第26話

 それでも初めの内は、必死で言い聞かせていた。

 これは美しく清らかなものに対する憧憬のような感情で、まだ本当の恋には至っていない。汚れた血、劣り腹と言われる自分に想いを向けられても、王女も迷惑なだけだ。

 彼女は仕えるべき主君の娘であり、オスカーが懸想をしていい相手ではない。

 今ならまだ間に合う。どうせ一年後には、またアッシェン領へ戻るのだ。深みに嵌まる前に忘れよう。

 そう努めた。


 けれどそんなオスカーの許に、王女から手紙が届いた。 

 名乗らなかったにもかかわらず、侍女たちが王女の頼みで、オスカーの名を探り当てたらしい。宴の際、『はずれ姫』を抱えてその場を去った騎士の正体にたどり着くのは、そう難しいことではなかっただろう。


ステア・オスカーアーリング家の・ディ・アーリングオスカー卿


 書き手の繊細さがそのまま現れたような美しい宛名書き。

 王女を表す、薔薇と鈴蘭の紋章。

 オスカーは逸る気持ちでペーパーナイフを手に取り、丁寧に封を切った。


 そこには宛名書きと同じく細やかな文字で、先日の礼がしたためてある。

 オスカーの親切のおかげでとても助かったこと。数日休んだら体調もすっかりよくなり、改めて姉王女に祝いの花束を渡せたこと。

 迷惑をかけたことや、勝手に名前を探らせたことに対する謝罪の言葉と共に、手を差し伸べてもらえて嬉しかったという気持ちが綴られていた。

 手紙には小さな贈り物が同封されている。添えられていたのは、銀色のカフリンクスだ。見事な摺り貝細工の中に金色の魚が泳ぐ、綺麗なデザインの品だった。


『気持ちばかりですが、わたしが選びました。使っていただければ嬉しいです』


 手紙の文章を読むだけで、頭の中では勝手に王女の声として再生された。

 品物や、感謝が欲しくて助けたわけではない。

 けれどこうして王女から手紙が届き、自分のためだけに選んでくれたであろう品物を手にすると、心の底から嬉しいという気持ちが湧いてくる。

 

「いただいてもいいのだろうか……」


 ひんやりとした小さなカフリンクスを手に、ふとそんな呟きが漏れた。

 いくら礼とはいえ、一介の騎士に過ぎない自分が王女から贈り物をしてもらうなど、あまりに恐れ多い話だ。とはいえ受け取れないと告げれば、せっかくの心遣いを無下にしてしまう。

 ならばせめて、返礼品を送ろう。


 しかしながら女性への贈り物に何が相応しいのかなど、検討も付かない。オスカーは早速、数少ない友人のひとりに相談することにした。


「……というわけでアーサー。お前なら女性の喜びそうな贈り物も知っているだろう」

「そりゃまあ、お前よりは詳しいけど。で、お前が礼をしたがってる、その〝さる高貴な家柄のご令嬢〟って誰なんだよ?」


 アーサーはオスカーより四つ年上で、二年半前から正騎士として働いている。

 同じ騎士の許で見習いとして切磋琢磨した仲であり、性格は少々軽薄だが、オスカーにとっては最も信頼のおける友人だ。

 彼自身は貴族ではないが、実家は誰もが知っているほどの豪商で、父親は一代限りの貴族称号――準男爵位を叙爵されている。

 そんな彼の実家の客間で向かい合いながら探りを入れられ、オスカーは口を閉ざした。

 未婚の王女が、誰か特定の男性に贈り物をしたというだけでも、あまりおおっぴらにすべき話ではないのだ。いくら親友相手とはいえ、王女の名誉を損なう可能性のある話はしたくない。

