第二・五話
頭目が問い返すと、アルーンはすぐに答えた。
「私の見立てでは、“回転の法”は前文明が遺した古代遺産。今を生きる人々が使っている技術の多くは、前文明が生み出した“オーバーテクノロジー”の恩恵にすぎないの。たとえば宮殿でさえ、その技術の末端機能の7割を使うのがやっと。……でも私は違う。私は、この遺産を自分の手で制御し、完全に使いこなすつもりよ」
アルーンは話を締めるように、アバスのお腹を再び軽く押した。
すると、停止していた人形がふっと息を吹き返し、まるで嬉しそうに踊るような動きを見せる。そのままアルーンの服の隙間にするりと飛び込み、スカートの裾をくすぐるようにして隠れてしまった。まるで、迷子の子犬が主人の足元に隠れるかのようだった。
「この自動人形は、どこか故障しているのか?」
頭目が少し訝しげに問いかける。
「アバスは正常よ。ちょっと臆病すぎるだけ。でも、そこがとっても可愛いの」
微笑むアルーンの顔に、嘘はなかった。
頭目の目が細くなる。その眼差しは、相手の奥の奥まで見透かすようだった。
「この船の乗組員の命に釣り合う報酬なんて、この世に存在するのか?」
その問いに、アルーンは真っ直ぐな目で答える。
「あるわ。……もし私の目的が成功したら、その後はこの船で、あなたが納得するまで雑用でも何でもして働く。報酬は私自身よ」
「ほう……」
頭目が少しだけ口元を緩め、副長の方を向いた。
「カタラ。お前の意見は?」
「そうだなぁ……」
副長カタラは腕を組み、やや悩ましげな表情を浮かべながらも言葉を続けた。
「嬢ちゃんのその細っこい腕じゃ、うちの船員としては使い物にはならねえな。まぁ、正直厳しいだろ。ただ──知識量だけで言えば、そこらの図書館より価値ある拾い物かもしれん。……とはいえ、白色人種ってだけで、厄介ごとが九割増しだ。世界中で恨みを買ってる連中だ。単独で見つかれば、無事では済まねぇぞ」
隣で腕を組んでいたキジクも、静かに反対の意思を示す。
「頭目。私も反対です。艦内だけに行動を制限されるようでは、船員として使えません。それに、うちの船には──白色人種に故郷を滅ぼされた者もいます」
その言葉を聞いた頭目は、しばし考えたあと、短く問いかけた。
「キジク。うちの船で、一番白色を憎んでるのは誰だ?」
「イアクです」
「連れてこい」
頭目が短く命じると、キジクはすぐにうなずいた。
「わかりました」
そして、アルーンの方へ向き直ると、頭目は静かに続けた。
「お前自身が報酬というのは──いったん保留にさせてもらおう」
「……?」
アルーンが首をかしげる間もなく、頭目は語る。
「イアクは戦災で孤児になった子だ。俺が拾い、この船が育てた。今回、人員として出してやる。あとは──お前の言葉とやり方で、あいつを説得してみせろ」
その提案に、アルーンは軽く肩をすくめ、微笑みながら応じた。
「一度きりのチャンスってことよね? ふふ……一回だけの猶予をありがとう」
ほどなくして、ブリッジの扉が開く。
「頭目、入ります」
姿を見せたのは、先ほどまでベッドを間借りしていた青年──イアクだった。
ほどなくして、ブリッジの扉が開く。
「頭目、入ります」
「ひさしぶりね」
アルーンが笑顔で軽く手を上げる。
「ふざけんな。ベッドに寝てた奴がなに飄々と立ってやがる」
アルーンの姿を見つけた瞬間、彼の顔が一気に曇る。苦虫を噛み潰したような表情で、険しく目を細める。その視線を受けながら、アルーンはにこやかに手を振ってみせた。だが返ってきたのは、中指を突き立てるという、あからさまな拒絶のサインだった。
「敵中のど真ん中で……てめぇ、一体どういう神経してやがんだ?」
その声には、怒りと、そして困惑が混ざっていた。アルーンがイアクに事の顛末を説明すると、頭目からの意見に思いのほかすんなりと納得してしまう。どうやら言いたいこともやりたいこともあるらしい。要は白色人種に対してうっぷんを晴らしたいだけなのだ。
