54小節目 小鳥は鳥かごの外を望む
「注意しに来たのか? 屋上は立ち入り禁止だ、と」
字面こそトゲがあるが、
とりあえずここに来たのが嫌には思われていないみたいで、僕は胸をなでおろす。僕と越阪部には一昨日の件もあるし、正直なところ距離感をどうすればいいのかというの掴みかねていて不安だったから……こうして軽口を言ってくれて、僕はかなり助かった。
「そんなんじゃないことぐらい越阪部も分かってるだろ。たまたま音楽準備室からフルートを持ち出す越阪部が見えて、気になって来ただけだ。あー……盗み聴きみたいになったのは悪い」
「みたい、じゃなくて立派な盗み聴きだ……」
越阪部が目を僕から逸らす。頬がほんのり赤みを帯びている。あの音は越阪部にとって誰にも見せなかった素の越阪部のようなものだから……やはり、聴いてしまったのは悪かったと思う。
でも、それ以上に僕はこう思う。強く。
「まあ、その……俺はさっきの音、すごく好きなんだけどな」
思いが強すぎて、つい口を出てしまった言葉。ん? ちょっと待て……何かすごく照れくさいことを言った気がするぞ……?
「……っ、褒めるな。そんなの人に聴かせられる音じゃないだろ……っ」
越阪部が反発してくれて僕のダメージは抑えられる。それどころか元々ほんのり染まっていた越阪部の頬が分かりやすく紅くなる。
今まで見たことの無い越阪部の弱い表情。直感……僕は越阪部の核心に足を踏み入れている。仮面によって固く閉ざされたその中に存在する、ほんとうの彼女に。
それを分かってなお、僕は伝える。伝えたかったから。
「少なくともいつもの音よりだいぶ魅力的に聴こえた。心音も多分、そう言うんじゃないのか?」
「……心音には尚更聴かせられないよ」
「どうしてだ? 心音は越阪部の音を馬鹿にするようなやつじゃないだろ?」
「それは知ってる。こんな音を聴かれるのは……何だか、恥ずかしいんだ」
きっとこの音は、長年一緒にいた親友にも見せない仮面の内側そのもの。
ある程度あたりは付いているけど、それでもあえて聞いてみる。
「何でだ?」
「……理由は言わない。分かるだろ、そのぐらい」
やっぱり本当のことは喋ってくれない。でも、越阪部がそう言うんなら……多分、僕の予想は合っているんだろうな。
「ああ、分かってる」
「笑うなって……キミは自分自身が強い立場になると意地が悪くなるんだな」
「……そうかもしれない。ごめん」
「反省してない癖に……」
半ば呆れながら顔を背け、階段に座る越阪部。そして、不意に言葉を呟く。それは僕に向かって言う、独り言。
「……私は。私が嫌いなんだ」
知ってる。1ヶ月程度の付き合いでも、毎朝毎夕登下校を共にしていたなら分かること。でも、そのことを本人から伝えられるのは初めてだった。
ぽつり、ぽつり。降り始めの雨のように、言葉の粒が落ちていく。
「もっと心音のように……心を広くして、だ。そして、全てを認めてしまえば、一体どれだけ楽なんだろうな……けれど、どうしても私は自分でそれが許せないんだ。はは、めんどくさいだろ? ……そんな、頭の固い私が、私は嫌いなんだよな」
淡々としている。感情的じゃない、むしろ越阪部自身を空高く、遠くの方から俯瞰しているような。
そんな越阪部の独り言に、つい僕は反応してしまう。
「俺は越阪部のストイックな所、いい刺激になっているけどな」
「……人がどう思うかは関係ないんだ。私は私のそういうところが嫌い、ってだけだ」
「そうか、それは……」
「ああ、謝らなくていい。悪いのは私だ」
「……」
否定するのは予想してたけれど、その否定する行為を謝るのは……なんか許せなくて、でもどう言えばいいか分からなくて……僕は黙り込む。
ここまで自分自身を追い詰める必要なんてどこにあるんだ。越阪部が越阪部のことを悪いと思うなら、許せないと思うなら。
内なる何かが、突き動かす。
僕の目は越阪部の瞳を真っ直ぐに捉える。そう、させられた。
「だったら、俺が許す」
「は……?」
「越阪部がいくら自分の事を嫌おうとも、俺が全部許す」
越阪部は呆気に取られた様子で僕を見返してきた。
そして、困ったようにわずかに口端を吊り上げて。
「……何を言ってるんだ?」
至極真っ当かつ直球のツッコミをした。僕もまた、困ったように笑うしかない。そうなる原因になるセリフを言ったのは他ならぬ僕だというのに。
「んー……俺にもよく分からないや」
「時折変だよな、キミは」
「はは……越阪部の言うとおりだ」
「そうやって簡単に肯定するのも中々の変人ぶりだ」
「……割と辛辣じゃないかそれ?」
