第36話

 祖母の別荘から城までは比較的店や民家も多く、護衛が必要というほどのものではない。しかし「娘の大切な客人に何かあってはいけない」というオスカーの考えで、ライオネルが同伴することとなったのだ。

 もちろん、貴婦人が縁もゆかりもない男性と同じ馬車に乗るなど、常識的に考えてあり得ない。

 車内にはジュリエットとメアリだけが乗り込み、その少し後ろを、ライオネルが馬で付いて行く。

 そうして一行は、予定時刻より少々早めに、アッシェン城へ到着したのだった。


「大きなお城ですね。それに何だか、力強さを感じます」


 城を見上げながら、メアリが静かに呟いた。

 抑揚のない声だが、長い付き合いのジュリエットにはその横顔だけで、十分驚いていることがわかる。


「そうでしょう? このお城は元々、シルフィリア家――王族の持つ要塞のひとつだったものなの。初代アーリング家当主が叙爵の際に王から譲り受け、その後も改築を重ねてきたけれど、ところどころに要塞としての面影を残しているわ」

「よくご存じですね」


 厩舎係に馬を預けたライオネルが、感心したように告げる。

 あ、とジュリエットは口元に手をやった。深く考えずに答えてしまったが、これは今世で得た知識ではない。前世で、アッシェン伯夫人として相応しくあろうと、必死で身に着けたものだ。


「い、以前、建国史を読んだ際にちらりと目にしまして……」 

「そうでしたか」


 慌てて言い訳をすると、疑う様子もなくライオネルが頷く。

 ほっとしながら、ジュリエットは内心で己を諫めた。


 ――油断しては駄目よ、ジュリエット。もっと気を付けておかないと。


 たったいま口にしたようなことは、建国史を開けば必ず記されているような話だからよかったものの、もっと根本的な部分――。たとえばこの城の関係者でしか知り得ないような情報を、ついうっかり口にしてしまっては大事おおごとだ。慎重にいかなければ。


 正門から来客用の玄関に向かってゆっくり歩くふたりを、足下から伸びた長い影が、同じくゆっくり追いかけて行く。

 やや生ぬるい風を頬に感じつつ、ジュリエットはライオネルと言葉を交わした。


「ジュリエットさまは、建国史にご興味がおありなのですか?」

「え、ええ。でも、この程度の知識でしたら誰でもご存じかと……」


『この程度の知識』と表現したのは、謙遜ではない。貴族令嬢にとって建国の歴史を学ぶことは、語学やダンス、礼儀作法のレッスンと同じくらい大切なことだからだ。

 自国の歴史を学べば、家同士の関係性や繋がりがおのずと見えてくる。そうした知識を社交の場で役立てることで、家の発展に繋がったり、あるいは良縁を結べる可能性が高くなるのだ。

 ジュリエットも、前世で頭が痛くなるほど建国史を読み込んだものだ。


 ――あまり役には立たなかったけれど。


 オスカーのためになればと思って勉強したのに、皮肉な話だ。

 彼が社交の場にリデルを伴ったことはなかったし、領地経営や人付き合いの上で当てにすることも一度もなかった。

 自嘲気味な笑みを漏らすと、再びライオネルの声が降ってきた。


「いいえ。いくら建国史を学んだとはいえ、咄嗟にその内容を説明できる方などそうはいらっしゃいませんよ。ましてやジュリエットさまのような、今時の若い女性が、なんて。本当に珍しいことです」

