第49話

「なぜだ、アッシェン伯……」


 絞り出すような声が、憎悪の視線が、オスカーへ向けられる。

 王家の人間に多く現れる美しい瑠璃色が、リデルと同じ色の瞳が、どす黒い憎悪を湛えてオスカーを射貫いていた。


「なぜ、リルを城から追い出した……。なぜ、彼女を別荘へなどやった? なぜ、手元に置いておかなかった。なぜ、なぜ――」

「イーサン、やめろ。責めるべきはアッシェン伯ではない。リデルを襲った野盗だ」


 オスカーを責める従弟を、ローレンス王太子が掠れた声で制止する。

 彼らとて、オスカーを責めたかっただろう。ひとつ、ふたつの恨み言では済まないほどの思いを抱えていたに違いないのに、彼らは決してオスカーを詰ろうとはせず、言葉を尽くしてイーサンを止めようとしていた。

 それでも、イーサンの怒りは決して収まることはなかったが。

 


「お前がリルを別荘になどやらなければ、あの子は死ぬことなどなかった。お前と結婚などしなければ、あの子は今でも笑っていた。お前が馬鹿げた考えで、リルを追い出そうとしたせいだ。リルは、リルはお前のせいで……。お前のせいで、あの子は……」


 呪詛を吐くような低い声で延々と紡がれる、難詰なんきつの言葉。

 怒りに打ち震えながら射殺すような眼差しで自分を見る相手に、一体オスカーがどんな言葉を返せただろう。


「反論すらできないのか……?」


 絶望に顔色を失ったイーサンが、わなわなと唇を震わせながら問いかける。

 反論などできるはずがない。

 彼の言葉は、すべて真実だった。

 うつむき、押し黙り、ただ詰られるがまま。そんなオスカーに、イーサンが叫ぶような苛立ちの声を浴びせる。


「何とか……何とか言ったらどうなんだ、オスカー・ディ・アーリング!!」


 王妃たちの口から甲高い悲鳴が上がったのは、それとほぼ同時だった。

 視界の隅で銀色の光が冷たく閃き、空を切る鋭い音が上がる。

 剣を大きく振りかざしたイーサンが、目前に迫っていた。

 避けられない距離ではなかった。

 しかしオスカーは、自身をめがけて振り下ろされるその銀色の光と殺気から、逃れることができなかった。

 あるいは、逃れようともしていなかったのかもしれない。

 自分でも自分の感情がよくわからないまま、ただまっすぐに振り下ろされる切っ先を見つめる。



「イーサンッ!!」


 反射的に顔を押さえよろめくオスカーの耳に、ローレンスの怒声が響く。咄嗟にイーサンに飛びつくことで、剣の軌道を変えたのだ。


 それでも完全に逸らすことは間に合わなかったらしい。

 次の瞬間、オスカーの顔を焼け付くような激しい痛みが襲った。


 もみ合うような気配と、何か重い金属が床を叩く音。

 生温かいものが顔と首筋を伝い、衣服へ滲んでいく。

 

 視界が、真っ赤だ。

 目が、顔の左半分が、酷く痛む。

 ぼたぼたと鈍い音を立て、赤い雫が床へ落ちていくのが見えた。

 顔を上げるとそこには、赤い液体の絡みついた長剣が落ちており、悪鬼のごとき凄まじい形相で王子たちに取り押さえられるイーサンが立っていた。


「痛いか? 痛いだろう、アッシェン伯。だが、リルの痛みはこんなものではなかった! あの子はもっともっと苦しみながら死んでいったんだ」

「イーサン、いい加減にしろ! こんなことをしてもリデルは喜ばない」

「うるさい! 離せ! 離せぇッ!! この男だけは赦さない、絶対に赦せない!!」


 王子たちから拘束を受けてもなお、イーサンの高ぶった感情が落ち着くことはなかった。

 むしろますます激高し、抑え付ける手から逃れようと必死に藻掻きながら、今にもオスカーを縊り殺さんばかりの迫力で怒鳴り続けている。


「どうしてだ、アッシェン伯! どうしてリルを守れなかった!? お前は神に誓ったはずだろう! 一生をかけてリルを守り、幸せにすると! 何が騎士だ! 何が夫だ! 神がお前を赦しても、私はお前を一生赦さない!!」


 魂を引き裂くような叫びが、広間中の空気を大きく震わせる。

 王妃も、王女も、王子たちも、その剣幕に声を失っていた。

 その時だった。

 これまで黙ってリデルを見つめていた国王の静かな声が、ふたりの間に割って入ったのは。


「もういい、やめるのだイーサン」

「ですが叔父上――」

「余が、やめろと言っておる。それに――ここは、リデルの前だ」


 静かだが凛とした、『王』の命令だった。

 有無を言わさぬ声音に、イーサンがハッと息を呑み、リデルの遺体に目をやる。


「申し訳ございません、陛下……」


 剥き身の感情をいったん鞘に収め、押し殺したような声で臣下の礼を取る甥に向かって小さく頷くと、王はちらとオスカーの背後に視線をやる。

 そこには、はらはらと成り行きを見守っているメイドや下男たちがいた。


「……何をしておる。アッシェン伯に、すぐに手当を。放っておけるような傷ではない」

「はっ、はい、陛下」


 すぐさま下男たちがやってきて、オスカーの身体を両側から支えようとする。

 だが、オスカーはそれを断った。


「いい。……ひとりで歩ける」

「でも、旦那さまは酷い傷を――」

「こんな傷、大したことではない」


 リデルに比べれば。

 イーサンの言葉全てが、オスカーの胸の奥を的確に抉っていた。

 首筋の傷を押さえながら、深々と王たちへ頭を下げ、その場を辞す。

 そして心配そうに付いてくる下男を煩わしく思いながら、血を流しつつよろめく足取りで医務室へ向かった。

 思ったより傷は深かったが、ハリソン医師によって迅速かつ的確な処置を施されたおかげで、命に別状はなかった。

 しかし手当が済んだ後オスカーに突きつけられたのは、左目の光が永遠に失われたという、騎士にとっては致命傷となる、残酷な事実だった。

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