第51話

「私の爵位を……剥奪してください」


 葬儀の後、オスカーは国王へそう告げた。

 話したいことがあると、そう言って人払いをした客間でふたりきり、向かい合っていた。

 長椅子に腰掛けた国王の前に跪き、頭を垂れながら、オスカーは絞り出すような声で言う。

 王は自分と、口をききたくなどないだろう。顔も見たくないはずだ。

 それでも、話さねばならないことはある。


「爵位だけでなく騎士号も、領地も、城も、財も。全て没収し、私を咎人として裁いてください」

「……リデルは病死だと発表したのだ。そなたを裁く謂われはない」

「たとえ国民がその嘘を信じたとしても、陛下カインストルは真実をご存じです。私がリデルを守れなかったという事実を」


 顔を上げられないまま、オスカーは震える声で続ける。

 国王に対する畏れや、彼の怒りを買うことへの恐れではない。

 一刻も早く罰を与えられなければ心が壊れてしまいそうなほどに、今、オスカーの精神は脆くなっていた。


「クレッセン公爵は正しい。私が別荘へなど行かせようとしたせいで、リデルは命を落としたのです。罪状はなんでも構いません。反逆罪でも、不敬罪でも、私を裁いてくださるならば」

「エミリアはなんとするのだ。母を亡くし、父までもが罪人として裁かれるなど」

「娘は、王家で引き取っていただきたいと思っています。厚かましいことを申し上げていることは重々承知の上ですが、そのほうが娘にとって、そしてリデルにとっても、きっと幸せなことです」


 罪人の娘として育つなど、エミリアがあまりにも不憫すぎる。

 一歳にも満たない今なら父のことは記憶に残らないし、王宮にいれば、彼女は王女同然に扱われ手厚く守られるのだ。


「……顔を上げよ、アッシェン伯」


 命令に従い顔を上げたオスカーの前に、すっと、国王が腰を屈める。

 君主たるものが臣下の前で膝を付く、それは本来なら決してあってはならぬ出来事だった。

 それが例え、厳しい眼差しでオスカーを見据えるための行為であっても。


「なるほど、爵位に領地に城か。そなたは自身の持つ地位や名誉や財、全てを失っても構わないと、そう言うのだな」

「はい、陛下」

「だが、それらを奪って――そうしてそなたの望むような罰を与えたとして……。それで、リデルが生き返るのかね」


 たった一言。

 それはとても穏やかで、静かで、責めるような口調では決してなかった。

 しかし国王のその言葉は、まるで鈍器で殴られたかのような強い衝撃をオスカーに与えた。


 答えはもちろん『否』だ。

 オスカーが何を失ったとしても、死者は戻ってこない。


 怒鳴られ、責められ、罵倒されたほうがどれほどよかっただろうか。

 罰を望んでいるのに与えられないことがこれほど苦しいことだなんて、知りもしなかった。


 言葉も出ないオスカーに、国王は目を眇める。

 こんな状況であるにも関わらず、娘の仇とも言える男を前にして、その目は賢君に相応しい理性的な光を宿していた。


「世の中が優秀な人材ばかりであればよいのだがな。アッシェンのような難しい地を治めるに足る人間は、そう多くはない。ましてやそなた以上に相応しい人物となれば、なおさらな。憎しみに目を曇らせ判断を誤るのは王とは言えぬ。ただの暗愚だ」

「ですが……」

「ではあえて問おう。そなたは、直接リデルに手を下したかね? あるいは密かに野盗を雇い、襲わせた? それとも、あえて少ない護衛を付けることで、あの子を危険にさらしたか? いずれも違うであろう。エフィランテは法治国家だ。明らかな罪を犯していない限り、王が一個人を私情で裁くことなどできぬ」


 オスカーに罪のない証拠を、王はひとつひとつ挙げていく。

 しかしそれは、王の視点から見る法の上での罪だ。

 父親としての彼が、オスカーのことをどのように捉えているのかはわからない。


「陛下はご存じでしょう。クレッセン公が、リデルを王都へ連れ帰ろうとしたことを」

「ああ。あれの侍女が――ミーナが、クレッセン公爵へ助けを求めたそうだな。そなたは愛人にばかりかまけ、リデルを冷遇していると。この状況から救い出してほしいと。事実はどうあれ、客観的に見て、そなたはそのように受け取られても仕方のない扱いを、リデルにしていたということだ」

