第59話

 通常の雇用なら主人が使用人の実家を訪ねることなどまずないが、今回は事情が事情である。

 フォーリンゲン子爵家には、ジュリエット以外の子はいない。

 女性ゆえ爵位を継ぐことはできないが、代わりにジュリエットの婿となる男性がその役目を担うことになる。

 そんな、フォーリンゲン子爵家唯一である直系の跡取り娘を預かるのだ。

 『一度ご挨拶に伺いたい』というオスカーの意向もあり、すぐさまジュリエットの両親と彼との顔合わせの席が設けられることになった。


 顔合わせ自体は、和やかかつ穏やかに、何事もなく済んだと思う。

 挨拶の後はティールームでテーブルを囲み、オスカーが土産として持参した最高級のフォビア紅茶を飲みつつ、他愛もない話で盛り上がっていた。

 途中、父が「娘に侍女を同行させたい」と言い出し、ジュリエットが仰天して大反対する場面はあったものの、他ならぬオスカーが父の意見に賛同したためそれ以上の反論はできなかった。

 オスカー曰く、「ただでさえ無理を言って家庭教師を務めてもらうのだから、ご両親の意向にはできるだけ沿いたい」とのことである。


 そんな彼の礼儀正しい態度に、母はもちろん、娘のことになると少々過激になってしまう父ですらも好印象を抱いたようだ。

 娘に手を出したら髪を毟ってやると息巻いていたはずの父が、別れ際にはオスカーと、実ににこやかに握手を交わしていた。


「お嬢さまは責任を持ってお守りいたしますので、どうかご安心ください」

「アッシェン伯がそう言ってくださるなら安心です。どうか娘をお願いします」

 

 それを見て、ジュリエットも安心したものである。

 しかし問題は、その後である。

 

「それでは、また二週間後に。エミリアもとても楽しみにしている」


 そう言って馬車に乗り込もうとするオスカーを呼び止め、ジュリエットは確かにこう言ったはずだ。


「念のため申し上げておきますが、わたしは家庭教師としてお世話になるのですから、くれぐれも特別扱いはなさらないでくださいね」


 それに対し、彼もまたこう答えたはずだ。


「ああ、もちろんだ」


 ――あのやりとりは一体なんだったのよ!


 回想を終え、ジュリエットは改めて広く豪奢な部屋を見渡す。

 いくら家庭教師が一般的な使用人と違う立場であるとはいえ、これはあんまりなことだ。こんな豪華な客間をあてがうなど、特別扱い以外の何ものでもない。


「まあ、侍女を連れてきている時点で今更という気はしますけど」

「何言ってるの! 侍女同伴という特例を許してもらっているからこそ、余計に気を付けないといけないのよ」


 マデリーンにも侍女がついているらしいが、男爵夫人である彼女と『果樹園主の娘』であるジュリエットとでは、立場が違いすぎる。

 ただでさえ目立つような真似をしているのに、なぜこれ以上悪目立ちしなければならないのか。


「わたしは、閣下の愛人だとか隠し子だとか妙な噂を立てられるのはごめんこうむるわ。抗議しに行ってくる!」


 身支度が終わったら書斎に来るよう言われていたことだし、ちょうどいい。すぐに、もっと質素な部屋へ移してもらうよう頼みに行こう。

 替えのワンピースに身を包み、さっと髪をくくったジュリエットは、鼻息も荒く書斎へ向かった。



§


 

「アッシェン伯閣下。失礼いたします、ジュリエットです」

「入りなさい」


 扉を開けると、そこにはオスカーだけでなくスミスとカーソンの姿があった。

 そういえば先ほど部屋に入る前、彼が「執事とメイド頭に会わせておきたい」と言っていたことを思い出す。

 さすがに人目のある場所で、城主の用意した部屋にケチを付けるほど見境がないわけではない。ジュリエットは喉まで出かかっていた抗議の言葉を慌てて呑み込んだ。


「ジュリエット。こちらが我が家の執事スミス。そしてこちらが、メイド頭のカーソンだ」


 オスカーからふたりを紹介され、ジュリエットは順に言葉を交わす。


「初めまして、スミスさんファード・スミス。本日より、エミリアお嬢さまの家庭教師を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします。期待していますよ、先生」

カーソンさんファナム・カーソンも、改めてよろしくお願いいたします」

「ええ、こちらこそ。お嬢さまのこと、よろしくお願いいたします」


 カーソンは先日顔を合わせたばかりだが、スミスとは十二年ぶりだ。 

 差し出された彼の右手を、ジュリエットは感慨深く握り返す。

 スミスは常に仏頂面なカーソンと正反対で、いつもにこにこと優しそうな笑顔が印象的な男性だ。背が高く痩せ型で、燕尾服がよく似合っている。

 リデルが生きていた頃に比べてだいぶ顔の皺が増え、足を悪くしたのか片手に杖を持っていた。


「このふたりが、使用人たちの管理をしている。ジュリエットも何か困ったことがあれば、遠慮なく彼らを頼るといい」

「……ご主人さま。ジュリエットさんフェナ・ジュリエットは家庭教師としていらしたのです。その呼び方はいかがなものでしょう。いくらお嬢さまのご友人とはいえ、メイドでも下女でもない女性を呼び捨てにするのは他に示しがつかないかと」

 

 カーソンが窘めるような声を上げた瞬間、ジュリエットは奇妙な違和感に襲われた。

 彼女がオスカーに意見を述べたこと。それ自体は、別におかしなことではない。基本的に女性を呼び捨てにできるのは、家族かごく親しい身内か、あるいは婚約者くらいのものである。

 それはたとえ王族と貴族だろうと、あるいは貴族と平民だろうと関係ない。


 唯一の例外は主人と使用人という関係性の場合だが、家庭教師は使用人ではない。そのため雇用主とはいえ、敬称をつけずに呼ぶのは非常識とされている。

 礼儀作法や伝統に厳格なカーソンがそれを聞きとがめるのは、ごく自然なことであった。

 先代が生きていた頃からアーリング家に仕えていた彼女がオスカーに対して忌憚ない意見を発することも、特に珍しい光景ではない。

 ではジュリエットが今覚えているこの違和感は、一体なんなのか。


 ――そうだ、呼び方だわ。


 リデルが生きていた頃、カーソンはオスカーを『旦那さま』と呼んでいたはずだ。気にするほどのことではないのかもしれないが、耳慣れないその呼び方が妙に引っかかった。

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