第27話

 激しい音を立てて閉まる扉を見て、オスカーは一体どうしたのだろうと首を傾げた。いつも朗らかだったはずなのに、久々に会ったマデリーンは何だかとても機嫌が悪そうだ。


「すまない、アーサー。俺はマデリーンに何か失礼なことをしたのだろうか」

「お前……。お前さぁ……。いや、もういい。うん、あいつのことはもう何も気にするな。難しい年頃なんだよ」


 呆れたようなアーサーの態度は何だか釈然としなかったが、兄である彼が気にするなと言っているのなら、そこまで心配せずともいいのだろう。

 次に会う時は機嫌が直っていればいいのだが、と考えていると、アーサーがまた口を開いた。


「とにかく、つまりお前の話から想像するに、そのご令嬢というのは大人しくて控えめなタイプなんだな?」

「ああ、そうだ。身体が弱くて、寝込むことも多い。あまり外にも出られないらしい。華奢で、肌も透き通るような雪白せっぱくだ」

「なるほど。……うーん、無難なところで言うなら花を贈るのが一番だな。身体が弱いなら室内で過ごすことが多いだろうし、部屋に花が飾ってあれば気分が明るくなるだろう?」

 

 花か、とオスカーは思案する。王女は白薔薇が好きだというようなことを、侍女が言っていたはずだ。

 しかし王女を離宮に送り届けた際、庭にはたくさんの花が咲いていたし、室内の至る所にも新鮮な花が飾られていた。

 王女の性格を踏まえれば花でも喜ばないことはないだろうが、もっと別の贈り物を考えたほうがよさそうだ。

 それを伝えると、アーサーはしばし沈黙し、それならと別の案を口にした。


「本はどうだ? 本なら室内でも楽しめるし、今、外国の絵本を翻訳したものが貴婦人たちの間で流行りはじめているらしいぞ。最新のものを買えば、持っている本と被る心配もないんじゃないか?」

「絵本? 少し子供っぽくないか? 彼女は十四歳だぞ」

「絵本と言っても子供向けのとは違う。文章はきちんと大人向けだし、著名な画家が挿絵を手がけた、芸術品としても楽しめるものらしい。取り扱ってる書店は限られてるが、一度、実物を見に行ってみたらどうだ?」


 アーサーが紙にペンを走らせ、書店の名前と住所を書いて渡してくる。どうやら店は、王都の町中にあるようだ。


「帰りに寄ってみる。ありがとう、アーサー。助かった」

「気にするなって。それより、もし何か進展があったら教えてくれよな」

「そういう関係ではないと言っているだろう。妙な勘違いをするな」


 再度念押しし、オスカーは紙を握りしめたまま屋敷を出る。外で待たせていた御者に住所を告げ、そのまままっすぐ書店へ向かった。

 そうしてアーサーから教えてもらった書店に到着したのだが、店内は女性客ばかりで、非常に居心地の悪い思いを味わう羽目になった。 

 女性たちとすれ違うたび、じろじろと無遠慮に視線を送られ、ひそひそと何事かを囁かれる。

 この空気の中に長時間居座ることが耐えきれず、オスカーは堪らず店員に声を掛けた。


「すまない、少々伺いたいことが。友人から、こちらの書店に外国の絵本を翻訳したものがあると聞いたのだが――」

「ああ、丁度最新作が入荷されたばかりですよ!」

 

 気のよさそうな老人がすぐさま裏へ引っ込み、新しい本を持ってくる。

 革の装丁に蔦や薔薇など複雑な模様が施されており、燻銀で作られた透かし彫りの留め金具が付いていた。題名の部分には金の箔打がされており、美しい飾り文字を華やかに彩っている。


【竜にさらわれた白薔薇の姫】


 オスカーは迷わずこの本を贈り物にすることに決め、早速購入して持ち帰った。

 問題は、本と共に送る手紙の内容だ。

 これまで立派な騎士になるため邁進し、ろくに遊びもしたことのないオスカーに、女性へ手紙を送った経験などあるはずがない。領地の作物の取れ高を記録したり、騎士団での報告書を作成するのとは訳が違うのだ。

 さりとて手紙の中身まで誰かに相談するわけにも行かず、書いては捨て、捨てては書き直すのを何度も繰り返した。

 そうしてできあがった手紙は、かなり素っ気ない内容になった。これでいいのだろうかと心配にもなったが、最初に用意していた『あなたはまるで白い薔薇。あなたの涙は花の雫』という浮かれた手紙よりよほどいいと、開き直ることにした。


 オスカーは自身の師であった高名な老騎士の伝手で、誰にも悟られないよう王女の許へ手紙と本を届けてもらうよう頼んだ。

 王女とのやりとりはこれで終わりだ。今度こそ忘れよう。

 そうして、日々の鍛錬によって雑念を追い払うことにした。

 折しもひと月後に行われる天覧試合にて、オスカーは師の推薦により、馬上槍を披露することになっている。王の前で無様な姿を見せるわけにはいかないという自尊心が、ほんのひととき、王女への淡い恋心を忘れさせてくれるだろう。