「わたしのことを今時の若者と言うほど、ライオネルさまはお年を召していらっしゃらないでしょう?」


 今時の、なんてまるで老人のような物言いがおかしくて、思わず小さく笑みこぼれてしまう。

 するとライオネルも、釣られたように苦笑した。


「ジュリエットさまが思うよりは年上ですよ。――今年、三十七歳になったばかりです」

「まあ……! わたしてっきり、二十代半ばくらいかと……。いえ、もちろん十分にお若いのですが」


 ジュリエットは三十七歳という年齢を念頭に置き、改めてライオネルを観察する。

 ともすれば女性よりきめ細かな皺一つない肌といい、引き締まった身体つきといい、とてもそんな年齢には見えない。

 ……余談であるが、ジュリエットの父ジェームズは四十歳。ライオネルと三つしか変わらない。


「ありがとうございます。ですがあまり若いと、お嬢さまの護衛を任せてもらえないのですよ」


 ライオネルが悪戯っぽく片目を瞑る。

 意味が分からず首を傾げると、彼は唇に人差し指を当てながら、声を潜めて告げた。 


「閣下はご心配なのですよ。あまり若い護衛を付けたら、お嬢さまに懸想するのではないかと」

「エミリア、さまはまだ十二歳でしょう? そんなに心配はいらないのでは……」

「私もそう思うのですが、何せ閣下はいわゆる〝親馬鹿〟でいらっしゃいますから。変な虫がつかないよう、今の年齢から注意しておられるのですよ」


 去年までエミリアの護衛には、五十代の騎士も付いていたらしい。しかし彼がぎっくり腰で療養期間に入ったため、今は基本的にライオネルともうひとりの騎士とで、護衛を行っているそうだ。


「滅多にないことですが、外出の際などはお嬢さまひとりに十名以上の護衛が付いているほどです」

「滅多にない? エミリアさまは外出をあまりなさらないのですか? もしかして、お身体が弱くていらっしゃるとか」


 見た目には元気そうだったが、エミリアはリデルの娘だ。病弱だった母の体質を受け継いだ可能性は大いに考えられる。

 不安になって問いかけると、ライオネルはあっさりと首を横に振った。


「いいえ、違いますよ。閣下はお嬢さまが危険な目に遭う可能性を、全て排除しておきたいのだそうです」

「でも……。それではエミリアさまは、常にお城で過ごしていらっしゃるのですか?」

「そうですね。教会での礼拝や慰問活動など特別な時以外は、城の敷地からお出になることはありません」


 ジュリエットはなんとも言えない表情で、黙り込んだ。

 厭っていた妻との間に生まれた娘を大事にする理由はわからないが、確かにエミリアは、父親の許で大事に育てられているのだろう。

 しかしそれでは、籠の中の鳥と同じだ。

 子供は飼い殺しの鳥と違い、いつか羽ばたいていくもの。いつまでも籠の中に閉じ込めてはおけないし、閉じ込めておくべきではない。

 子供は庇護すべき存在だが、決して親の所有物ではなく、いずれは自分の人生を歩まなければならないのだ。


 ――行きすぎた過保護はあの子のためにならないのに……。どうして?


 そんなジュリエットの心の声が聞こえたかのように、ライオネルが口を開く。


「やはり、奥さまを病で亡くされたことが相当堪えているのでしょうね」


 ライオネルにとっては何気なく発したであろう言葉に、心臓がどくんと跳ねた。

 両手で胸元を押さえながら、ジュリエットは平静を装って答える。


「リデル……王女殿下のことですね」

「はい。閣下には、愛する奥さまの忘れ形見を守り通さねば、という強い思いがあるのでしょう。それは妻子のいない私にも理解できます」


 もちろん閣下のやり方は行きすぎですが、と付け加えられたライオネルの言葉が、耳を素通りしていく。


 ――一体、どうなっているの?

 

 祖母だけならまだ、他の誰かと勘違いしているという可能性もあった。しかしライオネルまで、リデルの死因を『病死』とはっきり口にしたとなると、話は違ってくる。

 ふたりが揃って同じ勘違いをしているとは考えにくいからだ。

 そこまで考えたところで、ジュリエットは、はたと思い当たった。


 リデルの本来の死因は『自害』である。

 降嫁した元王女が自らの喉を掻き切って死んだなどと知られればオスカーに対する非難は免れないし、何より、当の王家にとってもあまり体裁がいいことではない。

 スピウス正教の経典では、自害を禁じている。神から授かった魂と、親から授かった肉体とに傷を付ける行為は、許されざる大罪だと。

 故に自ら命を絶った者は、罪で濁った魂を洗い清めるため、冥界で懲罰を受けなければならない。

 昔に比べて敬虔な信者が少なくなったとはいえ、スピウス正教はいまだエフィランテ王国の国教。昔ながらの祭事、式典など、しきたりを重んじる王族とは切っても切り離せない存在だ。  


 それなのに、そんな王族に生まれた娘が『大罪』を犯したとなれば世間からどのような目で見られるか。

 王女は冥界に落ちた罪人と見なされ、王家の威信には間違いなく何らかの瑕疵が付くだろう。

 つまりリデルの本当の死因は意図的に伏せられ、『病死』という偽の情報が公表されたのだ。 

 恐らくは国王の――前世で父だった人の意思によって。

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