越阪部は僕から視線を外し、やや上を眺める。ピントはどこにも合っていないだろう、強いて言うなら校舎の壁を突き抜けた先にある無限の青空を、越阪部はきっと見ていた気がする。
「でも、まあ……そうだな。誰かが許してくれれば、私も少し楽になるかな……」
ぽとり。仮面に隠れていた心から、落し物。
「……」
僕は無言で
「じゃあ、これからも私は私自身をたくさん嫌う。そうするたびに、キミが私を許してくれる」
「ああ」
即座に僕は首を縦に振ると、越阪部はしばし考え、照れたように首を横に振る。
「……これじゃあ何だかめんどくさい女だな。やっぱやめておこう」
はっ、と小さく息を吐く越阪部。目を閉じて、しばらく黙る。難しい顔をしている。
しがらみ、なのだろうか。自分を低くすることが、仮面をかぶり続けることが、僕らを傷付ける、心配させる……そういう現実。
目を閉じたまま、越阪部の口がゆっくり動く。
「こんなことになるたびに、あんなに心配をかけて、迷惑をかけてしまうのであれば……やっぱり、少しずつ私自身を認めてあげることが大事になってくるんだろうな」
そう、自分に言い聞かせるように。
それは一種の諦めなのだろう。越阪部にとって自分を認めるということは、今までの自分を捨てるということと同じなんだろうから。
でも……そっちの方が、僕は嬉しい。
「……分かったか?」
「……努力する。心音にも、少し頼ろう」
「ああ。それがいいよ、きっと」
突然、越阪部が勢いよく立ち上がる。何か吹っ切れたかのように、清々しい顔をしていた。
「うわっ、どうしたんだよ越阪部……!」
「ちょっとした気分転換、ってやつだ!」
屋上へと駆け出していく越阪部。僕は慌てて追いかけた。
屋上に上がれば、僕らの頭上に突き抜けるような青空が広がっていた。当然の事だけども、その先は広大な宇宙に繋がっている。
越阪部は手すりの近くに立ち、外側に向かってフルートを構えていた。
僕が彼女の隣に立つと、越阪部はすうっと大きく息を吸い――音を奏でる。
青空に向かって小鳥が飛んでいく。
春の歌を高らかに歌いながら。
小鳥は可愛らしい外見と歌声を持つ。しかし、それとは裏腹に……宿命づけられた小さな翼は忙しなく泥臭くもがくように往復する。
しかし、その事は当人以外には案外分かりにくい事実だったりする。僕らが小鳥が飛んでいる所を眺めていても、小鳥の大変さは分からない――小鳥になった経験があれば、別だけれど。
そして、それはフルートもきっと同じ。
そんなフルートを吹く越阪部も……多分。
ハッとした。
きっと、フルートという楽器は……越阪部とピッタリだ。そう思うと、越阪部とフルートが元から一緒だったかのように思えてしまう。
まだフルートを吹き始めて間もない越阪部、すごく上手いとは言えないものの……その音は確実に、今の彼女そのもの――仮面の下の、素の彼女を表している音なんだ。
僕の心の芯にまで越阪部の音がじわりと広がってきて……そう、感じた。
越阪部がフルートを降ろした。僕を真っ直ぐ見るその瞳に、迷いだとか、そういうものは感じられなかった。
「もちろん、キミにも」
「……?」
「たくさん、許してもらうことにするよ。ありのままの私を、ね。……それくらい、夢を見たって構わないだろう?」
「っ……」
何だ。この、顔……。心が、ぎゅっと締め付けられる。
嫌、じゃ……ない……。
越阪部は意味ありげに笑う。複雑に……しかし、ありのままに。ありとあらゆる感情が入り混じっていて、それを紐解くには到底難しい……けれども、すごくドキっとする、惹きつけられるような。
今までに見たことの無い越阪部の表情に……見とれてしまった、のだろうか。今まで体験したことのない感情を経験して、僕はしばらく固まってしまう。
……え。待って。どういう事だ、これ。
「……それ、って……どういう、意味……」
「さて、戻ろう。『
「え?」
今、名字で……?
「昼休みが終わるだろう、この子を元に戻す必要があるんだ」
「あ……ああ……そう、だな」
畳み掛けるような異変に僕は思考を止めさせられた。息が、止まるかと思った。
男というのは……なんと言うか、こういうので勝手に勘違いするんだ。だから……その。抑えとけ、僕……。
……とはいえ、距離が縮まると感じるのは単純に嬉しい事でもあって……その後あった今日の部活も、僕の音は常に電子チューナーでやや高めに上振れていたのだった。
もう一度。
これは、多分、幻想、きっと、そうだ……。
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