 ――しかしそんな自身の期待が、いかに浅はかなものであったかというのを、オスカーはすぐに思い知ることとなった。

 初めて臨んだ天覧試合で、貴賓席から会場を見下ろす王族たちの中に、リデル王女の姿があったのだ。

 今から対戦が始まろうという時に彼女の姿を見つけ、オスカーは動揺のあまり落馬しそうになった。

 幸いにして踏みとどまり、その後の試合も何とか勝ち進み優勝したが、王からの栄誉ある褒め言葉もまったく頭に入ってこない始末だった。


 しかも王女はその後も、オスカーが試合や擬戦に出場するたび、ひっそりと顔を出した。

 地味な服装で侍女と共に観衆に紛れていたが、見逃すはずがない。

 

 白い肌を微かに紅潮させ、目をキラキラさせながら試合を観戦していた王女。

 オスカーが勝つたび、嬉しそうに破顔していた王女。

 目が合えば、見つかったことを恥じながらも控えめに手を振る王女――。


 この頃になると、もうオスカーはわかっていた。

 自分は、一生王女のことを忘れられない。忘れられるはずがない。

 そしてその思いは日に日に、自身の手に負えないほどに強く大きく成長していった。

 

 王女を自分の妻にしたいという、罪深いほど恥知らずな願いに。 


 リデルを妻にとねがったのはオスカーだった。

 だから彼女が誰かのものになるより早くと、焦燥を抱えたまま王へ嘆願したのだ。

 畏れ多くも末の王女を娶らせていただきたい、と。

 王は初めは驚いていた。リデルはその時まだ十五歳であったし、オスカーもまだ父が存命であり、伯爵位を継いでいないただの騎士に過ぎなかった。

 しかし、アッシェン領の跡継ぎの願いを無下に扱うわけにもいかないと感じたのだろう。

 一年以内に、オルディア山脈における異民族との紛争を収めること。

 そんな条件つきで、願いが認許されたのだ。 


 この紛争は元々、山に住む異民族たちが、人里へ降りてきては暴力や略奪を繰り返していたことが原因で始まったものだった。

 多くの村人が殺され、物品を強奪され、大勢の若い女性が攫われていった。

 紛争が起こってから既に二年半が経過していたがものの、元々山の民であり地の利があった異民族に対し、エフィランテの騎士たちは木々が生い茂り岩肌の露出した山の地形に慣れていない。

 一対一ならともかく、切り立った崖の上方から大岩を落とされ一斉射撃されれば、騎士たちはなすすべもなかった。ましてや雨の多い地域、馬で移動する上で、泥濘に嵌まればひとたまりもない。

 異民族の足止めや気候によって騎士たちの歩みは遅々として進まず、戦況は一向に改善の兆しを見せないまま長引いている。芳しい報告が得られないことで、これまで王命により指揮官が何度か入れ替わったが、同じ事だった。


 オスカーはすぐさまアッシェンの騎士を引き連れ、指揮官補佐として王の命令を遂行せんと動いた。

 誰もが、十六歳の若造が何の役にたつと、高を括っていただろう。

 しかしオスカーが住んでいたアッシェンは、国内で唯一の紅茶の産地――つまり広大な高地を有している。平野で生まれ育った他の騎士たちと違いかなり山慣れしており、地理学についても明るい。もちろんそれは、同行したアッシェンの騎士たちも同じ事だ。 

 幸いにして、当時の指揮官はかなり頭の柔らかい人間で、オスカーのような若輩者の意見にも耳を貸してくれた。


 柔軟な指揮官に恵まれたおかげで、オスカーはぞんぶんに実力を発揮し、これまでの指揮官が考えつきもしないような作戦を展開していった。

 紛争は王の命令通り、一年以内に収束を迎えた。その頃になれば周囲のオスカーを見る目も変わる。

 冷静に状況を見極め、ぞっとするほどの勇猛さで敵をなぎ倒す。そんなオスカーを、誰もが『氷の騎士』と呼ぶようになっていた。

 元々は王都で、珍しい冬色の瞳を見た貴婦人たちが付けた愛称だったが、そんな使われ方をされるとは思わなかったとオスカーは苦笑した。


 王都に戻った時、オスカーは十七歳になっていた。

 これで本当にリデルを妻にできるのだろうか。そんな不安を抱えたまま謁見に臨んだものだから、正式に結婚を認める言葉を賜った時は、涙が出そうなほど嬉しかった。

 

 それから一年が経ち、ようやくリデルと共に司祭の前で誓いの言葉を述べることができ、オスカーは感無量だった。

 幸せな時も困難な時も共に助け合い、互いを愛すると述べた、神への誓いだけではない。

 一生大切にし、誰よりも側で彼女の笑顔を守り抜くと、自分の心に誓った。

 本気で、そう思っていたのだ。

 それなのに、オスカーは間違えた。誰よりリデルを不幸にしてしまった。彼女から笑顔を奪ってしまった。

 それなのに最愛の妻の命を守れなかった大罪人が、今もこうしてのうのうと生きている。

 ――オスカーの中にある時計の針は、決して時を刻まない。

 十九歳の愚かなオスカーは、妻を喪った日から一歩も動けず、絶望の中に佇んでいるのだ。あれから十二年経った今でも。

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