56小節目 強力すぎる協力

 昼休み。いつものメンツ3人で廊下での立ち話。


「やろう」

「うわっ」


 いきなり前のめりに身体を突き出してきたものだから思わず僕は仰け反ってしまった。


 越阪部おさかべ夢佳ゆめかは、僕らの提案に即答で乗ってきた。言葉が通じなければ言葉以外のモノをぶつければいい――僕ら3人のアンサンブルを、超子煩悩で過保護な越阪部母に聴かせようという提案に。


「私は現状を変えなければいけないということから逃げていたのかもしれない。自分で自分を捻じ曲げてまで、ね。でも、キミ達と一緒なら立ち向かえる……そう思うんだ」


 越阪部、やけに多弁だ。彼女の親友である佐野さの心音ここねが何かあったの? と言いたげに訝しげに見つめて来たから、僕は曖昧に微笑するしかなかった。


「今、私、すごく心強く感じているんだ。キミ達とやるアンサンブルが上手くいくかどうかはさておき――『いい演奏ができる』って、ね」


 でも、確かに言えることは、越阪部が幼少の頃から被っていた仮面を割ろうとしているということ。当然前向きな変化であるから、心音は。


「それじゃあ作戦けってーい! だね!」

「うわっ!?」


 にっこり笑って護身用のサックスケースを思いっきり天に向かって突き上げた。至近距離でそれをやられたら危ない。アッパーを食らって天井に一直線まで見える。

 そんな感じで意気揚々の僕らだったが……やはり越阪部は冷静だった。


「……それで、どんな曲をやるのか目星はついていたりするのか?」

「「あ……」」

「……やはりか」


 この三人で演奏するにあたっての一番の問題点がこれである。曲が……楽譜が、ない。心音が考え込む。


「夢佳のフルート、悠斗ゆうとのトランペット、そしてウチのアルトサックス。気にしないようにしてたけど……やっぱ、変な編成だよね。みんなメロディー担当だもん」

「いくら真中まっちゅーが元強豪校で楽譜が揃ってるとはいえ、この編成の楽譜は音楽準備室にもないんじゃないか……?」

「だよねー……夢佳、ごもっともだよ……」


 一つ可能性があるとしたら。


「心音」

「何、悠斗。何かいい案があるの?」

「心音は曲、作れるのか?」

「いくらウチでも作曲は無理だよ!? ましてやこんな意味不明編成なんてもってのほか!」

「ですよねー」


 自分から意味不明編成って言っちゃったよ。まあ事実だけど。


「これは詰みか」

「……その通りかもしれない」


 越阪部の突っ込みに解決策は浮かばない。3人揃って肩を落とす。ただ、これ以上の解決策を考えつく自信がない……。

 そんな時、僕らの横を通りかかったのは。


「どうしたのかしら」


 吹奏楽部部長で、神出鬼没との噂がある中井田なかいだ文香ふみか先輩だった。


「な、中井田先輩!? なんでここに……」

「なんとなーく1年生の教室付近の廊下を歩いてたの」

「……なんでですか?」

「昔いた教室の前を通って、下級生時代のノスタルジーに浸りたい時ってあるでしょう? 今日この時がちょうどその時だったっていうわけ」

「は、はあ……」


 少なくとも僕にその経験はない。


「……それで。楽譜、あるわよ。『偶然』私のカバンの中に入っていたわ」


 登下校中でもないのになぜか持ち歩いていたスクールバッグから、中井田先輩はすっとA4サイズの紙を数枚取り出してみせた。確かに五線譜だ。


「先輩のカバンは四次元ポケットか何かですか」

「あながち間違いではないわね」

「否定しないのか……」


 中井田先輩と接触するたびに謎が増えている気がする。とりあえずその五線譜を各々受け取った。いかにもフリーソフトでやりました、みたいな感じの楽譜だが、楽譜自体は極端に読みづらい訳ではない。ちゃんと強弱記号とかの指示も入っている。そして何より――編成がドンピシャだった。


「……何で、あるんですか」

「さっきも言ったでしょう?『偶然』だって」


 いくらなんでも偶然にしては出来過ぎだろう……そんなことを思いながら、僕は手にしている五線譜に目を再び落とす。なんだか安っぽいゴシック体で印刷されているタイトルは『翔空』。作曲者は永海優、とあった。見慣れない作曲者だったのだろうか、小学生時代からのサックス経験者である心音が質問をぶつけた。


