第99話
そのライオネルと偶然出くわしたのは、厨房を出てエミリアと別れたところだった。
「ライオネルさん! ごきげんよう」
「こんにちは、ジュリエットさん」
窓から差す光に照らされたライオネルの目を、ジュリエットは密かに観察する。
やはり以前感じた通り、光りの加減によって青紫にも緑にも見える、不思議な色だった。
だが、こっそり見つめていたはずなのに、彼にはすっかりお見通しだったらしい。
「私の顔に、何か付いていますか?」
「い、いえっ! 素敵な目の色だなぁと思って。光りの加減によって色が変わって見えて、とても綺麗ですよね」
そう言った指摘をされることは、初めてではなかったらしい。ライオネルは慣れた様子で「ああ」と呟くと、軽く苦笑する。
「よく言われます。母が緑で、父が紫がかった青い目をしていたらしいです」
「ああ、それで……」
らしい、という他人行儀な物言いは少し気にかかったが、わざわざ他人が首を突っ込むことでもないだろう。
――それに、なんだかあまりその話題には触れてほしくなさそうだわ。
なんとなくだがそんな気配を察し、ジュリエットはすかさず話題を変えることにした。
「ライオネルさんは、エミリアさまをお迎えにいらしたのですか?」
今日、これからエミリアは乗馬の訓練を行う予定だ。
ジュリエットも一応馬には乗れるが、教えるほどの腕前ではないため、乗馬に関してはライオネルなど騎士団の人々に任せている。
「ええ。それもですが、クレッセン公をお迎えする際の騎士の隊列について、アッシェン伯閣下にご相談をと思いまして」
「もうそろそろ、こちらへいらっしゃるご予定ですものね」
イーサン側から提示された日程表によれば、彼がやってくるのは六日後。その際は城中の人々が正門の前に整列し、彼を出迎えることになっている。
もちろんジュリエットも、家庭教師としてその場に立つ予定だ。
「クレッセン公はお厳しい方です。殊に、アッシェン伯のこととなると。ですから不備のないようにして、閣下に恥を掻かせないようにしなければ。ジュリエットさんも、十分お気を付けください」
「はい……」
ジュリエットは思わず表情を曇らせた。
少なくともリデルは、イーサンの厳しい面など一度も見たことがなかった。彼はリデルにとっては優しい兄代わりだったし、ミーナや乳母など使用人にも優しかった印象しかない。
なんとかして、彼がオスカーへ抱いている誤解を解きたいものだが、今の立場では難しいだろう。
――リデルとして生きていた頃から、もっとお兄さまとお話しておけばよかった。
自分がどんなにオスカーを愛していて、彼と結婚できて幸せだったか。
そうすればきっと、イーサンとオスカーがこれほど不仲になることもなかっただろうに。
そうして打ち沈んだジュリエットの表情の理由を、違う風に解釈したのだろう。
「ああ、怖がらせて申し訳ありません。大丈夫、余程のことがなければ、クレッセン公も一々目くじらを立てるようなことはなさいませんよ」
「そ、そうですね。粗相のないよう、気を付けます」
「そんなことより、ジュリエットさんは明日から久し振りにご実家へお帰りになるのでしょう? どうぞ、楽しんでいらっしゃってください」
ライオネルの言った通り、ジュリエットは明日から休暇をとって里帰りすることになっている。とは言ってもイーサン来訪まで時間がないため、二日間の短い休みだ。
「ありがとうございます。わたしはお城に残ってもよかったのですが、そろそろ社交界デビュー用のドレスを仕立てなければならないと、祖母がうるさくて……」
家庭教師の仕事が忙しくてすっかり頭から抜け落ちていたが、ジュリエットは来年デビュタントの年だ。社交界デビューの際は必ず裳裾の長い白いドレスを身に着け、ティアラを被って国王との謁見に臨まなければならないと決まっている。
祖母は、孫を誰より美しいデビュタントにしなければと息巻いているようであった。
「それはお祖母さまもご両親も、楽しみでしょうね」
「ええ。わたしより張り切っているくらいです」
実家に帰ったらきっと、生地はこれがいいとか装飾に使うレースや羽根飾りはこれがいいとか、祖母があれこれ口出ししてくるのだろう。自分のデビューの時より気合いが入るであろう祖母の姿を想像し、ジュリエットはひとり微笑んでしまう。
「家族仲がよくて、羨ましい限りです」
そう口にしたライオネルの表情がどこか寂しげに見えて、ジュリエットは何か声をかけるべきか逡巡した。けれど適切な言葉が見つかるより早く、彼のほうが話を切り上げる。
「では、私はそろそろ」
「あ、お引き留めして申し訳ございませんでした」
「いいえ、とんでもない。それでは、失礼いたします」
ライオネルと別れ、ジュリエットは自室へ戻った。
室内ではメアリが、衣類やら身の回り品を鞄の中に詰めている。
「ありがとう、メアリ。わたしも手伝うわ」
「お嬢さまはゆっくりなさっていてください。このところ、授業に誕生日会の準備と根を詰めすぎてお疲れ気味でしょう。そろそろお倒れにならないか心配です」
「平気よ。メアリったら心配性ね」
大げさな言葉に思わず苦笑したジュリエットだったが、メアリのほうは至って真面目な様子だった。
荷造りの手を止め、ぐっと身を乗り出し、まっすぐに目を合わせてくる。
「お嬢さまは小さな頃、しょっちゅう熱を出されては寝込んでおられました。ご無理は禁物です」
「それは子供の頃の話でしょう?」
「アッシェン城へ来てすぐの頃にだって、お倒れになられたでしょう」
それを持ち出されればぐうの音も出ない。
「主人の体調管理も侍女の仕事なのですから、言うことを聞いて、次の授業の時間までゆっくりなさってください」
有能な侍女に長椅子へ押し込められ、ジュリエットは仕方なく彼女の言うことを聞いて大人しく過ごすことにしたのだった。
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