それぞれの役務
風月学園におけるペストの発生と結びつく副次的な事件が起きた。
国立感染症研究所で爆発が起きたのだ。研究員や職員のほとんどが爆発やその後の火災に巻き込まれて、焼死体となり命を失った。
運よく一命を取り留めた者もいたが全身に重度の火傷を負っており、緊急搬送され数時間後には苦痛の中で亡くなった。
政府は今回の事件を深刻に受け止めており、研究所内部の者によるテロの可能性が高いことを公式の声明で発表した。
全国のニュースは研究所爆発の事件でもちきりとなり、風月学園のペスト発生事件から国民の関心は薄れていった。
ごく一部の専門家や知識人しか、爆破事件とペストの発生を関連づける意見を持たなかった。
国内でのワクチン製造は困難になり、ペストの被害は悪化の道を進んだ。
徹底的隔離により被害は学園内だけに留まっているが、最初のペストの死者が出てから二週間が経過し、生徒と職員含め死者数は200を超えた。
摂を筆頭とした救護隊の拠点である保健室で、摂は女子生徒の報告をカレンダーに書き記していた。
「昨日は二十六人か。減るどころか増える一方じゃないか」
カレンダーに26の数字を書き記して、言葉にならず呻いた。
「三日に十個の血清では、死者数の増加を抑えるのはままらならん。学園にいる人間は全滅してしまう」
「へえぇ、ぜ、全滅ですか……」
女性生徒は摂の言葉が嘘でないような気がして、全身を凍えるかのように震わせた。
摂はカレンダーから目を離して、女性生徒に微笑を向ける。
「そう怯えることはない。ペスト菌だっていつまでも勢力を保っているわけじゃない、いつかは減衰して脅威でなくなる」
「いつかって、いつですか?」
「遅くても冬になれば、ペスト菌は活動できなくなる」
「それまで待たないといけないんですか?」
今は八月の初旬だ。冬までは三か月ほど遠い。
現時点は後手後手だからな。厳しい質問だ、と心苦しく思いながら摂は答える。
「いろいろ策を検討中だ」
「そうですか、先生頑張ってください」
女性生徒は少しだけ安心した表情で言い、保健室を出て次の仕事に向かった。
自分以外いなくなった保健室で、摂はいつになく深く嘆息した。
大量のワクチンさえ手に入れば、状況を打開出来たかもしれないのだが。
国立感染症研究所を爆破した素性不明の賊への憤怒が、一人で考え事をするとふと湧き上がってくる。
「普通だったら今頃はインターハイだったのに、なんで男の死体を運ばなきゃならないんだ」
筋骨逞しい角刈りの男子バスケ部員が、担架代わりのマットの端を持って反対の端を持つ北里に不平を訴えた。
五月蠅いなと鬱陶しく思いながらも、北里は返事をしてやる。
「誰だってこんな事態を望んでないんだ。お前だけじゃない」
「俺らはインターハイだったんだ、他の部活の奴らと一緒にすんな。出場停止で試合にも出れずに三年は引退せざるを得なくなったんだ」
「嘆いたって現状は変わらねえよ」
「くそっ。なんだってこんなことに」
北里は同調してくれないとわかって、角刈り男子は誰にともなく毒づいた。
死者を載せたマットはグラウンドに入っていく。
グラウンドにはこれまでの死者を土葬した、所属クラスと名前を銘じた細長の板材を埋め込んだだけの簡素な墓が、死者の数だけ拵えられていた。
新しく掘られた土葬用の穴の周りで、数人の男子がスコップを杖のようにして立って喋っていた。
穴の周りの炭鉱夫のような男子達のところへ、死者を載せたマットは運ばれる。
「穴は掘り終えたか?」
北里が尋ねると、男子達の一人が頷いた。
「後は埋めるだけ」
「手際がいいな」
「何十回と掘っていれば慣れるよ」
早くしようと思ってしたわけではないニュアンスで言った。
北里と角刈りはマットを持ったまま、穴の横に立つ。穴掘りの男子達は死体運び二人と穴を挟んだ反対側の、掘った時に出た山盛りの土の傍に移動する。
四隅を持ったままマットを傾けると、穴に死体が落ちる。
穴掘りの男子達が山盛りの土からスコップで土を掬い、死体の上に被せていく。
汗を流しながら土を被せスコップで固め終えると、その場にいる全員が用具を地面に置き、目を閉じて合掌した。
「今どき、土葬の経験のある高校生は俺達だけだろうな」
北里がふと気がつき、おどけて言った。
「そうだね」
穴掘りの一人が、無理に合わせたような声で返す。
葬事に似た暗鬱な雰囲気が占め、皆心を痛めて顔を俯けている。
「いつまでこんな辛いことしなきゃいけないんだ」
角刈りが怒りをぶちまけるように言い放った。
それは誰の心にも共通してある、現状への恨み言だった。
療養室として使用されている二棟一階の一年一組の教室では、梅野と哲と他三名が患者の看病に当たっていた。
マットの上に横たわる男子の患者は高度の発熱で上半身は裸になり、各所に出来た膿疱が外見を醜悪にしていた。
元々は女子受けのする端麗な容姿をしていたのだが、今は見る影もない。
「具合は良くなったか」
梅野は男子の顔を覗き込み、形式的に尋ねる。
「良くなったように見えるか?」
高熱に喘ぎながら、男子は答える。
「見えないな。解熱剤はいるか?」
「なあ、梅野さん。俺は死ぬのか?」
「俺の口から言わせる気か?」
冷厳に尋ね返され、男子は口を噤む。
「辞世の句でもあるのか。あるなら聴くよ?」
「彼女との初体験を叶えたい。梅野さん、彼女と会わせてくれ」
「確かお前の彼女は二年三組の佐藤だな」
男子は苦し気に頷く。
梅野は首を横に振った。
「生憎できない頼みだ。お前の彼女も女子の療養室で危篤に臥してる」
「お願いだ」
「梅野さんの言うことを聞いた方が賢明だよ」
教室の隅で中年の国語教諭を看病していた哲が、哀願する男子に諭すように言った。
男子は哲を妬みを含んだ目で睨む。
「森下、お前はいいよな。血清やってもらったんだろ」
「そうだよ」
「姉ちゃんに可愛がられてるからな。一番に血清を打ってもらえて当然だよな、ズルいよな」
「ちがうよ」
富裕な家の出の者を皮肉る口調で焚きつけようとするが、哲は穏やかにかぶりを振った。
「僕は救護員に志願したから血清の投与を受けられたんだ。でも君は救護員に志願せず、快楽に走っていたでしょ。僕が血清を打ってもらえたのは、姉さんの贔屓じゃなくて救護員だからなんだ」
「いつも隅っこでウジウジしてたような奴が、生意気な口利くんじゃねーよ」
高熱で全身に汗を噴き出しながらも、威勢よく食って掛かった。
哲は哀れみの視線で斑点だらけの男子の顔を見据える。
「そうだね。ちょっと言い過ぎた。でも君は普段から僕や他の受動的な性格の人に対して、まるで農奴のようにこき使ったり、憂さ晴らしに玩具にしたり、酷い扱いしてたよね。時にはこういうやられる側の経験があってもいいんじゃないかな」
言い終わると、理知的な悪魔に似た笑みを唇に浮かべた。
森下哲の残忍性の顕現は、学園で起きたヒエラルキーの逆転をまさに象徴していた。
梅野は生徒間の軋轢に嘴を入れず傍観していた。
療養室は患者による膿んだ空気に満ちていた。
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