

 

 それでも彼がジュリエットに好意を抱いているのは明らかで、そして祖母と自分はそんな彼に、僅かでも期待を抱かせてしまった。

 これ以上、優しい彼を振り回すわけにはいかない。


「あの、アダムさん。実は、その――」


 緊張で舌をもつれさせそうになりながらも、意を決して口を開く。

 アダムは決してせかすことなく、微笑んだままジュリエットの言葉を待ってくれていた。

 まるで、ゆっくりで大丈夫だと言うように。


「ごめんなさい、アダムさん……! わたし、社交界デビューのパートナーのお話、お断りしようと思って……」

「はい」

「祖母が、あなたをとても気に入っていて……。こちらからご相談したことだったのに、本当にごめんなさい。……あなたの好意に応えることもできないのに、お誕生日会のパートナーのお話をお受けしたのも、軽率でした」

「大丈夫、大丈夫ですよジュリエットさん。分かっていましたから」


 不格好に、途切れ途切れに紡がれる謝罪に、アダムが優しい声を掛ける。

 ジュリエットが思わず顔を上げると、そこには普段と変わらぬ穏やかな微笑があった。


 あ――。


 その表情を見て、ジュリエットはふと悟った。

 アダムはもう、自分が何を言われるか分かっていたのだ。おそらくは、ジュリエットに呼び出された時から勘づいていた。

 分かっていながら、普段通りの態度で接してくれている。

 初めて顔を合わせた時、緊張で会話もままならなかったような、繊細で奥手な青年が。


 恋心を拒絶されるのがどんなに辛いことか、ジュリエットは知っている。

 知っているからこそ、アダムの穏やかな表情が逆に胸に刺さって、鼻の奥がつんと痛くなった。


「誕生日会のパートナーは、元々僕が無理を言ってお願いしたことですし、社交界デビューの件についても、ジュリエットさんさえよければ……という気持ちでお受けしたんです。だから、謝る必要なんてないんですよ」

「アダムさん……でも」

「分かってたんです。ジュリエットさんは本当は、僕なんかじゃ絶対に手が届かない女性なんだって」


 そう言うと、アダムは空を見上げる。

 そこには小さな宝石をちりばめたような、美しい星々が浮かんでいた。


「僕は鈍いし、間抜けだってよく言われるんですけど、でも、見ていればわかります。ジュリエットさんが特別、、な女性だってことくらい」


 特別、と言う言葉に殊更に力を込めて、アダムは言う。

 それは貴族階級の相手をそうと明言せず表したい時に、平民の間でよく使われる言葉だった。


「それに、ジュリエットさんには、好きな方がいるんでしょう?」

「っ……それ、は。あの……」


 彼がどこまで察しているのか咄嗟に判断できず、言いよどんでしまう。


「わかりますよ。あなたの目に僕が映っていなくても、僕はいつもあなたを目で追っていましたから。……なんて、我ながら少し気持ち悪いですね」


 動揺するジュリエットに、アダムが少し冗談っぽく苦笑した。彼はジュリエットが慕う相手が誰なのかわかっていて、あえて明言せずにいてくれるのだ。

 そんな優しい彼を傷つけてしまったことが申し訳なくて、けれどこれ以上の謝罪は失礼な気がして、ジュリエットは押し黙る。

 その沈黙を、何か別の意味にとったのだろう。アダムは慌てたように付け加える。


「あ、もちろん言いふらしたりなんてしてませんから、安心してくださいね!」

「アダムさんったら、そんな心配してません」


 あまりにも大真面目な顔で力強く宣言する彼の様子がおかしくて、ジュリエットはつい笑ってしまう。


「あ、やっと笑ってくれた。よかった。女性に悲しい顔をさせるなんて、騎士の名折れですからね!」

「アダムさんは、本当に素敵な騎士さまですわ」


 怪我をした祖母を介抱し、その後も折に触れて様子をうかがいに来てくれる。本当に素晴らしい騎士だ。

 ジュリエットの嘘偽りない心からの賛辞に、アダムの笑顔が初めて崩れた。目を潤ませ、鼻の頭を赤くする。

 けれどそれも一瞬のこと。


 彼は胸に手を当て、静かに腰を折った。それは美しい、騎士の敬礼だった。


「夢を見せてくれて、ありがとうございました。ジュリエットさんをエスコートできたことは、冴えない僕にとって一生の誇りです」

「アダムさん……」

「ジュリエット・ヘンドリッジさん。あなたの想いが実りますように。あなたの幸せを、友人としてお祈りしています」


 だからジュリエットも、淑女の礼でそれに応じる。


「わたしも、アダム・ターナーさん。あなたのこれから先の人生が、多くのよき出会いに恵まれるよう、心よりお祈りしております」

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