もう一つの対処法

 もう逃げてる時間なんて無い。こんなことをしても無駄だってわかっていたけど、私は頭から布団をかぶって、ぶるぶると震えた。

 怖い、怖い、怖い! だけど足音は確実に、こっちに近づいてきている。


 ミシッ

 

 そこにいるの人間なのか、それとも全く別の何かなのか、それすら分からない。


 ミシッ


 どうしてこんな事になっちゃったの? ブログや浜田先生が教えてくれた対処法なんて、意味が無かった。あんなに何度も続けられたら、途中でネタ切れになるに決まってる。


 ミシッ


 家に入ってきたらどうすればいいかなんて、どこにも書かれてはいなかった。対処法がないってことは、もうどうすることもできないの? いや、ちょっと待って……


 ミシッ


 家に入って来た時どうすればいいか、聞いたことがある気がする。

 足音が近づいてくる中、私は必死になって頭を動かした。


 そう、あれはたしか、保育園に通っていた時のこと。『あぶくたった』のお化けが来た時の対処法を、浜田先生から教えてもらったけど。それで万事解決のはずだったのに。それからしばらく経って、私はまた、怖いって言い出したんだ。

 と言うのも、もし皆が寝ている時、鬼やオバケがやって来て、怖くない音を言うことができなかったら、それらが家の中に入って来るんじゃないかって、不安になってしまったのだ。

 せっかく対処法を教えてもらったのに、深く考えすぎてまた怖くなっちゃって。どうやら私の怖がりは筋金入りだったらしい。


 だからある日、浜田先生に、どうすれば良いか聞いたのだ。怖くない音を言えば、オバケは家の中に入ってこれないって教えてくれた浜田先生なら、何か知っているんじゃないかって思って。

 浜田先生は最初何の話をしているか分からなかったみたいで、キョトンとした顔をしていたけど、やがて察してくれて、苦笑いを浮かべてきた。


『変な事教えちゃったかなあ。けど、大丈夫だから。もしもオバケが家の中に入ってきたとしても、その時は『ご飯は冷蔵庫にある』とでも言っておけば、オバケはそっちに行っちゃうから』

『それだけで良いの?』

『歌詞をよく思い出してみて。この歌は、ご飯を食べる歌でしょ。きっとオバケは、美味しいご飯の匂いに誘われてきたのよ。だからご飯がどこにあるかを教えて、分けてあげれば、オバケは帰ってくれるから』

『本当? ありがとう先生』


 たしかに浜田先生は、あの時こんな事を言っていた。ただ気になるのは、これを信用してもいいかどうかという事。だって浜田先生がオカルトに詳しいだなんて素振り、あの時以外は全く無かったんだもの。

 怖がってばかりの私を安心させるため言った、デマカセのような気がしてならない。ご飯のある場所を言ったところで、やって来た何かは帰ってくれるだろうか? むしろ声を出すことで居場所がバレて、余計危なくなっちゃうかも……


 ドンドンドン!


「ひっ!」


 小さな悲鳴を上げて、呑み込んだ。部屋の前までやってきた何かが、ドアを叩いてきたのだ。それは玄関のドアを叩いていた時よりも、はるかに強く。


 ドンドンドン!


 ど、どうしよう? このままじゃ、中に入ってきちゃう。


 ドンドンドン!


 止めて! ドアが壊れちゃう!

 もう逃げ場なんて無くて、あの何かがドアを破って入ってくるのも時間の問題だろう。だったら……だったら!


「ご、ご飯は冷蔵庫にある!」


 声が震えるのを何とかこらえながら、私はありったけの力を込めて叫んだ。

 これで私が部屋の中にいるのは、完全にバレてしまったはず。もしこれでも、アイツがドアを叩くのを止めなかったら、その時はもうおしまいだ。頭から布団をかぶって震えながら、耳だけは澄ませる。すると……


 ドン!ドン……トン…………


 ドアを叩く音が止んだ。途端に辺りは静まり返って、静寂が訪れる。助……かった?

 もしかしたらまた戻って来るかもしれないと警戒していたけど、何も反応は無くて。私は布団をかぶったまま、眠る事も出来ずにじっとしていた。


 そして、どれくらいそうしていただろう?

 もういない、もう安心なはず。ようやくそう思い始めたその時。


 ドンドンドン!


「ひぃっ⁉」


 もう一度、ドアが強く叩かれた。あれからだいぶ時間が経ったはずなのに、どうして⁉

 だけど考えることができたのはそれまで。次の瞬間には、バンという大きな音とともに、勢い良くドアが開かれて。


「亜子、いるの⁉」

「お、お母さん?」


 入ってきたのはオバケじゃなくて、見慣れたお母さんの姿。その顔を見て、その声を聞いて、今まで張り詰めていた糸が切れたように、自然と目から涙が溢れてきた。

 お母さんはそんな私を、グッと抱きしめる。


「心配したのよ。帰ったら、部屋の中があんなになっていたんだもの。いったい何があったの?」


 あんなになってたって、何?

 私はお母さんといっしょに部屋を出て、一階に下りてみたけど、それは酷い有様だった。リビングに入ったらテーブルはひっくり返されて、カーペットは捲りあがっていて、大変な荒れ用。

 お母さんは泥棒か強盗でも入ったと思ったみたいで、慌てて警察に電話をかけ始めたけど、そんな中私はそっと冷蔵庫を開けて、中を見てみた。


「……やっぱり無くなってる」


 夕飯に作って残したはずの、ブリの煮付け。それがきれいに無くなっていたのだ。きっとやって来た何かが、ご飯は冷蔵庫にあると言う私の言葉を聞いて、食べていったのだろう。だけどもしあの時、浜田先生の言っていた事を思い出さなかったら、食べられていたのはもしかしたら……


 荒らされた部屋を見て、改めて恐怖を感じた私は、へなへなとその場に座り込んだ。

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