第24話

 妻と――リデルと初めて出会ったのは、それから数ヶ月後の事だった。

 通常、貴族の子息が社交界へデビューをするのは、十七歳と決まっている。だが、それ以前に騎士の位を叙任された者はその限りではない。

 国王より叙任宣言を受け、誓いの言葉を述べた上で、新たな剣を賜る。王家によって正式に騎士として認められた証の、特別な剣だ。


 常に誠実に、常に謙虚に、常に勇ましく。品位を損なうことなく己の心に誇りを抱き、民の盾、王の剣となれ。

 誓いを立て正騎士となった人物は、その瞬間から立派な成人と見なされ、社交界デビューを果たした者と同等の扱いを受けられるようになる。


 オスカーは七歳からアッシェン騎士団で乗馬や剣術など武芸修行に励み、九歳からの二年間を、宮廷で見習い騎士として過ごした。そこから更に二年の従士期間を経て、アッシェンへ帰郷。

 準騎士として父を助け、十六歳となった年の建国記念日に宮廷へ召し出され、正式に叙勲を受けた。


 アッシェン領は国防の要というだけあってかなり特殊な立ち位置として扱われ、王都以外に騎士団を構えることを許された、数少ない領地の内のひとつであった。

 そういった国防上重要な土地に置かれた騎士団は、いわゆる自警団や私兵などといった、領主自らが組織した警備団体とはまったくの別物である。わかりやすく言うなら、王都にある騎士団の支部といったところだろう。

 国王は領地防衛のため騎士を派遣し、現場の指揮を領主に任せる。アッシェンは国境が近い分、異民族やならず者とのいざこざも多く、そのため騎士団に所属するのは自然と手練れが多くなる。


 そんなアッシェンの次期領主として鍛えられたオスカーは、叙勲を受けるのが同期たちより半年早かった。

 母のことを知らなければ、そのことを心から誇らしく思ったかもしれない。

 幼い頃から神童と呼ばれ、後に天才と讃えられ、通常より早く正式な騎士となった自分が、誰よりも強く特別な人間だと思えただろう。

 元々オスカーは、国にとって重要な地を受け継ぐ自分という存在に、少々自惚れていたところがあった。

 黒い騎士服から赤銅の飾緒を外し、銀のそれに付け替える日を心待ちにしていた時期もあった。


 しかし、自分が生まれてきたことで実の母が犠牲を強いられていた事実を知った今、どうして自身の出世を喜べようか。

 更に、この頃になれば、オスカーは周囲から悪意を向けられることも多くなっていた。

 ただでさえ普通の貴族とは少し違う、特殊な家柄に生まれたのだ。その上、同期を差し置いて真っ先に正騎士となった彼を妬む者は少なくない。


 ――聞いたか。アーリング家の若造は、当主の正妻ではなく農民女の産んだ子らしい。国王陛下の覚えめでたく大きな顔をしていたが、所詮は劣り腹の私生児か。

 ――アッシェン伯も、よもや本気で隠し通せると思っていたのだろうか。さすが、大した歴史も財も持たぬ穢らわしい新興貴族よ。青い血を持つ高貴な我々とは、益々相容れぬわ。


 どこかから漏れた噂は瞬く間に広まり、オスカーを攻撃するための格好の材料として使われた。

 建国以前からシルフィリア家に仕えていた古き血統の貴族はもちろん、見習いや従士の時期に交流があった者たちですら、オスカーに聞こえるよう陰口を叩く始末であった。


 穢らわしいと厭われ、忌避されたとしても、それが根も歯もない妄言であったならオスカーも堪える事ができただろう。いや、たとえ彼らの言っていることが事実であっても、それだけならばさほど気に病むこともなかったに違いない。

 だがその時のオスカーは、自身の出生の秘密や、母の身に起こった数々の悲劇を知ったばかりだった。

 母への罪悪感や、父への憎悪。何も知らなかった自分自身への嫌悪。それらによって脆くなった心は、悪意を受け流すほどの余裕を保てなかった。


 母のように慕い、後に本当の母だと知った女性ナーシーから産まれた自分を「劣り腹の子」だとは思わない。私生児だということも、穢れた血と呼ばれることも何とも思わない。愛する母の血が流れていることを、恥じる必要などどこにあるだろうか。

