第46話

 断るに違いない、というジュリエットの予測から外れ、オスカーは満更でもない様子だった。むしろどちらかというと乗り気に見える。


「ジュリエット、フォーリンゲン家の令嬢に大変失礼な願いだということはわかっている。だが、あなたが受けてくれるというのなら、私からも是非お願いしたい」

「は……」


 何の冗談を言い出したのだ、と言葉を失うジュリエットに、オスカーは至極真面目に話を続けた。


「実はエミリアは、一年後に開催されるジョエル王子の誕生日パーティに招待されているんだ」

「ジョエル王子というと――」

「今年で十五歳になられる、王太子殿下のご長男だ。エミリアにとっては従兄いとこにあたる」


 知っている。ジョエルはリデルが十四歳の時に生まれた甥で、長兄ローレンスにとって初めての子だった。

 次期王太子という立場を除いても、彼は周囲の皆から宝物のように大事にされ、両親や祖父母、叔父叔母たちから目にいれても痛くないほどに可愛がられていた。


 ――そう、あの子がもう十五歳になるのね。


 そんな感慨にふける間もなく、オスカーが話を続ける。


「これまで何度も招待を受け、そのたびにお断りしてきた。……が、さすがに十五歳の節目とあらば出席しないわけにもいかない」


 十五歳というのは王族にとっての成人であり、非常に大事な年齢である。

 誕生日もこれまで以上に盛大に祝われ、パレードも行われる。何より重要なのは、王都の大聖堂における祝福の儀式。

 聖なる泉でみそぎを受けた王族は、大司教より、成人王族の一員として特別なロザリオを授与される。

 そんな一大イベントだ。

 国家を支える貴族の一員として、また王子の従妹としても、出席しないわけにはいかない。


「社交界デビュー前の招待とはいえ、王家の血を引くエミリアは嫌でも周囲の注目を集めるだろう。そこで淑女らしからぬ行動を取ったら、どうなるか――」


 そう告げるオスカーの顔色は芳しくなかった。

 無理もない。

 外からは華やかで煌びやかに見える社交界も、一歩足を踏み入れれば好奇心と嫉妬心、欲望と駆け引きが渦巻く魔の巣窟だ。

 リデルにとっては、という意味でだが。

 もちろん人によっては、悪いことばかりでないとは思う。

 交友関係を広めたり、家にとって有益な情報を仕入れたりと、自身の社交性を発揮し存分に楽しむ者もいることだろう。

 しかしリデルの中で社交界という場所は、あまりにいい思い出が少なすぎる。

 

