第三話 空中戦
スザティーガ号の船内が慌ただしくなり、鯨型と呼ばれる飛行船は、ざわめいたようにして魚を模した特有の尾を上下に振りながら航行速度を増し始めた。まるで「さあ行け」と背中を押すように、尾が空に浮かぶ雲をたたき、低く響く唸りをあげる。熟練の搭乗員たちは、その振動と音の調子で、鯨型の“気分”を読み取っていた。気分屋だが、大所帯を率いる誇り高き母体──それがこの鯨型だった。
後部ハッチで格納されている小型艇に、用意が終わった搭乗員から次々と飛び乗っていく。細長く魚の形を模した流線形の飛空艇で、胴回りに比べて胸びれが翼のように大きい。トビウオ型と呼ばれるこの機体は、空を飛ぶように滑空し、海を泳ぐように逃げることが得意なタイプ。だが、その敏感さゆえに、搭乗者の不安や動揺にすら反応するという。信頼できる“相方”になるには、時間も根気も必要だった。
イアクが同じように飛び乗ると、後ろから声をかけられる。勝手についてきたアルーンが好奇心の塊を丸出しにして、せがむように要求してきた。
「イアク、私も乗せなさい」
「ふざけんな、これは一人乗りだ。お前は船で大人しくしてろよ!」
「違うわね。私の知識が正しければ、確かに二人乗りだったはずよ。トビウオ型でしょ、これ」
「くそ、なんでわかんだよ!?」
乗り込んだ小型艇の種類を言い当てられ、イアクがアルーンの知識の広さに唸る。「この頭でっかちが」と悪態をつくも、アルーンは満更でもなさそうに喜ぶ。
「丸みがあって可愛いわね、この機体の形。私、好きよ」
「ああそうかい、それはよかったな。だからどうした、お前と同乗して死ぬのはごめんだ」
「わかってないわね。騎乗させたら私を盾にできるじゃない」
こいつ、正気じゃない──と、イアクはアルーンの思考回路がまったくわからない。
「イアク、早くしろ」と他のところから声が飛ぶ。言い争っている時間がもったいなく感じ、イアクは諦めるようにして怒りをぶつけた。
「文句を言うなよ!?」
「大丈夫よ、私は守り神だから」
「お前ら白色人種は、揃って全員死神だろうがよ!」
二人してトビウオ型の座席に乗り込む。前に乗ろうとして制止されたアルーンは、少し不満そうに後部座席に回り込む。彼女の膝が、無言の抗議のようにイアクの背に軽く触れる。
アルーンの前方から声が飛んでくる。
「安全帯だ。トビウオから振り落とされたくなきゃ、腰に括り付けとけ」
「あら優しい、心配してくれるの?」
「アホぬかせ。賭け事で勝ち逃げされたまま、死なれてたまるか」
イアクが吐き捨てるように言う。トビウオ型の機体が、軽く尾を振る。まるで笑っているようにも見える。
「そういえば、イアク」
「なんだよ」
「あなた、この船で何番目に操舵が上手なのかしら?」
「ハッ、一番に決まってんだろ。なめんな」
「起動すんぞ、邪魔すんなよ。識別コード、イアク=サイア」
トビウオ型の目が灯り、そこを中心にしてラインに同じ緑の光が走る。呼応するように、各所の人工石が緑色に光り出す。機体が小さく震え、喉を鳴らすように吸気音を立てる。
宙に浮いた操舵用の二つの輪。内側が緑に光を発しており、イアクは両手をそこへ突っ込む。呼吸が深くなる。口部分から吸気した空気が熱を持って、エラ部分から吐き出されていく。虹の粒子を散らしながら、重力から解き放たれたトビウオ型が、ゆっくりと宙へ浮かび上がった。長い胴体をくねらせながら、まるで主の命令を待つ忠犬のように静かにたたずむ。
「お利口さんね。しつけるのに手間だったでしょ?」
「しつけなんてしねえよ、これは俺の相方だ」
通常、人工石のはまっている乗り物は個体ごとに動物のような個性を持っている。それは人工石自体が個性を持っているからだ。内部に組み込まれている特殊なAIは、各々が独自の判断をしていた。しゃべることはないが、動物のように習性を持っている。
鯨型は威厳を重んじ、乱雑な操縦を嫌う。たとえ主であっても乱暴に扱えば警告音も無視して微動だにしなくなる。
シャチ型は選り好みが激しく、命令よりも自身の判断を優先する個体すらいる。サメ型は単純な命令に従順だが、暴走癖があり、制御を誤れば自爆同然の突進すらしかねない。
トビウオ型は気まぐれで神経質。だが、ひとたび気を許せば命令を先回りして動くほど、忠誠心の強い個体もある。イアクのこの一体も、最初は彼を弾き出そうとしたことがあった──今では考えられないほど、しっくり来ている。