 どんなに自分に言い聞かせても、周囲はそうは思わない。その事実は、年若いオスカーを酷く痛めつけた。


 いくら天才と呼ばれようと、オスカーは聖者ではない。十六歳という年齢で全てを抱え込み達観することなど不可能だ。

 罪から逃れることも、責務を投げ出すこともできず、オスカーは暗澹たる思いのまま、正騎士として最初の任務に臨んだ。

 国王の第一子、王女プリンシアイヴリンの婚礼における一連の行事に、警護として携わる仕事だ。


 イヴリン王女は臣籍降嫁を選ばず、王族の血を引く侯爵を婿に迎え入れることを決めた。そのため、国家における重要な式典を行う際にのみ使用される、アルデマリス大聖堂で婚儀を挙げたのである。

 大聖堂そのものは要塞のように堅牢な造りになっており、関係者以外の立ち入りは禁止されている。

 しかしその後、王女の婚礼を民へ広くお披露目するための祝賀パレードが行われるのだ。パレードは誰でも観覧することができ、そんな中で王族に危害を加えようとする者が現れないとも限らない。

 近衛隊と騎兵隊が馬車の周辺を固め、更に大勢の騎士たちが周囲に目を配る。まだ騎士になりたてのオスカーが重要な場所に配置されることはなかったが、その時ばかりは雑念を払い、王族を守る任務を全うした。


 その後、宮廷で開かれたイヴリン王女の結婚を祝う宴において、オスカーは運命の出会いを果たした。

 あれは、宴開始からさほど時間の経っていない、そろそろダンスが始まろうとしていた時だった。

 引き続き会場警備の任に当たっていたオスカーは、一部の招待客たちがどよめいているのを聞き、不意にそちらへ目をやった。


 宴で盛り上がっているのとはまた違う、何か別の、あまりよくない気配を感じたからだ。

 案の定、十数名の招待客たちが眉を顰め、不快そうな顔をしているのが見えた。誰か、とんでもない粗相でもやらかしたのだろうか、と。オスカーも最初はそう思った。

 社交の場で酔って醜態を晒したり、痴情のもつれで周囲に迷惑をかけた人間の話は、枚挙に暇がないからだ。


 しかしそれにしては、どうも様子がおかしかった。普通そんな事が繰り広げられれば、人々は表面上は困惑した様子を見せながらもその実、よい噂の種が出来たと喜ぶものだからだ。

 暇を持て余した特権階級の人間は噂話が大好きだ。それが刺激的であればあるほどよいというのだから、悪趣味な話である。

 しかし今、ざわついている貴族たちの顔に浮かんでいるのは、好奇心というより嫌悪とも言うべき負の感情だ。

 よくよく目を凝らして見れば、人々が遠巻きに視線を送るその先には、ひとりの少女の姿があった。


 床に蹲り、俯いているせいで顔は見えず、どこの誰ともわからない。しかし、月を紡いで絹糸にしたような銀色の髪や、紫色のドレスから覗く白い首筋がとても印象的だった。

 蹲った拍子に落としでもしたか、側には小さな花束が転がっており、せっかくの白薔薇の花びらがバラバラに散っていた。

 口元を押さえ明らかに具合が悪そうにしているのに、周囲の人間は彼女を助けようとするどころか、ひそひそと陰口を囁き合っている。

 老いも若きも、男も女も、皆一様に。


「何だあれは、このような祝いの席で見苦しい。場をわきまえられない愚か者が」

「しっ! 声が大きいわ。あの方は第四王女のリデル殿下よ」

「ああ、あれが〝はずれ姫〟の……。離宮に引っ込んでいればいいものを、また姉王女の顔に泥を塗ったのか」

「仮にも王家の姫君が、十四歳にもなってあのような有様とは……。嘆かわしい」


 広間の端で起こったできごとであるが故に、主賓席にいる国王夫妻やイヴリン王女たちには気付かれまいと思ったのだろう。其処此処そこここから、悪意のある声が聞こえた。

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