第45話

「お待たせいたしました、伯爵さま、エミリアさま」


 小食堂に現れたジュリエットを目にし、オスカーが右目を軽く瞠った。


「……メイドたちには、着替えを用意させるよう命じておいたはずだが。何か不手際が?」


 彼の視線は、膝丈程度の黒いワンピースを身につけたジュリエットに、不躾と言っていい程度にまじまじと注がれている。

 この服の出所がどこであるか、オスカーにはすぐにわかったのだろう。

 何せワンピースの上からエプロンを着ければ、そっくりそのまま、この城で働く給仕メイドのお仕着せになるのだから。


「いいえ、きちんと用意していただきました。ただ、少々不具合がございまして。せっかくのご厚意でしたのに、申し訳ございません」


 ジュリエットは頭を下げ、顔を伏せることで、棘のある目つきを隠す。

 用意されていたドレスは、質やデザインを見ても、間違いなくマデリーンのものだ。下女が独断で借りてくるはずはないし、そこにオスカーの指示があったことは明白である。

 しかし、だ。

 ジュリエットの胸回りは非常にささやかだ。慎ましいと言ってもいい。マデリーンとの差は一目見て明らかだ。

 それなのにあんなドレスを着替えに寄越すなんて、酷い嫌味か考えなしのどちらかである。


 そしてオスカーの場合は、後者だったらしい。


「不具合? ほつれでもあったのか? 男爵夫人は、ほとんど着ていないものだと言っていたが――」


 目をぱちぱちしばたたきながら、ジュリエットを見つめる。

 察しの悪さに呆れながら、ジュリエットは端的に答えた。


「サイズが、合わなかったのです」

「サイズ」


 オスカーがジュリエットの上から下まで視線を走らせた。まるで何かを見定めるように。

 そして数度の往復を繰り返した後、彼の視線はほんの僅かだけある一点に留まり――。


「ああ」


 ジュリエットの顔を見ながら、納得したように頷いた。

 照れるわけでも、苦笑するわけでも、哀れみを向けるわけでもない。 

 完全に心から納得した「ああ」である。 

 

『鞍のサイズが合わないと思ったら、大人用のものを子馬に付けていました』


 なんて言われたら、誰もがこんな風に返事するだろう。そんな「ああ」である。

 あっさり頷かれたことに、ジュリエットの小さな自尊心が多少くじけた。

 哀れまれても悲しいが、あっさり納得されるのもまた空しいものである。

 彼がもう少し気の利くたちであれば、無駄に惨めな思いをしなければ済んだのだが、それを言っても詮無いことだ。


 ――鈍いのは昔からだもの。


 よくも悪くも、彼は我が道を突き進むタイプの人間だ。

 リデルの記憶やジュリエットのこれまでの経験と照らし合わせてみても、他者と比べて感情の機微に乏しく、また疎いような気がする。 

 ただ、だからと言って彼に思いやりがないわけではない。

 男爵夫人――マデリーンのドレスを借りてくれたのも、貴族令嬢であるジュリエットのため、なるだけ質のよい着替えを用意しようと思ったからだろう。

 まあ、サイズが合っていようと彼女のドレスを着たくはないが。


「ジュリエット、朝ご飯は食べられそう? 今日はチーズオムレツよ」

「ごめんなさい、まだ少し気分が……。飲み物だけいただきます」


 夢見があまりにも悪く、何も食べる気がしない。

 エミリアの申し出をやんわり断ると、ジュリエットは昨日と同じく、オスカーの隣に腰掛ける。


 それからすぐに給仕メイドがやってきて、食卓を調え始めた。エミリアとオスカーの前にはオムレツやサラダにパン、ジュリエットのグラスにはシードルが注がれる。

 そうして食卓の上で手を組むジュリエットとオスカーの姿に、エミリアが待ったをかけた。


「待って、わたしがお祈りの言葉を言うわ!」

「できるのか?」

「もちろんよ! さあふたりとも、わたしのお祈りに続けて」


 怪訝そうなオスカーとジュリエットにそう言うと、エミリアはきちんと両手を組み、畏まった表情で口を開いた。


「天に座します我らがフォラ・スピウススピウス女神。わたしたちは今日、素晴らしい友人とともに食卓を囲める幸せと、与えられた御恵みに感謝の祈りを捧げます――〝マーシル・マース〟」


 ジュリエットも口の中で『マーシル・マース』と続け、組んだ手に唇を付ける。

 これはスピウス信教の基本となる祈りの言葉で、ミサや葬儀、婚礼などあらゆる祭式で用いられる。語源や意味は諸説あるが、一般的には『心の平穏を』や『あなたに幸せが来ますように』という意味だ。


「ふふ、ジュリエットがいるから、ちょっと張り切っちゃった」


 祈りを終え、エミリアが少し照れたように口元を覆いながら笑う。

 もしかしなくとも、自分でまともに食前の祈りを唱えたのはこれが初めてだったのかもしれない。

 そう考えた時、ジュリエットの頭の中にある仮説がよぎる。


 ――もしかして……?


 だがその件について考察するのは止めておくことにした。ジュリエットには関係のない話だ。


「改めまして、昨晩は申し訳ございませんでした。男爵夫人のお怪我で慌ただしい中、わたしまでご迷惑をおかけしてしまいました」


 シードルを一口飲んだ後、ジュリエットは口を開いた。自身の思考から意識を逸らすためだ。

 

「気にしなくていいのに! 男爵夫人も捻挫したくらいで、思ったほど酷くはなかったみたいよ。ねえ、お父さま」

「ああ。ジュリエットのほうこそ、まだ少し顔色が悪いから無理をしないように」

「……ありがとうございます」


 気遣いの言葉を、ジュリエットは素直に受け取った。実際、まだ少し頭が痛い。 

 やはりマデリーンとの再会は、自分で思っていた以上に衝撃だったらしい。

 しかも、単にショックを受けただけではない。

 よみがえったばかりであやふやだった前世の記憶が、彼女との再会によって、少しだけ鮮明になったようだ。


 ――そうだわ、副長は? どうしてマデリーンは、ステア・アーサーを頼らなかったのかしら。


 マデリーンの兄アーサーは、オスカーの命令で、リデルが別荘に向かう際の警護責任者を任されていた。

 それからまもなく結婚し、子爵家の婿養子となる予定だったからだ。つまり『元王女の護衛』をやり遂げることで、結婚前に箔を付けるための任務である。

 

 彼はどうしているのだろう。

 もしかしてリデルが自害したことで、子爵家の婿養子となる話が立ち消えになったのだろうか。

 そうだとすればアーサーもまた、マデリーンと同じように、今もアッシェン城にいるのかもしれない。


 ――お誕生日祝いの夜会の時には見かけなかったけれど……。あれだけ人がいたんだから、見つからなくても無理ないわね。


 マデリーンと違い、アーサーは常にリデルに礼儀正しく、にこやかに接してくれていた。

 特別親しくしていたわけでもないが、爽やかな好青年という印象で、個人的には好ましく思っていた。

 もし再会するのなら、マデリーンではなく彼のほうがよかったと思う程度には。


 そうして若干過去に引きずられていたジュリエットの思考は、エミリアの発した言葉により、急速に現実に引き戻された。


「ねえ、それでお父さま、例のお話は考えてくれた? ジュリエットに家庭教師をしてもらうって話よ」

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