 それに何より、この件は美しい思い出として、自分の中だけに大事に留めておきたくもあった。


「……黙秘する」

「何だよそれ! 俺にも内緒ってわけか? きっと、ものすごい美人のご令嬢なんだろうなぁ」  

「変なことを言うな」


 茶化され、オスカーは渋面になった。

 女好きのこの友人は、ちょっとでも美人を見かければすぐに粉をかけたがる。もしオスカーが美人だとでも答えれば、見せろ見せろとうるさいに違いない。

 そして実際にリデル王女と顔を合わせたら、間違いなく全力で口説きにいくだろう。


「あの堅物なオスカーにも、とうとうそんな女性が出来たんだなって喜んでるんだよ」

「ただの礼だと言っているだろう。いいから早く教えろ」


 そんな会話をしていると、扉を叩く音が聞こえた。


「お兄さま、入ってもよろしいですか? お茶を持って参りましたの」

「ああ、入れ」


 アーサーが促すなり、真っ青なドレスに身を包んだ華やかな娘が銀盆を抱えて部屋へ足を踏み入れた。

 彼女はオスカーの顔を見るなり表情を明るくし、弾むような声を上げる。


「ごきげんよう、オスカーさま!」

「ごきげんよう。マデリーン、少し見ぬ間に綺麗になったな」

「本当に!? 嬉しい!」


 銀盆さえ持っていなければ今にも踊り出しそうな雰囲気で、マデリーンが頬を赤く染める。

 相変わらず明るく、健康的な娘だ。一歳年上ではあるが、いつも兄にべったりだった彼女を、オスカーは昔から妹のように思っている。


「おいおいマディ。わざわざお前がお茶を運んで来なくてもいいんだぞ。下女に任せればいいだろう」

「まあ、お兄さまったら! オスカーさまがいらしてるのに、そんなわけにも参りませんわ! お客さまをもてなすのも女主人の務めですもの」


 軽く兄を睨み付けたマデリーンがテーブルの上へ銀盆を置き、茶器を並べ始めた。

 女主人じゃないし、別の客が来ても顔もださないくせに。アーサーがぼそっと呟けば、マデリーンがテーブルの下で彼の足を踏みつける。

 淑女にあるまじき行為を、オスカーは見て見ぬふりをしてやり過ごした。

 そうして紅茶の準備が整ったのだが、まぜかマデリーンはいつまでたっても退室する気配を見せない。


「あー……、マディ? 何で出て行かないんだ?」


 困惑したアーサーが問いかけると、彼女は「あら」と顎を上げた。


「せっかく久しぶりにオスカーさまと会えたのに、どうして出て行かなければならないんですの? さあ、わたくしの事はお気になさらず、どうぞお話を続けてくださいな」


 マデリーンは少し離れた場所にある椅子に、ちゃっかりと腰掛ける。

 オスカーとしては別に聞かれて困る話ではなかったのだが、アーサーは少々気まずそうだ。わざわざ小声で、居心地悪そうに話を続ける。


「……で、何だっけ。そうそう、女性が喜ぶ贈り物の話だったな」

「女性への贈り物!?」


 素っ頓狂な声を上げたのはマデリーンだ。

 彼女は椅子をガタッと大きく鳴らしながら立ち上がり、黒い目を大きく見開きオスカーを見つめている。

 一体何をそんな驚くことがあるのだろうかと唖然としていると、マデリーンがつかつかとオスカーたちのほうへ近づいてきて、テーブルに勢いよく両手を突いた。


「オスカーさまが!? 女性に!? ど、どこのどなたですの? いつ! どこで! 知り合った方ですのっ!?」

「……だからお前には聞かれたくなかったんだよ。ほら落ち着けマディ、話の邪魔をするなら本気で追い出すぞ」


 アーサーが酷く頭が痛む時のような顔で、こめかみを押さえた。 

 彼は手を振って妹を元いた椅子のほうへいなすと、眉間に皺を寄せたままオスカーに視線を戻す。


「妹が騒がしくして悪いな」

「いや、構わないが……。俺が女性へ贈り物をするというのは、それほどまでに意外な話なのかと驚いている。まさかマデリーンにまで驚かれるとは」

「お前――」


 アーサーがパクパクと口を閉じたり開いたりし、マデリーンをちらっと見やる。しかしやがて何かを諦めるように深い溜息をつくと、話題を元に戻した。

 

「まあいい。まず、一口に贈り物とは言っても、何でも喜ばれるわけではない。相手の好みやら性格やらでだいぶ左右されるものなんだ。アクセサリーを喜ぶ女性もいるし、帽子やドレスを喜ぶ女性もいる。その中でも、デザインによって好き嫌いがわかれる。あるいは相手の印象で選ぶってのもアリだな」

「そうか……難しいものだな」


 オスカーは顎に手をやり、考え込んだ。

 確かに、世の貴婦人たちはそれぞれに着飾っているが、いずれもデザインの系統がバラバラだ。ある程度流行に合わせてはいるものの、個性というものを大事にしている。


「どこの誰かは言わなくてもいいけど、せめてどんな性格とか、どんな趣味があるのかだけでも教えてくれないか? それがわかれば、こっちとしてもかなり助かるんだが」

「彼女は――」


 言葉を切り、オスカーはリデルの姿を脳裏に思い浮かべた。

 アーサーとマデリーンが注目する中、ひとつひとつの単語を噛みしめるように告げる。


「月の……月の光を浴びた、妖精のような女性ひとだ。砂糖菓子のように儚げで、ガラス細工のように危なげで、花びらのように繊細な……。見ていて放っておけないと、つい手を差し伸べたくなるような」

「……」

「……」


 オスカーが口を噤んでも、アーサーたち兄妹は沈黙したままだった。

 アーサーはぽかんと口を大きく開き、穴が空きそうなほどまじまじとオスカーを見つめている。マデリーンはと言えば、顔を真っ赤にして眉を思い切り吊り上げていた。

 ついうっとり語ってしまった自分に気付き、オスカーはたちまち恥ずかしくなる。

 気恥ずかしさをごまかすため再び口を開こうとしたのだが、その瞬間、マデリーンがまたもや椅子を大きく鳴らして立ち上がった。

 ただし今度は、オスカーたちの側へやってきたわけではない。そのまま扉のほうへ向かったかと思えば乱暴に開け放ち、挨拶もなく部屋を後にしたのだった。

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