「出るぞ」
イアクが一言だけ呟く。人工石の心音がひとつ、重たく脈打った。
開いたハッチから、次々と小型艇が飛び出していく。宙を滑るように編隊を組み、その動きはまるで大群の魚のようにしなやかだった。
空賊搭乗員の練度は高い。数秒もしないうちに、気候変態──フォーメーション──を組みきっていた。誰もが互いの癖を知り、乗り物の個性までも理解して動いている。そこには命を預け合う者たちだけに許された、無言の信頼があった。
トビウオ型の尾びれが一度、ビリビリと揺れる。周囲の機体よりも早く飛び出すことを、我慢している合図だった。イアクが操縦輪に力を込める。
「まだだ、今行く……」
アルーンがその様子を見て小さく笑う。けれど、トビウオ型の興奮と緊張が座席越しに伝わるのか、彼女の表情にも、わずかな緊張が浮かんだ。
遠く、雲間から現れる一団。粒子を尾に引きながら、一直線にこちらへと向かってくる。
「来るぞ。頭目の読み通り、サメ型だ」
イアクの声に、トビウオ型が小さく唸った。獲物を前に、刃のような集中をまとい始める。
接近してきたサメ型と交戦になる。文字通りサメを模した機体で、トビウオ型の二回りは大きい。ずんぐりとした胴体に比べ、鋭く伸びたヒレは戦闘特化型の証だ。突進してくる姿は、まさに空を泳ぐ肉食獣。
サメ型のヒレが赤く発光しだす。レーザーブレードだ。両側のヒレに搭載されたエネルギー刃が、ぶうんと空気を焼く音を立てる。食らえば、ひとたまりもなく一刀両断されてしまう。
対してトビウオ型には、そんな武装はない。あるのは──瞬発的な加速力と、イアクの操縦技術だ。
「なあ白野郎」
「アルーンよ」
「サメ型の落とし方を知ってるか、しかも白色人種付きのだ」
「興味あるわね」
「同族殺しも厭わないのかよ。搭乗員だけを、機体から切り離すんだよ」
トビウオ型が低く唸るように振動する。機体がわずかに身構え、次の瞬間、重力を無視したかのような動きで一気に前へ飛び出す。体感速度にして、サメ型の三倍。空を裂くように駆けるその姿に、アルーンがわずかに息を呑んだ。
サメ型が反応。左舷のレーザーブレードを振るい、真横から斬り込む──が、その軌道をあらかじめ読んでいたイアクは、ぎりぎりでトビウオ型を下方へ滑らせてかわす。
かすめた熱風が機体の外皮を焼く。だが怯まない。トビウオ型はそのままくるりと一回転し、背後からサメ型へと接近する。
「行くぞ……っ!」
空と地上が反転する。機体が180度回転した証拠だ。イアクがリングから片腕を外すと、上半身を前に突き出し、外装から突き出たコックピットに手を伸ばす。
白色人種の搭乗員は、こちらの動きに気づいていない。あるいは、加速に対応できず判断が遅れたのかもしれない。
「──落ちろ!」
イアクの手が搭乗員の服を掴む。勢いのままに引き剥がすように引き抜き、次の瞬間、振り払うように放り投げた。遠心力に引かれ、搭乗員の体が弾き出される。
超能力を使う隙もなく、白色人種の兵士は真下へと落ちていった。サメ型の機体だけが、その場に取り残され、意思を失ったかのように旋回を続ける。
一機、排除。
トビウオ型が揺れる。その振動にイアクが両腕を戻して制御を取り戻す。
「まだ一機だ。気を抜くなよ」
まるでそれに答えるように、トビウオ型が尾を揺らす。戦いはまだ終わっていない。
そのとき、左右から挟み込むようにして二機のサメ型が突進してくる。上下の動きではなく、完全な挟撃──イアクの腕とトビウオ型の反応が試される場面だ。
「くそっ、二方向同時かよ!」
操縦輪を両腕で握り締め、ぐっと息を詰める。タイミングを見計らい、機体を一気に上昇させる──直後、上下からクロスするレーザーブレードの軌道が閃いた。ギリギリでかわした。尾の一部が焼け、火花が散る。
「やべっ……ギリギリすぎんだろ」
だが、恐れはない。トビウオ型は、イアクの感情を読み取っている。緊張よりも、集中。焦燥よりも、研ぎ澄まされた感覚。
だからこそ、機体は信じるように応えてくれる。
「包囲は突破……次は反撃だ」
トビウオ型が旋回し、左にいるサメ型へと反転する。逆方向からの一撃に反応できなかったサメ型が遅れ、姿勢を崩す。
そこへ滑り込むようにしてトビウオ型が接近。再びイアクの腕が伸び、搭乗員の肩を捕らえる──無言のまま、そのまま放り出す。
二機目、排除。