「……申し開きのしようもございません」

「言い訳や、謝罪を求めているわけではない。ただ、そなたは知っているかね? クレッセン公から話を耳にし、私や妃、それに王太子があの子を城に呼び戻そうと、手紙を出したことを」


 オスカーは黙り込む。

 郵便物の管理はスミスに任せており、何か特別な理由でもない限り、個々人に届いた物に関してオスカーが干渉することはない。

 だからこそ、普段からあまり会話する場がなかったリデルの元に誰からどんな手紙が来たかなど、全くと言っていいほど把握していなかった。

 沈黙を正しく否定と受け取ったのだろう。

 国王はため息を吐き、話を続ける。


「すぐに帰ってきなさいと……。お前に不都合のないよう事を進めると、私たちは何度もリデルにそう言った。しかし、あの子の返事はいつも決まってこうだ。〝ありがとう。でも、愛する人の側にいたいのです〟」

「それは……」

「あの子はそなたを、心から愛していたのだろう。そんなあの子の意思を、余は重んじたのだ」


 そう言うと、王は懐から取り出した手紙の束をオスカーの掌へ押しつけた。


「これは嫁いでからずっと、あの子が私たちへ出し続けていた手紙の一部だ。後で読むといい」


 そう言い残し、王は部屋を後にしようとする。

 しかし扉を開けて廊下へ出る直前、僅かに振り向いて淡々と告げた。


「――信じておったよ、アッシェン伯。そなたが余にリデルとの結婚を願い出た時に、この若者になら娘を任せられると」

「……」

「リデルの遺体は、王家の保養地まで連れ帰る。あの子の好きな白薔薇が植えられた、美しい庭に。アッシェンの地で眠らせることはしない。決してな」


 その言葉こそが、王がオスカーへ抱く感情の全てを表していた。



§


 オスカーに告げた通り、国王はリデルの遺体を引き取り、妃たちと共にアッシェンの地を去った。

 イーサンの強い嘆願により、リデルを襲撃した野盗の足取りは彼が調査することとなった。

 もしオスカーがならず者どもを雇いリデルを襲わせた証拠が見つかれば、即刻自分が処刑台へ送ってやると――そう言い残して。

 そうしてオスカーの手元には、リデルの髪の一房さえ残らなかった。


 未だ慌ただしい城の空気の中を通り抜け、オスカーはリデルの部屋へ足を踏み入れる。

 主人を失った部屋は、日当たりも良く可愛らしい内装であるにもかかわらず、どこかがらんとして寒々しかった。

 夫婦の務めを果たす以外、ほとんど足を踏み入れたことのない場所。

 ぬくもりなど残っているはずもないのに、オスカーはリデルが普段使っていたであろう椅子に腰掛け、王から渡された手紙を一枚一枚開いていく。


『先日は、近くの湖までふたりで馬に乗って遊びに行きました。オスカーさまはとても優しい方で、わたしの肩に上着を着せかけてくださいました』

『昨日はお茶の時間に、一緒に美味しいフォビア紅茶とスコーンをいただきました』

『オスカーさまはいつもわたしに愛を囁いてくださいます。彼のお側にいられて本当に幸せです』


 そこには誰もが羨むであろう、幸せな新婚生活が綴られていた。

 リデルはこれを、どんな気持ちで書いていたのだろう。

 オスカーは彼女を笑わせたことも、どこかへ連れて行ったことも、共にお茶の時間を過ごしたこともない。

 一度だって、思いを打ち明けたことはなかった。


 彼女と歩む人生が、これからも永遠に続くと思っていたからだ。

 いつかは、その内、機会があれば。

 そんな風に逃げるばかりで、ふたりの間に横たわる問題を放置し続けていた。

 永遠など、どこにも存在しなかったのに。


「――旦那さま、少々よろしいでしょうか」


 何度も何度も手紙を読み返し、そうしてぼんやりと過ごしている内に、どれほどの時間が経ったのか。

 いつの間にか空は暗く色を変えており、室内に差し込む光も僅かとなっていた。

 緩慢な動作で扉のほうへ目を向ければ、そこにはカーソンが立っている。

 彼女は手燭を手に、まっすぐオスカーのほうへ歩いてくる。よくよく見れば、金色のリボンがかけてある箱を携えていた。


王妃殿下クィニアが、奥さまのお召しになっていたドレスや装身具を形見としていくつか譲ってほしいと仰いまして。この箱は奥さまの衣装部屋に足を踏み入れたところ、奥のほうにしまい込まれていたものです」