「のってやるよ、てめぇの説得ってやつに。だが、ルール設定はこっちが決めるからな」
「いいわよ~」
アルーンは軽やかに笑い、手のひらをひらひらと揺らしながら言う。
「知恵比べでも、力比べでも、なんでも受けて立つわ。賭けの内容も、ルールも、ハンデも全部──イアク、あなたに任せる」
その馴れ馴れしさに、イアクは顔をしかめて怒鳴る。
「名前で呼ぶんじゃねぇよ。舐めやがって……ハンデなんざクソくらえだ。堂々と、真っ向から叩き潰してやる!」
「まあ、すごいわね」
アルーンは感心したように目を丸くし、にこりと笑った。
「私にハンデを求めないなんて……その度胸、まさに千金の価値があるわ」
イアクは無言のまま、腰に下げていた二本のナイフをすばやく抜き取ると、そのうち一本を勢いよくアルーンに向かって投げた。
ナイフは緩やかな弧を描き、アルーンの目の前でまるで重力を失ったかのようにふわりと浮かぶ。
だが、それはアルーンの力によるものだった。
彼女は見えない力でナイフの動きを制御し、宙で縦に回転させながら、刃先に反射する光を眺める。
その回転の線の鋭さから、刃の質とバランスを精緻に見定めていた。
「緻密な細工のない、くせのないナイフね。手入れがしっかりされてる……とても綺麗だわ」
アルーンはうっとりとした表情で、空中に浮かんだナイフを優しく手に取った。
刃の線に沿って、指先で軽く撫でるように一なぞり。その目は危うい光を宿し、どこか妖艶な輝きを帯びていた。
イアクはその様子に眉をひそめ、見るからに嫌そうな顔をした。今にも「返せ」と怒鳴りたげだったが、ぐっと堪えて口を噤む。
「気持ち悪ぃことしてんじゃねぇよ」
「ふふっ、素直に褒めたのよ。最高の職人は、道具を誰よりも大事にすると聞いてるわ。私は華美に飾られた流麗な刃より、こういう愚直で真っすぐな質感が好き」
アルーンがナイフを構えたのを見て、イアクが短く言い放つ。
「ルールは単純だ。互いの体に、先に一つ切れ目を入れた方が勝ち。それだけだ」
「おうよ──疫病神なんざ、こっちにはいらねぇ」
イアクは地を蹴るように踏み出しながら言い放つ。
「俺が勝ったら、このスザティーガ号からお前を蹴り落としてやる」
「スザティーガ号……ふふっ、いい名前ね。力強くて、ちょっと誇り高い感じ」
アルーンは楽しそうに口元を緩めると、改めて問いかけた。
「それで私は、どこまで“力”を使っていいのかしら?」
「全力に決まってんだろ」
イアクは忌々しげに吐き捨てる。
「負けたときに言い訳なんてさせねえ。――キジク、合図をくれ」
彼の瞳には、もう躊躇も迷いもなかった。
「イアク、ハンデつけときな。アンタじゃ勝てないよ」
キジクの忠告に、イアクはすぐさま噛みつく。
「うっせぇ! いいから合図を出せ!」
呆れ顔のキジクが肩をすくていく。頭に血が上りきっているのだろう、最早なにも言う気がおきない。
「コイントスでいいわね?」
取り出された貨幣が指から弾かれて宙を舞う。何秒間がスローモーションのように感じられ、落下音と共に火ぶたが切られた。
瞬間――、アルーンの言葉が空気を切るように響く。
「……どうしたの? 遅いわよ?」
数メートル先にいたはずのアルーンがイアクの目の前にいた。
「なにっ⁉」
訳も分からず、勢いよくナイフを振るう。
「んふふ、外れ」
あっさり過ぎるほど綺麗に避けられてしまう。
「ふざけんな!」
「はい、また外れ〜。ほら、今度外れよ。もっと正確に狙わなきゃダメ」
面白くないほど、ナイフの先さへも全く当たらない。イアクの額に汗がにじみ始める。焦りと苛立ちが声に出る。
「俺の……俺の五感を弄りやがったな⁉」
「——正解よ」
アルーンは愉快そうに微笑みながら続けた。白色人種の能力に相手の体をいじれる者が実際にいると聞いたことがある。錯覚させられてたことに今更ながら気づく。
