第50話

 しかし、騎士として終わりだと告げられても、今のオスカーにとってはどうでもよかった。

 騎士であったからこそ、リデルと出会えたのだ。

 彼女のいないこの世で、騎士であることに一体何の意味があるというのか。


 リデルの葬儀は、アッシェンで最も大きな教会で執り行われた。

 荘厳な教会に、パイプオルガンの音がもの悲しげな音色を奏でている。

 神へ捧げる清らかな旋律。死者を天の国へ導くための、祈りの歌。

 喪主として司祭に続いて入場しながら、オスカーはひとつきりになった目で聖堂の中を見渡す。


 急なことであったにも関わらず、参列者は少なくない。

 主要な王族やアッシェンの関係者はもちろん、触れを聞いて駆けつけたであろう貴族たちの姿もある。

 純粋な動機でないものも、中にはいただろう。それでも表面上は誰もが目を伏せ、王女の死を悼んでいる。

 イーサンだけが、ただまっすぐにオスカーを見ていた。

 落ちくぼみ隈の目立つ、憎悪にとらわれた幽鬼のごとき表情で。


 厳かな雰囲気の中、司祭は告げる。


「〝神の国に悲しみはなく、また、飢えも苦しみも存在しない。女神スピウスの足下には黄金の川が流れ、木々には減ることのない果実が実っている。玉座の都にはただ安らぎの時が流れ、神の照らす光の中、下僕しもべは復活の刻を待つ――〟」


 聖書に記された、『復活の章』による祈りの言葉。

 葬儀の祭礼で頻繁に用いられる、生者を慰めるためのその言葉も、オスカーにとってはただの音と同じだ。

 生きて辛い思いをしてきた人間が、死して安寧を迎えることにどれほどの意味があるだろう。

 胸の奥がどろりと濁り、そんなことを思う。

 忠実なる信徒でないオスカーにとっては、もはや天の国の存在さえ疑わしいというのに。


「ここにお集まりの兄弟姉妹よ。祈りましょう。神の御許へ召された我らが隣人、リデル・ラ・シルフィリア・ディ・アーリングのために。かの者が天の国で、安寧を得られるように。――マーシル・マース」


 マーシル・マース。

 心の平穏を祈る言葉。

 復唱すべきそれを、オスカーは唇を引き結んだまま、とうとう口にはしなかった。


「奥さまが神の御許で安らかに憩われますように」

「ご遺族さまの上に、女神さまの深い慰めがありますようお祈り致します」


 白い薔薇の花を棺に納めた参列者が、自身の席へ戻る際に一言ずつ、オスカーへ言葉をかけていく。

 その中には、心のこもった哀悼の言葉もいくつか含まれていただろう。

 しかし、オスカーの心には誰の何の言葉も届かない。

 茫洋たる瞳で虚空を見つめるオスカーを前に、妻を亡くしたばかりで呆然としているのだろうと、人々はあまり気に止めた様子もなく去って行った。


「まだお若いのにご病気で亡くなるなんて」

「お嬢さまも、一歳にもなっておられないのでしょう?」


 立ち去る参列者がひそひそと、そんな言葉を交わすのが聞こえる。

 国王の指示により、既にリデルの死は病によるものだとの触れが出されている。

 明日までには国中に、元王女卒去そっきょの知らせが行き渡ることだろう。


 真実を隠すため、事情を知る者たちには厳しく口止めがなされていた。

 スピウス聖教において、自死は罪だ。

 王族がその禁を犯したことについて、過剰な批判を口にする者がいることは否定できない。

 なにより事実を発表すれば、いらぬ憶測でリデルの名誉を汚す者が必ず現れる。

 