 その記憶は、ジュリエットにも悪影響を及ぼしていた。

 前世を思い出す前は社交界デビューをそれなりに楽しみにし、素敵な男性との出会いに心躍らせていたものだ。だというのに、今はまったくときめかない。

 それどころか、むしろ行きたくないとさえ思ってしまうほどだ。


 ――我ながら枯れているわね。


 まあ子爵令嬢に生まれた以上、今更社交界デビューは避けられないのだが。


 ――と。そんなことより、今はエミリアの件ね。


 現在の彼女の状況を鑑みるに、ジョエル王子の誕生日パーティで恥を掻く確率はほぼ十割。彼女の名誉が無傷のままでいられる保証は、ゼロに等しい。

 そんな状況で、家庭教師マデリーンが足を怪我した。

 負傷した彼女にとって、座学はなんとかなるかもしれないが、ダンスや楽器、礼儀作法の稽古を付けるのは非常に難しいだろう。


「エミリアには初め、臨時の家庭教師を雇うと言ったんだ。だが――」

「嫌よ! ジュリエットの授業じゃなきゃ受ける気がしないわ! 絶対ジュリエットに教えてほしいの!」

「――と、言うわけだ。ちなみにこの子はこれまでに、五人もの家庭教師を追い出してきた」

「七人よ、お父さま」

「胸を張って言うことではないだろう」


 堂々と言い放つエミリアに、オスカーが呆れたように嘆息する。

 なるほど。どうやらジュリエットは読み違えていたようだ。

 オスカーは、ジュリエットが娘の家庭教師をすることに乗り気というわけではない。それしか道がないからと、追い詰められているだけらしい。


 娘に甘い父親らしい判断だが、エミリアのこの頑固さを見ていれば、自分が折れたほうが早いという彼の気持ちも多少はわかる。

 何せパーティまでの準備期間は約一年しかないのだ。

 エミリアの淑女教育の進捗具合を察するに、時間がいくらあっても足りない状況である。

 今からエミリアの気に入るような家庭教師を探していては、どう考えても間に合わないだろう。


 その点、ジュリエットは身元も確かで、きちんとした教育を受けている。エミリアに気に入られているため、よほどのことがなければ追い出される心配もないだろう。

 オスカーの望む全ての条件を満たしているといっても過言ではない。

 しかしそれとこれとは別である。


「申し訳ございませんが、おこ――」


 とわりいたします、というジュリエットの言葉に被せるように、オスカーが口を開いたのはその時だ。


「昨日の貴女の立ち居振る舞いや、食事の作法は実に見事だった。お世辞ではなく、心から感心した。これほど美しい所作は、そう滅多に見られるものではないと」

「か、家庭教師が優秀だったんですわ。わたしは何も……」


 オスカーが他人をこんな風に手放しに褒めるなんて、明日は空から雹どころか、石つぶてが降ってくるのではないだろうか。

 はにかんだり照れたりするより、むしろ怖い。

 ジュリエットは冷や汗を流しながら愛想笑いを浮かべた。曖昧な態度を取ることで、この話題が流れることを望んでいたからだ。

 しかし話というのはいつだって、自分の思った方向には行ってくれない。


「貴女になら、エミリアを安心して任せられると思った」

「え、あの」

「一年、いや、男爵夫人の足が治るまでの期間だけでもいい。エミリアの家庭教師を、引き受けてはくれないだろうか」

「そ、そう言われましても――」


 なぜだろう。

 オスカーとの距離は縮まっていないはずなのに、まるで間近に迫られているかのような圧を感じるのは。

 石像のように固まるジュリエットに気づいているのかいないのか、オスカーの言葉が止むことはない。


「もちろん貴女に妙な噂が立たないよう、最大限考慮させてもらう。これまでと同じように農家の娘として接するし、もし何かあれば、全力で貴女の名誉を守るつもりだ」

「え、えーと、その……」

「こちらの都合で無理を言っていることは承知の上だ。だが、ジュリエット・ディ・グレンウォルシャー嬢。エミリアに恥を掻かせないために、貴女の協力がどうしても必要なのだ。どうか我々に、力を貸してほしい」


 ――だめよ、ジュリエット。嫌だというの。断りなさい。


 心の中で、ジュリエットは自分に言い聞かせる。

 たとえエミリアが恥を掻こうと、ジュリエットにとって彼女は赤の他人。そこまで気にかける必要はないのだ。

 そう、オスカーのことがどうでもいいように、エミリアのことだってどうでもいいと思わなければ。


 ――そうよ、エミリアのことなんてどうでも……どうでも……っ。……よくはないけど、でも! 鋼鉄の意志を持つのよ、ジュリエット!


 しかし目の前のエミリアが小さく小首を傾げ、悲しげな表情で訴えた瞬間、ジュリエットの鋼鉄の意志はココアに浮かべたマシュマロのようにシュワリと溶けかける。


「ジュリエット、だめ? わたし、ジュリエットにお勉強教えてもらいたいの。ジュリエットとなら、ダンスのお稽古も楽器の練習もきっと頑張れるわ」

「う……あ……」


 ――そ、そんな天使みたいな可愛い顔でお願いしたってダメなんだから……。


 揺れ動く心を今こそ鬼にしなければ、と自分自身を鼓舞する。

 しかしそこで、エミリアが極めつけの一言を発する。


「でも、もしジュリエットが迷惑だって思うのなら、我慢するわ……」


 しょんぼりとしたエミリアの顔を見た瞬間、ジュリエットの覚悟はあっさりと陥落した。

 気づけばブンブンと首を横に振り、椅子から立ち上がりながら、前のめりにエミリアの手を掴んでいたのだ。


「め……迷惑じゃありません! わたしでよければ、是非!」


 反射的に出ていたその言葉に、しまったと思う間もなく。


「本当に!?  やったぁ、ありがとうジュリエット!  嬉しい、わたしお勉強頑張るわ!」


 大はしゃぎのエミリアを前に、ジュリエットは心の中で盛大に後悔の叫びをあげた。


 ――あああ、わたしの馬鹿ァ――――――――!


 ジュリエットはまたしても、自ら墓穴を掘ってしまった己の軽率さを悔いる羽目となったのだった。

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