第100話

 ジュリエットの予想通り、久し振りの実家では祖母が手ぐすね引いて待ち構えていた。

 やれドレスの生地はこれがいいだとか、ティアラはどこの店に頼むだとか、いややはり自分が社交界デビューした時に使った伝統ある物を使うべきかとか。

 室内に広げられた沢山の生地見本やレースを前に、軽やかな足取りで右往左往する姿は、まるで年若い少女のよう。

 

「おばあさまったら、まるでご自分がデビューするみたい」

「大目に見てあげなさい。お義母さま、あなたの社交界デビューを誰より楽しみになさっているのよ」


 針子の採寸を受けながら呆れてため息をつけば、母が小さく笑い声を上げながら応じる。

 確かに、社交界デビューとは貴族の子らにとって一大イベントである。とはいえ。


「この調子だと、わたしの意見なんて必要なさそう」

「まあまあ、拗ねないで。ほら、あなたはドレスのデザインでも考えてなさい」


 別に拗ねているわけではないのだが、母の目にはそう見えたのだろうか。宥めるようにデザイン帳を押しつけられる。

 フォーリンゲン子爵家で昔から懇意にしている仕立屋が用意したものだ。伝統的な形のものや、王都での流行りを加味した華やかなものまで、一通り揃っている。


「こんな風に袖が大きく膨らんでるものがいいかと思っていたけれど、袖がレースになっているのも素敵よね」


 母の指し示したデザインは、肩が大きく開いたものだった。品を損なうようなデザインではもちろんないが、これまでジュリエットが持っていたドレスと比べると、随分大胆な印象だ。


「大人っぽすぎない?」

「大人の仲間入りをする行事なんだから、少し背伸びするくらいが丁度いいのよ。それに……あなた、なんだか前より大人っぽくなったわ。顔立ちというか、眼差しというか、雰囲気が落ち着いた感じになったわね」


 好きな人でもできたのかしら、と悪戯っぽく付け加えられ、顔色を変えないようにするのに苦心した。

 さすが母親、当たらずとも遠からずと言ったところだ。


「そう? 自分ではわからないけど……」 


 適当に言葉を濁したところで、期せずして助け船が入った。


「ああ、ジュリエット。そういえばあなた、舞踏会でのパートナーはまだ決まっていないのよね?」

「え? ええ……」


 生地見本から顔を上げて話しかけてきた祖母の問いに、ジュリエットは戸惑いながら頷く。

 社交界デビューの日は、王城の広間でデビュタントお披露目のための舞踏会が開かれるのだが、必ずパートナー同伴の上で臨まなければならないのだ。

 大抵は親の決めた婚約者か、年の近い親戚などに頼むのが一般的である。

 ジュリエットの場合は婚約者がいないため、きっと父が親族の誰かに頼んでくれるだろうと思っていたのだが――。


「そう思って、つい先日アダムがうちを訪ねてきた時に、あなたのパートナーになってくれないかお願いしてみたの!」


 今にワルツでも踊り出すのではないかと思えるほど上機嫌な祖母の言葉に、ジュリエットは思わず目を剥いた。


「えっ!? どうしてそんな……。というか、どうしてアダムさんがお祖母さまのおうちに?」

「あら、聞いていないの? 彼、あれからもちょくちょく心配して、私を訪ねてきてくれているのよ。いわゆるお茶のみ友達ってものよ。本当にいい青年よねぇ」


 それはもう。

 話好きの祖母の長話に付き合うのは、どんな高級な紅茶や菓子を供されたところで苦行に違いない。

 アダムが好青年であることに、異論があろうはずもない。しかし今は、そんな話をしたいわけではなく。


「だからって、また勝手に……!」


 脳裏をよぎったのは、エミリアの誕生日会の時の一件だ。

 あの時も祖母は、ジュリエットの意見を聞かず何もかもひとりで勝手に決めてしまった。一度だけならと渋々頷いたのが、そもそもいけなかったのだろうか。


 デビュタントお披露目の舞踏会でパートナーとなる相手は、大抵が婚約者か親戚。親戚でもない男性にエスコートしてもらえば、周囲からは当然そういう目で見られてしまう。


「アダムさんにもご迷惑でしょう」

「あら、彼は〝ジュリエットさんがいいと仰るなら喜んで〟ってお返事してくれたわよ。よかったわねぇ、ジュリエット」

「そんな――」


 しかし、ふと覚えた違和感に、ジュリエットは口を閉ざした。確かに彼女は前々から強引で我の強い人ではあったが、人の意志を無視してまでことを勧めるほどではなかった気がする。


 ――おばあさま、何か焦ってるような……?

 

 注意深く祖母の様子を窺おうとした、その時。


「ともかく、せっかくアダムが快諾してくれたんだから、あなたも――」


 声を不自然に途切れさせた祖母が、急に胸を押さえて前屈みになりながら、咳き込み始めたのだ。

 ぜいぜいという掠れた音。眉を苦しげに寄せ、額に脂汗を浮かべる様子はただごとではないと、医療に詳しくないジュリエットでも一目でわかるほどだ。


「おばあさま……?」

「お義母さま! 誰か、お医者さまをお呼びして! いつもの発作だわ」


 突然のことに戸惑い、立ち尽くすジュリエットと違い、母はなぜかこの状況を比較的冷静に受け止めているように見えた。

 近くにいた下女たちに的確に指示を出すと、自身は祖母の肩に手を回し、傾いだ身体を支える。


 母の手を借りて長椅子へ辿りついた祖母は、頭の下にクッションを敷いてぐったりと横たわった。目を瞑り、苦しげな呼吸を繰り返す様子はいつもの闊達な印象とは正反対で、不安を煽られる。


いつもの、、、、発作って何? おばあさまは、前から発作を起こしていらっしゃったの?」


 主治医が到着し、祖母の診察をしている間、ジュリエットは母に詰め寄った。


「答えて、お母さま」


 迷うように目を伏せる母にもう一度呼びかけると、彼女は実に言い辛そうに口を開く。


「お義母さまには、ジュリエットには絶対に言うなと口止めされていたのだけど――」


 祖母は、一年ほど前から胸を患っているそうだった。

 医師曰く、治る見込みはなく、薬を飲んで症状を和らげるくらいしか対処法がないらしい。

 それでも時折、季節の変わり目や風の冷たい日には、こうして発作を起こしてしまうようだ。


「一年も前って……。治る見込みがないって……。他のお医者さまには診せたの?」

「もちろん。だけど、どのお医者さまも同じ事を仰ったわ。……最初はね、一年持たないだろうって言われたの」


 けれど祖母は、どうしても孫娘の花嫁姿を見るまでは死ねないと、病と闘いながら今日まで生き延びた。表面上は、何事もないように元気に振る舞いながら。


 ――だから、アダムさんとわたしを……?


 祖母のやり方は、他者から見れば決して褒められたものではなかったかもしれない。

 けれどこれまでの彼女の妙にはしゃいだ態度や、強引な言動の理由を知り、ジュリエットは胸が痛くなった。

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