 ――自死を選んだのは、野盗に不埒な目に遭わされたからではないか。

 ――きっとそうだ。王女は野盗にその身を暴かれたに違いない。


 生きていた頃には『はずれ姫』と呼ばれ、死してなお『汚された姫』などと呼ばれる。

 王は娘をそのような目に遭わせることを、望んでいなかった。

 国民へ、死因を偽ってでさえ、亡き娘を守ろうとしたのだ。 


 たとえ口止めした者が口を滑らせ、多少噂が漏れたところで、国王の触れに表立って反駁する者はいまい。

 ましてやリデルは元より病弱で、嫁いでからも社交の場に顔を出すことは皆無だった。

 オスカーが、そうしていたからだ。


「よかったじゃないか」


 葬儀の後、オスカーの元にやってきた友人のひとりがそう言った。

 社交界で知り合った、某子爵の息子だ。

 アッシェンで行われている事業の関係上、表面的に仲良くしていただけで、女好きで軽薄なところがいけ好かない男だった。 


 他の友人たちも、ほとんどがそうだ。

 オスカーは元々、人付き合いが好きなほうではない。

 それに彼らのほうとて、陰ではオスカーを『穢らわしい新興貴族』『劣り腹の私生児』と呼んでいる。


 ただただ利益のために繋がっているだけの関係。

 招待をした覚えもないのに、『誕生日を祝うため』とご大層なことを言いながら、新婚生活の探りを入れようとしてきた不快な人間たちだ。


 葬儀にも呼んだ覚えはないが、国王も参列するとの噂を聞きつけ、慌ててやってきたのだろう。

 弔問のため喪服に身を包みながら、へらへらと似つかわしくない笑みを浮かべたその男は、周囲を気にしながらもこう囁いた。


「厄介払いができてさ。これで、堂々と愛人と仲良くできるじゃないか」

「おい、場をわきまえろよ」


 さすがに友人たちが慌てて止めに入ったが、元々空気を読むことのできない男だ。

 軽薄な笑みを浮かべたまま、眉をひそめている。


「何でだよ、別にいいじゃないか。こいつだって前に自分で言ってただろう。王女とは利益のために結婚したって。そのためには、多少の我慢はしても仕方ない、みたいなことをさ」


 ああ、確かにそう言った。

 内心では友人とも思っていないような相手に、リデルのことを探られるのが不愉快で。彼女にほんの少しでも興味を持たれるのが嫌で、心にもない嘘をついた。


 ――彼女を人前に出す気はない。

 ――噂通り、人に見せられないような顔をしているからか?

 ――……出したくないからだ。お前たちにも会わせる気はない。


 自分以外の男には会わせたくない、というのがオスカーの本心だった。

 けれどそんなことを、目の前の男が知るはずもない。


「でもさぁ、リデル王女って意外にも美人だったんだな。いつも俯いてるから陰気で醜い女とばかり思っていたけど、棺を覗いてびっくりしたよ。あれだったら多少性格が暗くたって、我慢して結婚してやっても――」


 考えるより早く、手が出ていた。

 バキリと鈍い音が響き、目の前の男が軽く吹き飛ぶ。

 彼は何が起こったのかわからないという顔をして、赤くなった頬を押さえながら、床の上に尻をついてオスカーを見上げていた。

 そうしてしばらく呆けていた男だが、その唇の端から垂れた血が床にぽたりと落ちた瞬間、ようやく自分の身に何が起こったか気づいたのだろう。


「何するんだよッ!」


 顔を真っ赤にしながら、オスカーに掴みかかろうとする。

 それを止めたのは、他の友人たちだ。


「馬鹿、今のはお前が悪い。オスカーに謝れ」

「なんで俺が! いきなり殴ってきたのはこいつだろ!? 俺はこいつが前に言っていたことを、ただそのまま――」

「すまない、オスカー。こいつ、お前を元気づけようとしただけなんだよ」

「そうそう、悪気はないんだ」


 へらへらと笑いながら薄っぺらい擁護を口にし、彼らは男を遠くへ引きずっていく。

 なぜ、あんな男たちと付き合いを続けていたのだろう。

 アッシェンの事業に益がある? そんなことより大事にすべきものが、オスカーにはあったはずなのに。


 つまらぬ独占欲のために、嘘などつかなければよかった。

 愛しているから王に懇願して結婚させてもらったのだと、堂々と告げた上で、付き合いを切るべきだった。


 憤りのまま殴ったが、彼はある意味間違っていないのかもしれない。

 悪いのは、あえて誤解させるような物言いで、リデルに対する陰口を正さなかったオスカー。

 真に殴られるべきは自分だという思いが、憤りに沸騰したオスカーの頭を冷えさせた。

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