55小節目 ほんとうの解決に向けて

「……やっぱさ、夢佳ゆめかがいないと寂しいよね」


 幼馴染み、佐野さの心音ここねとの帰り道。いつも通りの光景には一人足りない。

 越阪部おさかべ夢佳。あんな事があった後、一日の空白のみで再び学校に来て、部活も参加したのはすごく嬉しかった。

 でも……病的な程に子煩悩である越阪部の母親は、僕らと一緒に越阪部を下校させることを良しとしなかった。その為、越阪部は親の送迎で学校に通うことになっている。


 そう、今の状況は……とりあえず越阪部が学校に通えることになったというだけであり、本当の解決には至っていない。僕と心音が越阪部と一緒に帰ることを認めて貰わなければ、そして越阪部と越阪部の母親がしっかり向き合ってお互いをしっかり再認識しなければ……本当の解決とは到底言えない。


 とにもかくにも、結局僕らがすべき行動というのは。


「お母さん、説得させなきゃいけないよな……」


 何をどう考えてもそうなってくる。僕らの話を全く聞かない、長い時間友達でいる心音ですら認知していない……あの、とんでもない母親を。


「でも……ウチらに何が出来るんだろう」


 しかし、越阪部の唯一無二の親友でもある心音は後ろ向きだった。こういう時こそ心音は前を向いて問題に立ち向かおうとするものだけれども。


「心音がこういうこと言うなんて珍しいな」

「だってウチ、一回完全にシャットアウトされちゃったから。自信だってなくなるよ……」

「あー、そっか」


 心音はこの前、僕の代わりに一人で越阪部の家に行き、越阪部母と話をした。しかし、越阪部母には越阪部を泣かせた僕の友人という認識をされてしまい、全く聞く耳を持ってくれなかったという。心音は小学校時代の授業参観等で越阪部母の顔を知っているにも関わらず、である。

 そりゃ、心折れるよなあ……。いくら心音でも。いや、夢佳の親友である心音だからこそ、夢佳の危機に何も出来なかったことに強くダメージを受けるんだろう。


「というか、悠斗なら尚更無理でしょ。夢佳を泣かせた当事者だから」

「……まあ、そうなんだけど」


 僕はともかく、夢佳にとっての親友で、話し合いとかにも強い心音の言葉さえも越阪部母は全く聞き入れなかったわけだ。

 となれば……普通の話し合いは多分、ダメなんだろう。もっと言葉じゃない、心に直接響いてくる何かをぶつける必要がある。薄オレンジ色の空を眺めながら、僕はそう思った。


 小さな公園に差し掛かる。ちょうどいいタイミングだった。


「……公園、寄ろう」

「え? 悠斗、頭どうしたの? まさか幼稚園児に退化しちゃった? 病院呼ぶよ?」

「ねえ酷くない!?」


 おい心音お前そんなに辛辣なキャラだったか!? あと病院自体は呼べないからな!?

 ……とまあ、どぎつい言葉を浴びせられながらも、僕と心音はすーっと誰もいない小さな公園に入っていく。あの時、越阪部と一緒に来た公園だ。


 そこには以前と同じように古びた無人のブランコが佇んでいる。固まったように動かない。僕は自然とそこに目が向いてしまう。


「……乗りたいの? 中学生なのに?」

「いや、そうじゃなくて……前にここで越阪部と話した事を思い出しちゃってさ」


 僕は心音にこの前越阪部とここで話した事を説明する。ブランコの話だ。止まっているようでも、少しだけ動いてる……っていう。


「ふーん……止まっているように見えても動いてる、か」


 すると心音はベンチにて、肌身離さずいつも持っているサックスのハードケースを開いて、手慣れた手つきで金ピカのアルトサックスを取り出した。西日が反射して眩しく見えた。


「吹くのか?」

「うん」


 そして心音は、たったったっ、と早足でブランコに向かい、そこに座った。キィ、とチェーンが軋む音が耳をくすぐる。


「乗るの? 中学生なのに?」

「あ、これ何か面白いかも」

「聞いちゃいない……」


 僕のささやかな反撃も意に介さず。心音はブランコに小さく揺られながらサックスを吹く。ドレミファソラシド、ドシラソファミレド……ウォーミングアップ、音階を軽やかに上り下りする。

 反響する壁がないから、いつもとは違う聴こえ方。薄く乾いたような、何も着飾らない……ありのままの心音の音。

 キィ、キィ。そんな心音の音に絡み付くように不規則に表出する、およそ美しいとは思えない錆びた金属の音。


 しがらみ、なんだろうか。何だか本当の心音が錆びた鎖で巻き付けられ、抑え込まれているような感じがした。

 ん? それって……越阪部の事じゃ?


 変な想像をした、忘れよう。僕は目を閉じて目の前にいる心音の音を聴く。キィ、キィ……鎖の音が邪魔だ。集中出来ない。耳障り。


「心音」

「うん?」

「ブランコから降りてくれ」

「え?」

「……何か、ブランコの音が心音の音にまとわりつくのが嫌なんだ」


 心音は首を横に振った。笑顔だ。

 僕がおかしいのか? ……おかしいよな、ブランコの音が嫌だから降りてくれ、ってさ。


「ウチは楽しいんだけどな、ブランコに揺られて吹くの」

「あー……うん……」


 おかしくなっているって自覚しているから、僕は曖昧にしか反応が出来ない。でも、この心音の答えは妙に心に引っかかる……。

 そして、そのよく分からない感情に追い討ちを掛けるように。


「それにさ? ブランコの音、ウチは嫌いじゃないよ? 何かクセになるっていうか、心地いいっていうか」


 ……鎖に束縛されているのが、心地いい……?


 鎖に束縛され、がんじ絡めにされるのが安心する。何も無い、自由の身が不安。外に出たくない。自分の知っている世界だけで十分――。


 そんな訳ないんだけど……心音の性格からしたら、さ。

 でも、僕にはそういう宣言に聞こえてしまったんだ。『自由すぎるのは嫌だ』って。


 何かおかしいよ、今の僕は。ぐっと自分の首の後ろを掴んで、正気に戻そうとした。


「……でさ、悠斗」

「……うん」

「演奏するんでしょ」

「……うん?」


 あっさりとブランコから降りて、ストラップでアルトサックスを首からさげたまま心音が駆け寄る。


「夢佳のお母さんの前で、3人でさ。ウチと、夢佳と、悠斗の」


 なんだ、心音……やっぱり前向きじゃないか。そして、僕がぼんやりと考えていた夢物語を当てられるなんてびっくりした。


「……エスパーか、心音は」

「悠斗ならそうしたいんじゃないかなーって吹いてる途中に思い浮かんだだけだよ」

「さすがだよ、まったく」


 なんだろう。心音の口から出てくると、夢物語が現実の出来事になりそうな……そんな感じがする。

 心音の声が、僕の心にしまっていたアイデアを引っ張り上げてくれる。そんな、感じ。


「……で、どうする? やっちゃう?」


 あくまで決断は僕に。心音は首を傾げて僕に聞いてくる。

 答えは、もちろん。


「やるよ」


 それ以外ないだろう。心音は努力したことが全て結実してきた人間だ。だから、今回のことも……きっと全部、上手くいく。

 また、3人で一緒に登下校できる。


「悠斗ならそう言うと思った!」


 心音はにっこりと眩しく笑った。西日にも負けない位、鮮烈に。


「『誰かが動かそうとし続けるなら、ずっと動き続ける』。だよね、悠斗」

「……それ、恥ずかしくなって来たからやめて欲しいんだけど」


 ……黒歴史が増える音が聞こえた気がした。

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