こいつ、こんなこともできやがるのか!? と、イアクは内心驚愕した。
「さて、次はどう動くのかしら?」
アルーンが試すように笑みを浮かべる。
「クソが……だとしても、なんで息切れしねぇんだ! 白色だって能力には限界があるはずだろ!」
「それはね──私が“王族”の血を引いてるからよ」
アルーンは一歩前へ出ながら告げる。
「王族の王族たる所以……それは、どの白色人種よりも純潔たる血の濃さを持つこと。私は王の四人目の妃の子。本来は一〇番目、末席にも等しい地位だったわ。でも皮肉なことに、血の濃さは誰よりも王に近かった。だから私の力も、誰よりも強大なの」
イアクは次の行動に出ようと神経を尖らす。同時、キジクの体が突如として急停止する。強引に動きを止められた反動で、筋肉に小さな軋みと痛みが走る。
イアクの眼前には、真っ白な片手が突き出されていた。アルーンが放った見えない力に、彼の動きは封じられていた。
「私の目をかいくぐれない限り──イアク、あなたはナイフを私に突きつけることすらできない。勝利の寸前で凍りついたままよ」
アルーンはひらりと背を向け、数歩ゆっくりと歩く。そして振り返り、最後に静かに言い放った。
「勝ちを掴みたいなら、まずは“煙のごとく消える”ことね」
「せあっ!」
鋭い掛け声とともに、イアクの右腕がしなる。手から放たれたナイフが、真っすぐな軌道でアルーンへ向かって突き進む。
狙いは完全に急所を外し、視界を奪うために投げられたもの。次の一手は──視線を逸らさせた一瞬の隙を突き、掌底で顎を打ち抜く。そして気絶した彼女に一太刀浴びせて勝利を掴む。完璧な戦術だった。
だが──その読みは、まるごと打ち砕かれた。
キィンッ!
金属同士が高く響く、甲高い音がブリッジに鳴り響いた。
アルーンが、まったく同じようにナイフを投げていた。彼女の放った刃は、宙を飛ぶイアクのナイフを寸分違わず弾き返す。
「……がっ⁉」
イアクの表情が一瞬で引きつる。
「惜しいわね。もうちょっとで当たってたのに」
アルーンは平然と立ったまま、涼しい顔で微笑んだ。
再びイアクの身体が、何かに絡め取られるように硬直する。四肢は意識に反して止められ、動けない。
アルーンはその隙に、腰の後ろへ手を伸ばした。
カチャリ、と小さな金属音が鳴る。彼女が抜き取ったのは、自前の一本──細工が美しく施された、鋭さの際立つナイフだった。
そもそも「用意されたナイフ以外を使ってはいけない」というルールは存在していない。ならばこれは、明確な反則でもない。
その刃が静かにイアクの腕に触れる。押しも引きもしない。けれど、それだけでスッと一筋、切れ目が入る。
その切れ味は、イアクが使っていたナイフとは比較にならないほどだった。
そして、地面に落ちていた二本のナイフがふわりと浮かび上がる。まるで幽鬼のように、アルーンの周囲を旋回し始めた。
力の差は、あまりにも明白だった。
「はい、私の勝ち。反論はある?」
アルーンの言葉に、イアクは歯を食いしばりながら、悔しそうに吐き捨てた。
「……ちっ、認めねえけど……負けだ、クソ!」
突然、なんの前触れもなく──船内に耳障りな高音が響き渡った。
警報音だ。長く甲高いその音は途切れることなく続き、ブリッジ全体を鋭く引き締めていく。空気が一変し、周囲の船員たちは即座に持ち場へ動き出した。
張り詰めた空気の中、頭目がぽつりと一言だけ呟いた。
「……来たか」
その言葉に、アルーンはくすりと笑って答える。
「あら、追っ手が来るには少し早すぎるわね」
「ふむ。お迎えが来たようにも見えるが?」
「違うわ」
アルーンは軽く肩をすくめる。
「ただのお人好しの、お節介な連中なのよ」
その声には、余裕すら滲んでいた。
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