イアクは息を吐き、深く腰を落ち着けた。座席のわずかな振動が、トビウオ型の緊張を伝えてくる。アルーンが背後で静かに見守っていた。
「残るは一機……」
その一機は、動かなかった。遠巻きに浮かび、ただじっと様子を見ている。まるで、こちらの出方をうかがっているかのように。
そして──一歩、機体を滑らせた。
「来たな。……こいつ、今までのとは違う」
指揮官機だ。
残る一機──サメ型の指揮官機は、こちらの攻撃に対してすぐには動かない。距離を保ち、観察しているように、雲間の縁をなぞるような滑空を続けていた。
他のサメ型よりも一回り細身で、ヒレのエッジには微細な装飾のような金属粒子が刻まれている。ブレードの出力口も露出しておらず、全体が一種の“静寂”に包まれている印象だった。
「……さっきまでの奴らとは、わけが違うな」
イアクが唇を噛みながら呟く。搭乗員の腕前もさることながら、機体自体が洗練されすぎている。無駄がない。構えが静かすぎる。
トビウオ型の機体が、呼吸するように膨らんだり縮んだりを繰り返している。鼓動を整えているようにも、力をためているようにも見える。
「……動かねぇな。こっちの出方を待ってる」
「策士ってやつね」
アルーンがぼそりと呟く。
「アルーン、口出しすんな。そいつに見透かされる」
「……はいはい」
トビウオ型が尾を微かに揺らす。飛びたい、攻めたい、という気配。それをイアクが感じ取って、わずかに顎を引いた。
「行くか、相棒」
操縦輪を両手で握り込む。トビウオ型が空を蹴った。
目にも止まらぬ加速。体が後ろへ引っ張られる感覚に、アルーンが思わず背もたれを掴む。だがイアクの表情は一切ブレていない。神経が一本の糸になって、機体とつながっているかのようだった。
指揮官機が動く。ほんのわずか、ヒレが開き、同時に機体が滑るように横へ流れた。予測不能のスライド回避──反応が常軌を逸している。
「っち、やっぱ速ぇ!」
トビウオ型も旋回し、すぐに追う。けれど、指揮官機は角度を変えて直上へ急上昇。それを追いかけるトビウオ型の姿勢がわずかに崩れる。
指揮官機が反転して急降下。まるで追ってくるように見せて、今度は真下へ滑り込んだ。
機動の意図を読まれている──!
「なるほどな……こっちの癖まで見てやがるのか」
イアクは焦らない。数秒の無言の応酬。空中で互いに、次の読みを測り合う。
トビウオ型が自ら尾を動かした。ほんのわずかに右へ。
「……いい読みしてやがる。なら、こっちも付き合ってやるよ」
次の瞬間、イアクが操縦輪を斜めに押し出す。トビウオ型が反転し、一直線に指揮官機へ突進。
指揮官機、ヒレを展開。赤く発光するレーザーブレードが、空気を切り裂く。
ぶつかる──その瞬間、イアクが操縦輪を強くひねる!
トビウオ型が身を捩じらせ、敵の死角を回り込むように“跳ねた”。
「──今だ!」
機体同士の隙間を縫って、トビウオ型が急接近。
イアクが片手を操縦輪から外し、体を乗り出す。冷たい風が顔を打つ。指揮官機のコックピットに触れる距離。
そこに、目があった。
白色人種の搭乗員。仮面の奥で、わずかに驚いた表情。
その瞬間、イアクの手が胸ぐらを掴む。
「お前も──落ちろッ!」
勢いよく引き抜き、放り出す。指揮官機の制御を離れた白色人種が、スピンしながら空中に投げ出される。超能力を起動させる暇もない。
空中で、静かに一筋の虹の光が伸びた。
指揮官機の機体が、反応を止める。まるで命を失ったかのように、くるくると宙に漂い、やがて浮遊をやめた。
三機、すべて撃墜。
トビウオ型が、ゆっくりと弧を描いて旋回する。長い胴体を揺らしながら、戦闘の終わりを感じ取ったかのように、深く呼吸を吐き出すような動きを見せた。
「……終わったな」
イアクが操縦輪に手を戻し、ゆっくりと肩を下ろす。
「見事だったわ」
アルーンが後ろで小さく拍手した。
「あなたのトビウオ型、あなたにすっかり懐いてるみたいね」
「当たり前だ。こいつとはもう長い付き合いだからな」
イアクの指が機体の縁を撫でる。
そして、イアクは当然のように聞く。
「なあ。お前、落下した白野郎共には何も感情が浮かばないのか。この高度だ、落下したら地面でペンキをぶちまけたみたいに死ぬんだぞ?」
「ああ、それなら大丈夫よ安心していいわ、私がナイフを浮かせてたでしょ。あれと同じ原理よ、地面接触付近で自分の体を宙に浮かせるわよ」
