第39話

 それでも、萎れた様子で目を伏せるオスカーを見ていれば、攻撃的な態度で居続けることも難しかった。

 まるで水を掛けられた焚き火のように、ジュリエットの中で燃え盛っていた闘争心が、徐々に弱まっていく。


「わたし……、両親のことを、本当に尊敬しているんです」


 跪くオスカーに、ジュリエットは淡々と、呟くような静かな声で話しかけた。

 もしここに第三者がいれば、たかが子爵令嬢ごときが伯爵を跪かせたまま話をするなど、なんて無礼なのだろうと眉をひそめたことだろう。

 しかしジュリエットは、それをわかっていながらなお、オスカーを見下ろしたまま話を続ける。


「世界一大切で、大好きで……。だから、あなたをすぐに赦すことなんてできません」


 比較的大らかな性格のジュリエットだが、今回の件に関しては話が別だ。

 自分のことならまだしも、何も知らない両親のことを侮辱されてあっさり赦すほど、ジュリエットの心は広くない。

 表面上は赦したふりをし、和やかに食事を終えるという選択もあっただろう。余計な波風を立てずに立ち去ったほうが、今後の人生を考えれば賢いやり方に違いないのだから。

 それでもあえてジュリエットが頑なな態度を取ったのには、少しだけ、意固地になっていたからだ。

 すぐに謝罪を受け入れれば、怒りも悲しみも全て呑み込み我慢してきた前世リデルと、何も変わらなくなってしまう……と。


 そして単純に、興味もあった。

 誇り高き騎士の魂を持つオスカーが、目下の小娘にこのようなことを言われてどう感じるか。

 リデルが生きていた頃の彼であれば、この状況を屈辱と思うだろう。

 言葉には出さずとも、このアッシェン伯が誠心誠意謝罪しているのになぜ赦さないのだと、不満に思うはずだ。そしてその思いは、必ず態度や空気に表れる。

 でももし、本当にオスカーがリデルの死後、少しは変わったのであれば……?

 ジュリエットはそれを、確かめて見たかった。

 

「もちろん、赦してほしいなどと傲慢なことを言うつもりはない。ただ、こうして謝罪の機会をいただけただけで、今は十分だ」

「それは……先ほども申し上げましたが、エミリアさまからお手紙を受け取ったからで……。それに、謝罪をしたいと仰るのを無視なんてできません」


 少しくらい怒っているかと思ったのに、彼の目には詰られたことに対する憤りも、赦してもらえなかったことに対する不満も浮かんでいない。

 先ほどまでと同じく後悔の滲む表情で、真摯に告げるばかりで、調子が狂ってしまう。

 しどろもどろになるジュリエットに、そこで初めて、オスカーが微笑らしきものを浮かべた。嫌味ではないジュリエットの返答に、心底安堵したような表情だった。

 たちまち、張り詰めていた空気が和らいだのを肌で感じる。


「それでも、感謝させてほしい。本来ならばこちらから出向いて謝罪すべきだったところを、わざわざ来ていただいたことも」

「……わたしの身元が知られないよう、気を遣ってくださったのでしょう?」


 噂というものはどこからともなく広がって行くものだ。 

 もしオスカーがフォーリンゲン子爵邸まで赴いていれば、彼を見かけた村人が他の村人に話すかもしれない。あるいは御者の口から使用人たちへ、使用人から家族へ……とどんどん広まっていく可能性もある。

 たとえ口止めをしようと、『ここだけの話』と言って広める人間はどこにでも存在するものだ。 


 ――この前、アッシェン伯がフォーリンゲン子爵邸を訪ねたんだってよ。

 ――あら、どういうご関係かしら。

 ――そういえばあそこには若いお嬢さんがいたわね。もしかして……。

 

 という具合に、妙な憶測を呼ぶ場合だってあり得る。

 だから今回オスカーが、表向きは夕食会へ招待するという形をとったのも、ジュリエットの名誉を守るためのものとして何ら間違っていない。


「ああ。だからもし招待に応じてもらえなければ、農夫の変装でもして、フォーリンゲン子爵家を訪ねようと思っていた」


 大真面目に言うものだから、本気なのか冗談なのか判断がつかず、困ってしまう。

 もし本気だとしたら、彼は自分の姿を鏡で改めて確認したほうがいい。どんな安物の服を着ても、彼が農夫に見えるなんてことは逆立ちしたってありえない。

 迷った挙げ句、ジュリエットは正直な感想を打ち明けることにした。

 

「……似合わないと思います」

「……エミリアからもそう言われた」


 立ち上がりながら、オスカーが言う。どうやら本気で検討していたらしい。


 エミリアの呆れ顔が容易に想像できた。

 ちょうどその時、廊下から誰かが駆け足で近づいてくる音が聞こえた。直後に扉が大きく開き、エミリアが勢い良く飛び込んでくる。


「お父さま、ジュリエット、ただいま! 結い直してもらったわ」

「エミリア、扉を開ける前は声を掛けるか、叩いて知らせるようエヴァンズ男爵夫人から言われなかったか?」

「いいじゃない、早くジュリエットとお話したかったんだもの!」


 注意されて悪びれた様子も見せず、エミリアはさっさと席についた。


「ほら、ふたりとも早く座って! もうすぐお料理が来るんだから。ロージーたちが運んでたのを見たのよ」

「まったく、お前は……」

 

 困ったように額に手をやり、小さく唸るオスカーだったが、彼はそれ以上エミリアを注意しようとはしなかった。

 開きっぱなしの扉を閉めに行った彼は、ジュリエットに手を差しだし、遠慮がちに告げる。


「――では、ジュリエット。こちらへ」

「は、はい」


 娘の前で、エスコートの申し出を断るわけにもいかない。

 ジュリエットはぎこちなく彼の掌に自身の手を乗せ、席に腰を下ろしたのだった。

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