第61話

「なんというか……。フォーリンゲン子爵夫妻は随分と寛容な方々なのだな」

「ええ。ですが貴族令嬢としての教育はしっかり受けてきましたので、どうぞご心配なさらず」

「そういうつもりで言ったわけではない」


 オスカーは、少し慌てたようにジュリエットの言葉を否定した。視線を僅かにさまよわせ、顎に手を当てながら、言葉を選ぶように続ける。


「貴女の能力を疑っているわけではないんだ。ただ、その、珍しいな、と」

「そうですね。わたしもそう思います。侍女と同じ寝台で眠ったどころか、男の子と追いかけっこや木登りをした貴族令嬢なんて、エフィランテ中探してもそうはいないでしょうし」

「それは……社交界に出入りする貴婦人たちが聞けば、卒倒しそうな振る舞いだな」


 オスカーはそう言ったきり、苦笑とも渋面とも付かない絶妙な表情で黙り込む。それが一般的な貴族としての、ごく普通の反応だろう。

 また余計なことを言ってしまったかもしれない、とジュリエットは思った。

 自身がどんな環境で育ったかをオスカーに伝える必要なんて、これっぽっちもないはずなのに。


「申し訳ございません。お仕事とは無関係の話をしました」

「いや、構わない。城で働く人々との交流も、私にとっては大事な仕事だ。それに、あのおてんば娘を教育するには、貴女くらい逞しいほうがいい」

「それはどうも……。お褒めにあずかり光栄です」


 どう考えても貴婦人に対する褒め言葉ではなかったが、オスカーの発言に嫌味なところは一切なかったため、ジュリエットは軽く受け流すことにした。

 今はそんなことより、部屋の話だ。


「それで、わたしの希望は聞き入れていただけるのでしょうか?」

「……どうしても小さな部屋でなければいけないか?」


 この期に及んでまだ反対しようなど、往生際の悪いことだ。彼の立場上、ジュリエットの扱いを難しく思うのは理解できるが、忘れないでほしい。ジュリエットが正体を隠すことを条件に、家庭教師を引き受けたことを。


「閣下。いただくお給金以上のものは、わたしには必要ありません」


 声を低くして詰め寄れば、オスカーは両手を軽く上げてみせた。降参の合図だ。


「わかった。貴女の言う通りにしよう。……ただ、部屋の準備に少し時間がほしい。夕食後までには終わらせるから、今日はあの――メアリと言ったか? 貴女の侍女と共に城内を見回ってみるといい。誰か手の空いているメイドに案内させよう」

「え? ですが、エミリアさまの授業は――」

「明日からでいい。貴女は今日、アッシェン城に来たばかりだ。城内で迷子になられては困るからな」


 迷子というまるで子供扱いのような物言いはいただけないが、正直に言ってオスカーの申し出は非常にありがたかった。

 前世ではほとんど部屋に閉じこもっていたため、ジュリエットの記憶の中にあるアッシェン城の見取り図は、ごく僅かな部分のみ。

 広大なアッシェン城の、十分の一にも満たないだろう。

 それにもしかしたら城内を見て回ることで、前世で世話になった人たちと会えるかもしれない。

 例えば料理を教えてくれた料理長や見習いたち。部屋の掃除をしてくれた下女に、庭師の老爺――はさすがに隠居しただろうか。

 彼らが今、どんな風に過ごしているか、ジュリエットは興味があった。


「私の話はとりあえず以上だが、貴女のほうから何か要望や質問などは?」

「まず、エヴァンズ男爵夫人とお話しする機会をいただきたいと思っています。エミリアさまのお勉強の進み具合や授業の方針など、ある程度情報を共有しておいたほうが好都合ですので」


 マデリーンとの会話は気が進まないが、給金が発生する以上、ジュリエットには立派に家庭教師を務める責任がある。そのためにはまずマデリーンと話をし、エミリアの得手不得手を把握した上で、今後の授業についての計画を立てるべきだ。

 お嬢さまのお遊びだとか、ままごとと後ろ指を指されるような中途半端な仕事は、ジュリエットの矜持が赦さない。


「その件に関しては、既に男爵夫人にも頼んである。貴女のために、いくつか資料をまとめているようだ。話をするのに都合のいい時間帯を確かめておこう」

「助かります」

「これまでの家庭教師も皆、貴女のように熱心だったらよかったんだがな」


 オスカーの深い嘆息には、彼のこれまでの苦労が滲み出ているようだった。


「どうやらあの子は私以上に、私に対して下心を抱いている女性の空気に敏感らしい。少しでもそういった気配を感じると、誰がなんと言おうと追い出しにかかる」


 その点、ジュリエットはエミリアに気に入られている――つまりオスカーに下心がないから安心だと言いたいのだろう。

 

 ――もちろん! わたしが追い出される心配は万にひとつもないわ。


 夜会の晩に比べて多少マシになったとはいえ、ジュリエットのオスカーに対する好意は、未だ低いままだ。テントウムシと同じくらいと言っても過言ではないかもしれない。

 見ていて嫌悪や不快感を覚えるほどではないが、できればあまり接触したくはない。そんな立ち位置である。下心なんて抱きようもなかった。

 

 ただ、エミリアを立派な淑女として教育する上で、できる限りオスカーと良好な関係を築く必要があることもわかっている。

 認めたくはないが、エミリアの幸福を強く願う身として、オスカーとジュリエットは同志である。たとえダンゴムシだろうとテントウムシだろうと、娘の幸せのためなら協力し合わなければならないだろう。

 ジュリエットは精一杯の笑みと礼儀正しい態度で、オスカーに頭を下げた。


「エミリアさまの家庭教師、精一杯務めさせていただきます。改めまして、どうぞよろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ。貴女の働きに、大いに期待している」

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