「これは……中井田先輩のお知り合いが作った楽譜とかですか?」

「まあ、合っていると言えば合っているわね」


 中井田先輩はぼかした答え方をする。ぼかす必要性はない気がするが……。


「3人のレベルだとまだ難しいかもしれないけれども頑張ってみて。部活が終わったあとなら、私もあなた達の練習を見てあげられるから」

「中井田先輩が、私たちの練習を……?」

「ええ。私も越阪部さんの問題を解決したいと思っているから」


 さらに畳みかけてくる、中井田先輩の思いがけない提案。さすがにそれ以上は悪い。当事者である越阪部は尚のことそう思ったのだろう、即座に一歩引いた。


「そんな。悪いです、中井田先輩に」

「ううん。私は部長として当然のことを提案しているまでのこと。困っている部員がいればできる限り助ける。それが部長の存在意義でしょう?」

「それだけが存在意義だとは思わないのですが……」


 ここまでして当然のこと、というのは部長のハードルが高すぎるのではないか? やや押しの強い中井田先輩に、越阪部が素直に漏らしてしまった一言がまずかった。


「そうかもしれない。でも……私にさせて」


 まるですがるような、執念すらも感じさせるようなお願い。有無を言わさないような圧。


『この吹奏楽部だって、私が部長の役職についていることだってそう。必要だからここに在るのよ』


 『必要』だとか『存在』だとか、中井田先輩はそれにこだわる節がある……と何となく感じたのは体験入部の際、弦バスを教えて貰った時だ。そして、それが今、表にあらわれている。今の中井田先輩は、僕らを助けることによって存在理由を欲しがっている。


「……分かりました。お願いします」


 部長という立場の人間から、一年生の部員に対しての請願。こんなに押されてしまったら、さすがの越阪部も断ることが出来ない。軽く頭を下げ、中井田先輩の提案を受け入れた。当然ながら僕と心音も反対しない。実際、中井田先輩は部内きっての実力者だ。そんな人にしっかりと練習を見てもらえる機会などそうそうあるものじゃない。


「ありがとう。それじゃあ早速今日の部活終わりから始めるわね。絶対、上手くいくようにするから」


 その一言を残し、中井田先輩はどこかに行ってしまった。演奏するのは僕ら、解決しようとしているのも僕らなのだが、中井田先輩は僕ら以上に気負っている気がする。


「夢佳。ウチでも分かるんだけどさ……これって、結構大ごとになってない……?」

「その通りみたいだな。でも……やり遂げなくては」


 越阪部はとにかくストイックな人間だ。今まで自分を認めず、自分の価値をひたすらに下げ続け、それをバネにすることで並々ならぬ努力を積み重ねてきた人間だ。

 そんな越阪部に部長の強力すぎるサポート。越阪部にとってプレッシャーにならないだろうか。壊れたり、しないだろうか……。

 もちろん、僕よりずっと昔から越阪部との付き合いがある心音も、同じような心配事を抱えているようだ。僕と心音は顔を見合わせる。心音は小難しい顔をしている。きっと僕も同じような顔だ。まるで鏡……。


「どうした? そんなに私のことが心配なのか?」


 当の本人に察せられてしまった。気負っているかもしれないという心配は無用らしい。越阪部はどこかいつも通りな感じだ。


「私はもう大丈夫だ。もし私が私を見失いそうになったときは、心音と見澤みさわが隣にいるという事実が助けてくれる。それに私は、中学生までずっとこの損な性格を貫いてきたんだ。私はもう、そんなにヤワじゃない」


 その言葉は芯の通ったブレない言葉だと思ったから。


「そっか、ごめん。……頑張ろうな、越阪部」

「ああ」


 僕は越阪部自身の強さを信じられた。


「まあ、頑張る必要性があるのは見澤もだけどな。足を引っ張らないようにな、初心者ニュービーさん」

「うぐっ……それを言うなら越阪部もだろ」

「2人ともがんばれがんばれー!」

「心音。ふふっ、頼りにしてるぞ」

「うんっ! ……悠斗。男子のくせに頼りないね」

「その一言はどう考えても必要ないだろ!?」


 心音のせいでカッコつかなくなったけど。……まあ、いいんじゃないか。

 いつもの3人の形が、ちゃんと戻ってきているのを感じていたんだから。

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