第62話

 城内の案内役をしてくれたのは、ロージーという名の給仕メイドだった。

 夕食会の日にちらりと顔を合わせたが、改めて見てもやはり、骨董人形のように美しい。


「何か説明でわかりにくいことなどございましたら、すぐおっしゃってくださいね」

「ロージーさんの説明はとてもわかりやすいですよ。メアリもそう思うでしょ?」

「はい。丁寧に案内していただけて、助かります」


 同意を求めると、メアリも迷い無く首を縦に振る。 

 実際、オスカーから『新しい家庭教師』の案内役を命じられたロージーの仕事ぶりは、非の打ちどころのないものだった。ジュリエットたちに各施設や部屋への道順を教えてくれつつ、城での過ごし方も教えてくれる。

 例えば、使用人の食事の時間は何時からだとか、図書室の利用の仕方だとか、立ち入り禁止区域などについて。 


 東棟二階は主人たちの私的な居住空間であるため、清掃や食事を運ぶなどの用事がある時以外は基本的に立ち入ることができないそうだ。

 エミリア付きの侍女たちは例外で、彼女に何かあったらすぐ対処できるよう、常に続き部屋に控えているということだ。

 その辺りの規則は基本的にリデルの記憶とも一致しているため、新たに覚える労力を使わないで済むのはありがたい。 


 ちなみに今歩いている西棟は、ジュリエットも知っての通り、客人のために整えられた建物だ。基本的にほぼ全ての部屋に鍵がかけられており、必要に応じてカーソンから鍵を借りて清掃などを行うらしい。

 部屋の扉にはそれぞれ木製の丸い板がかかっており、いずれも鳥の絵が描かれていた。

 木の実をついばんでいたり、羽を広げて空を飛んでいたり、枝に止まって首を傾げていたり、構図はさまざまだ。

 繊細な色使いでひとつひとつ丁寧に描かれているそれは、同じ作者が手がけた物だとすぐにわかる。


「綺麗な絵ですね」

「そうでしょう? こちらは、エミリアお嬢さまの乳母ナーシーを務められた、モリス夫人の作品です。画商の奥さまで、絵画がご趣味だったと伺っております」

「まあ……そうでしたか」


 思わず、声に感慨深さが滲んでしまう。

 懐かしい名前だ。今し方ロージーが口にしたとおり絵が得意な夫人で、まだ赤子だったエミリアの面倒をよく見てくれていた。

 リデルにもいつも親切で、出産を迎えるまでの注意点を教えてくれたり、さまざまな助言をくれたりした女性だ。


「その方は、今もこちらに? あまりに素敵な絵なので、是非ご本人に感想をお伝えしたいと思いまして」


 もしかしたら会えるかもという期待を込めて問いかければ、ロージーは軽く首を横に振る。


「お嬢さまが六歳になる頃には、もうご引退なさっていたそうです。ですが今でもたまに、お嬢さまのお顔を見に遊びにいらっしゃいますよ」

「そうですか……」


 少し残念だったが、よく考えれば当然の話だ。

 貴族の子供は普通、五、六歳頃には乳母や子守の手を離れ、家庭教師から教育を受けるようになる。モリス夫人にも自分の家庭があるのだし、いつまでも城に留まる意味もないだろう。


「モリス夫人の描いた絵に由来して、部屋はそれぞれ鳥の名前で呼ばれております。西棟の例えばこちらは〝黒ツグミの間〟で、こちらは〝コマドリの間〟。わかりやすいでしょう?」

「方向音痴なお嬢さまにはぴったりの目印ですね」

「そ、そんなことないわ。ちゃんとわかってるわよ。あっちが東で、そっちが西よね」

「いえ、そちらは北と南です」


 自分の思った方角を指さしてみせれば、メアリが淡々と否定する。


「お嬢さまはお勉強はおできになるのに、どうして道を覚えるとなると途端にぽんこつになってしまうのでしょう」

「ちち、違うわ! 場を和ませようと思っただけよ!」


 咄嗟に言い訳をしてみたが、メアリの言っていることのほうが正しい。

 ジュリエットは方向音痴だ。今来た道を戻ろうとして、まったく違う道を行こうとしてしまうほどに。

 

「おふたりはとても仲がよろしいのですね」


 ふたりの言い合いを見ていたロージーが、小さく笑い声を上げる。

 そういえばここにいるのは自分たちだけではないのだった、と今更思いだし、ジュリエットは羞恥に身を縮こまらせた。


「ご、ごめんなさい……。メアリとは姉妹のように育った仲で、いつもこんな感じなんです」

「いえいえ。あの、実を言うと私、ジュリエット先生がご主人さまを平手打ちしたというお話を聞いた時には、どんな恐ろしい女性なのかとビクビクしていて……」

「えっ!?」


 思いも寄らぬ言葉に、ジュリエットはつい大声を上げ、そんな自分を恥じて両手で口を塞ぐ。


「でも、すごく親しみやすい方で安心しました」とかなんとか聞こえたような気がするが、それどころではない。


「あ、あの……。もしかしてそのお話、皆さんご存じなんでしょうか……?」

「もちろん! 夜会の翌日には〝あのご主人さまを平手打ちした女性がいるらしい〟って、メイドや洗濯婦、料理人や厩番に至るまで、その話題で持ちきりでしたよ」


 つまりそれは、使用人全体が知っているということではないか。


 ――そんなこと、一言も聞いてませんけど……! どうして教えてくれないの!?

 

 教えてもらったからと言ってどうにかできるような問題でもないが、予め知っていれば心の準備くらいはできたはずだ。

 オスカーの配慮のなさと気の利かなさを呪いつつ、穴があったら埋まりたい気持ちでいっぱいになった。

 興奮気味に語るロージーを前に、ジュリエットは熱くなった頬を両手で押さえながら俯く。

 てっきり、あの場にいたライオネルとオスカー。そしてエミリアだけが事情を知っているものだとばかり思っていたのに。


「ええと……お恥ずかしい限りです……。ちなみに、その噂の出どころはご存じですか……?」


 まさかオスカーやライオネルではあるまい。

 ライオネルはさも誠実そうな人柄だ。進んで噂話を広げるようなタイプにはまったく見えない。

 オスカーもオスカーで「女性に殴られた」などという不名誉な事実を広げるような性格ではない。

 もちろん、エミリアは言わずもがなだ。

 ジュリエットの質問に、ロージーは少しだけ考え込んだ後、首を傾けたままちょっと歯切れの悪い答えを返した。


「うーん……。最初に誰が噂を広めたのかは不確かですが、夜会の晩、頬に真っ赤な手形をつけたご主人さまの姿を目撃した者が複数人いたのは間違いないようです」

「そ、そうですか……」


 確かに噂の出所なんて、不明瞭なものだろう。

 なんとか平静を装ってはみたものの、声の震えは隠しようもない。穴があったら入りたかった。

 このままでは誰かから視線を向けられるたび「見て、あれが例の暴力女よ」だとか「ガサツ女のお出ましだ」と、嫌な幻聴が聞こえてしまいそうだ。というか、既にそう思われている可能性も高い。


 ――いっそ自分で穴を掘ろうかしら。


 人に聞かれたら馬鹿な考えだと笑われそうだが、半ば本気である。

 幸いにしてその後すぐ、男爵夫人ことマデリーンの侍女がやって来たため、ジュリエットはスコップを探し始めるなどという珍行動を取らずに済んだのであった。

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