ただ一言、私よりも力はないから、骨折は免れないでしょうねと付け加えられる。イアクは改めて自身たち多色人種とは違うのだと思い知らされた。
トビウオ型がひとつ、低く喉を鳴らすように振動した。
「行こうぜ、相棒。まだ終わっちゃいねぇ」
そのとき、遠くに違和感のある波が走った。
イアクが目を細める。
「……あれは」
遠く、ゆっくりと滑るように進む、漆黒の機影。
その姿に、トビウオ型が一瞬、怯えを見せた。
「来たな、三戦目……シャチ型か」
遠方からゆっくりと近づいてくる一機の影。空間を滑るその巨体は、まるで意思を持つ生き物のようだった。トビウオ型の倍以上の大きさ。艶のある黒い装甲が、虹の粒子を吸い込むように光を拒む。
シャチ型。
空戦用として設計された最強の突撃機。火器は一切なく、機首から発生させる半円状のエネルギーバリアで、敵機を正面から潰す。それがこの機体の唯一にして絶対の戦法だった。
イアクの眉間に皺が寄る。
「来たか……あれがいるだけで、他の機体じゃ太刀打ちできねぇ」
トビウオ型が、びくりと小さく震える。直感的に察しているのだ。あれは“獣”だと。勝てないものだと。
「アルーン、後ろに引っ込んでろ。これはマジで、手ェ出すと死ぬぞ」
「……いいえ。私が行くわ」
イアクが振り返る。
「は? なに言ってんだ、お前――」
「私がやる。あの機体を止められるのは、私しかいないの」
その言葉に、トビウオ型の緊張がさらに高まった。喉奥でうなるような空気の振動。イアクは操縦輪を握り直す。
シャチ型が真正面から加速を始めた。
「来る……!」
その瞬間、シャチ型の機首から、半透明の半円型のバリアが展開される。淡い青白い光が、空間を押しのけるように広がった。
それは“拒絶”の象徴だった。
正面からの攻撃をすべて無効化し、なおかつそのまま突進して敵を押し潰す。砲火ではなく、質量での殺し──これがシャチ型の戦法。
「くっそ、来るぞ……!」
イアクが操縦輪を強くひねる。トビウオ型がバリアの軌道を避けて上昇する。しかしシャチ型は進路を微調整しながら、どこまでもこちらを追う。まるで獲物に食らいつく捕食者だ。
「ダメだ、逃げ切れねぇ……!」
そのとき。
「イアク、止まりなさい」
アルーンの声が静かに響いた。
「バカか、お前……止まったら潰されるって言ってんだろうが!」
「いいから。止めて」
その声に、何かがこもっていた。イアクの手が、一瞬だけためらいを見せる。
その隙に──アルーンの瞳が、オレンジに染まった。
空間が震える。トビウオ型が警戒音を鳴らす。
「なんだ……!?」
アルーンが右手をゆっくりと前に伸ばす。その瞬間、シャチ型の動きが微かに鈍った。機体が突進の直前でぐらつく。
そして、背部。シャチ型の大きな尾の基部から、ゴギギギッ……と金属を折り潰すような音が響いた。
装甲が凹み始める。目に見えない力で押されている。巨大な圧が、空間ごと機体の後部を握り潰していた。
「や、やめろ……姫さま!?」
遠方から、通信もしていないのに声が響いた気がした。乗っている搭乗員は、アルーンの存在を認識していた。
「王族のたしなみよ」
アルーンの声が、風のように落ち着いていた。
シャチ型は進もうとする。だが、動けない。バリアは展開されたままだが、加速ができない。圧倒的な推進力を支える背部推進機が、完全に潰されていた。
機体が揺れる。まるで苦しんでいるように、何度も振動を起こす。
「……ごめんなさい。逃げなさい。まだ、間に合う」
アルーンが囁くように言った。その瞬間、シャチ型のバリアがふっと消える。
次の瞬間、上部ハッチが強制的に開き、搭乗員が脱出される。シャチ型は、失速。羽を失った大鳥のように、空中でふらつき、そして──静かに浮かんだまま、動かなくなった。
「……航行不能、か」
イアクが呆然と呟く。背中から冷たい汗がにじんでいた。
「お前……」
視線を向けると、アルーンはゆっくりとその手を下ろし、目を閉じたまま静かに微笑んでいた。
それは何も誇らず、ただ当然のことをしたという顔。
「今の……お前の力か」
「ええ、全力ではないけど。……でも、今はただ彼らのために黙しておくわ」
トビウオ型が、深く息を吐いたように、機体全体をふわりと揺らした。
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