「それが……どうした」


 今、リデルの持ち物などオスカーに見せたところで、何か意味があるとは思えない。遺品を見ながら浸るような思い出すら、オスカーは築いてこなかったのだから。

 無感情に箱を見つめるオスカーの手に、カーソンが半ば強引に箱を押しつける。


「これは奥さまが、旦那さまのお誕生日に贈るため、手ずからお作りになったものです。お誕生日当日に間に合うようにと、私のお教えした複雑な図案を熱心に刺繍しておられました。ディエラ・ミーナが、お身体に障ると心配したほどに、毎晩毎晩遅くまで」

「俺の……?」

「なぜそれが旦那さまのお手に渡らず、衣装部屋の奥にあったのかは存じ上げませんが。奥さまの真心こもった贈り物ですので、旦那さまにご覧いただきたいと思いまして」


 では失礼致します、と言ってカーソンは部屋を出て行く。

 彼女が机の上に置いていった手燭が、ぼんやりと室内をオレンジ色に照らしていた。 

 オスカーはその明かりを頼りに、のろのろとリボンを解いた。

 蓋を開ければ、そこには丁寧に折りたたまれた黒い布が入っている。

 

 開いてみてすぐに、それがなんであるのかわかった。

 しっかりした分厚い生地でできた剣帯で、触れてみれば一部にかすかな凹凸を感じる。

 その場所を明かりに翳して見てみれば、銀の絹糸で、息を呑むほど精緻な刺繍が施されている。


 翼広げた鷲と、月や太陽を模した模様。

 そしてその周囲には、布と同じ黒い糸で目立たぬように、記号のようなものがちりばめられていた。

 これはアーリングの祖先であるアール族が使っていたという、特別な文字だ。

 持ち主に神の守護があるよう、という意味を込めた刺繍で、家ごとに違う模様が使われていたという。歴代のアーリング家奥方とメイド頭のみに口伝で受け継がれてきた図案だ。

 

 ――お誕生日当日に間に合うようにと……。


 先ほど、カーソンはそう言っていた。

 だというのに剣帯はオスカーの手に渡らず、リデルの衣装部屋の奥深くへしまい込まれていた。

 その意味に気づいた瞬間、オスカーの喉からヒュッと悲鳴にも似た息が溢れる。

 

 リデルは、聞いていたのだ。

 剣帯を渡そうとオスカーの部屋を訪ねた際に。


 ――王女と結婚することで生まれる利益がどれほどのものと思っている? 莫大な財産と名声、陛下の信頼。……俺はそれを、ほんの少しの我慢と秤にかけただけだ。

 

 オスカーが友人を黙らせるために発した、心にもないあの言葉を。

 それなのに。


 ――あの子はそなたを、心から愛していたのだろう。


 聞き流していた王の言葉が、今頃になって、オスカーの胸を深く抉る。

 そんなはずはない。望まぬ結婚をしたリデルが、自分自身に言い聞かせたかったのだろうと思っていた。

 けれど、けれどリデルは本当に。


「あ、あぁ……。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」


 剣帯を抱えたままオスカーはその場に崩れ落ち、狂った獣のように声を上げた。

 唸りとも叫びとも付かないような咆哮を。

 一度では収まらず、何度も何度も。

 やがて、目から熱いものが溢れ出し、幾筋も頬を伝って流れていく。


「リデル、リデル……、リデル……ッ!!」


 いくら呼んでも、返事などあるわけない。

『旦那さま』と自分を呼ぶ、あの柔らかい声はこの先どんなに時が経っても、もう二度と聞くことができないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る